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都合のよい存在であれ、という魔法

生きづらさ、の原因は、余程のレアケースを除いて、幼少期の親子関係にある、と思っています。

「中学校に入るまでは幸せでした、でも中学時代、いじめにあって人生が暗転したんです」

そう言う人は少なくありません。

本当でしょうか。

確かに、人生が暗転したきっかけは、中学時代のいじめ、かも知れません。

しかし事の始まりは、その人が、幸せだった、と信じて疑わない幼少期の親子関係にあることが、ほとんど、だと思っています。

つまり、燻ぶっていたものが、いじめ、というきっかけを機に表に流れ出した、ということです。

おそらくは、ニュースで取り上げられる様な、親が子供を殴ったり、蹴ったりすることも、食べ物を与えない、などといったことも無かったのでしょう。

しかし、目に見える分かり易い虐待だけが虐待ではありません。

むしろ大多数は、気がつかないうちに、真綿で少しづつ締め上げる様な、精神的虐待だと思います。

虐待は、する親も、される子も、それが虐待だとは思わないことが大半を占めます。

テレビで虐待のニュースを観て、ママ友に、「自分の子にあんなヒドいことをする親がいるなんて信じられない」と言いながら、

我が子を真綿で締め上げる親は幾らでもいます。

自覚は無い、のです。

100%親の都合、親の好み、親の意向、親の気分の中で生活しながら、自分は愛されている、と信じて疑わない子も沢山います。

自覚はやはり無い、のです。


心理的虐待のラインは、

親が子供を『尊重』しているか、

それとも、『所有』しているか、

その一点に尽きる、と言って良い、と思っています。


親が子を『尊重』する、とは、

子供を一個の人間として、その人格を認める、ということです。

親が子供を『所有』する、とは、

子供を自分の従属物として認識する状態、です。

心理的虐待は、肉体的な痛みを伴ないません。

それだけに、周囲からは、親に背かない良い子と、きちんとした親、という印象を持たれがちです。

それだけに、親も子も幸せである、と思い込むのです。

子供は生まれたときから、その環境、その親子関係しか知りません。

親は、その親子関係を、愛である、と言います。

親の気分で子供を振り回しながら、「お前の為を思って…」と呪文を唱えます。

幼い子供にとって、親は全てであり、親が世界です。

生まれた時から、その親子関係しか知らず、全てを受け容れるしか無い子供は、当たり前の様に繰り返し唱えられる呪文を聞くうちに、魔法にかかってしまいます。

その魔法にかかった子供は、
親の都合を正義と思い込み、
親の好みを自分の好みと感じ、
親の意向を自分の意思と信じ、
親の気分のままに振り回されます。

意識していようが、無意識であろうが、

呪文を唱える親は、ズルいのです。

自分の為に守るべき子供を利用する親は、卑怯です。

子供は、利用されながら、愛されている、と思い込み、
犠牲になりながら、幸せだ、と信じ込みます。


子供は、100%親の気分の中で生きた為、自分の心を育てることが出来ません。

心の中に、確かな【自分】という意識が無いのです。

【自分】が無く、空っぽな心の真ん中には、親が入り込み、居座るのです。


中学生になっていじめられ、人生が暗転します。

それまでは幸せだった、

本当にそうでしょうか。

呪文を聞き続け、魔法にかかってはいないでしょうか。

ズルくて、卑怯な人を、愛してくれる暖かな人と思い込む魔法にかかっている限り、

学校でも、ズルくて、卑怯な人ばかりを呼び寄せてしまいます。

何故なら、ズルくて、卑怯な人に都合の良い存在であり続ける魔法、だからです。


心のこと、の答えは全て、自分の心の中にあります。

しかし、唯一の例外が、幼少期、です。

無力な子供は、親を慕います、
疑うこと無く、信じます。

親の魔法にかかるのは、無理も無いこと、なのです。

幼少期という特別な季節に起きた出来事の責任は、その子に無く、

親の心にあるのです。


よく、いじめれる側にも理由がある、という意見を耳にします。

確かに、いじめられる種は幼少期に既に撒かれているのですから、

理由はある、とも言えますが、

それは、致し方ない理由であり、いじめられる、その子、には一切の責任はありません。

幸せな幼少期を過し、

中学時代のいじめが原因で、

今の生きづらい自分がある、

と感じていて、

その生きづらさを手放したい、と願っているなら、

中学時代のいじめは、原因では無く、きっかけ、だったのではないか、

という視点から振り返ってみることも無駄では無い、と考えます。

幸せな幼少期に、

お前を思えばこそ、という呪文を聞いたことは無いか、

誰かに都合の良い存在であり続ける魔法にかかってはいないか、

辿ってみて欲しいのです。

魔法をかけた親も、かつて、親の呪文を聞いて育った人です。

犯人を突き止める為では無く、生きづらさを抱えるに至った、仕方の無い状況を腑に落とす為に、辿ります。

全てが腑に落ちた時、

魔力は潰えて、

生きづらさは、

払い除けることが出来ます。

もう誰の犠牲にも、なることは無く、

人生は、

自分のものになるのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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