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近衛の側近達(前回の続き)

近衛文麿についての記事が予想以上に長すぎて書ききれなかった部分があった。

それは近衛文麿の側近達である。

尾崎秀実や西園寺公一についてはゾルゲ事件に連座して逮捕されたことを書いたと思う。

※ゾルゲ事件→ リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、構成員が逮捕された事件。この組織の中には近衛内閣のブレーンとして支那事変を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実やこの事件で有罪となり廃嫡となった西園寺公一らもいた。

尾崎秀実
西園寺公一
リヒャルトゾルゲ

尾崎秀実は1944年11月7日のロシア革命記念日にゾルゲと共に極刑に処された。

西園寺公一はゾルゲ事件で逮捕されるも執行猶予がついて罰されることはなく、戦後は社会主義陣営の支持して中華人民共和国に渡った。

また、前回の記事で名前を出したのに紹介できなかった人を書く。

・風見章
近衛内閣では内閣書記官長(現在の内閣官房長官)や司法大臣(現在の法務大臣)を歴任。
近衛内閣の数々の政策を主導。
ゾルゲ事件では近衛と共に検挙されず。
戦後は「共産党よりも左翼」と言われた社会党左派に合流して顧問となる。
中国やソ連に行くとなぜか高待遇されたとか。

風見章

・松本重治
ジャーナリストとして一高時代の同期でもある尾崎秀実とともに支那事変を煽る。
後述する牛場智彦や蠟山政道も同期。
また、政界にも多くの発言力を持ち、都市伝説では必ず名前の上がるジョンロックフェラー3世とも懇意。
IPR(太平洋問題調査会)では日本人全権の立場でありながら日本批判のスピーチを展開。
戦後は国際ジャーナリストとして海外でも活躍。

松本重治


・蠟山政道
近衛文麿の側近として風見章とともに新体制運動を推進。支那事変拡大を主張し続ける。
戦後は中央公論編集者やお茶の水大学教授を歴任。
さらに社会党の政策顧問や労働組合の役員など左派系の政治活動にも従事。

蠟山政道


・牛場智彦
近衛内閣では秘書官を務めて昭和研究会や朝飯会などの近衛の私的シンクタンクを創設し、尾崎秀実や蠟山政道、松本重治らを集める。
戦後も松本重治と懇意にしながら日本輸出入銀行幹事、日本不動産銀行顧問などを歴任。
※写真なし

・白洲次郎
イギリス留学中にロックフェラーと接近し、IPR(太平洋問題調査会)に加わる。
帰国後は牛場智彦や尾崎秀実らと共に昭和研究会のメンバーとして近衛内閣の政策に関与。
戦後は吉田茂に接近して日本国憲法制定などに関わる。
なぜかメディアでは善人として扱われる。
イケメンだからだろどうせ。
ちなみに尾崎秀実が一時期「白川次郎」というペンネームを使っていたのは白洲次郎と懇意にしていたからではないかという説もある。

白洲次郎

こうしてみると大半が戦後堂々と左翼系の活動をしている。

もしくは白洲次郎や牛場智彦のようにグローバリズム勢力と関わる貿易関係の仕事などに従事している。

やはり近衛文麿の周りにはこの手の怪しい人間が関わっているし、当然本人がそうでなくては集まってこないのだからあれこれ疑われたり陰謀論が囁かれるのも仕方がないと思う。

彼らの目的は謎に包まれている。

本心は平和のために行動していたが、その全てが裏目に出てしまった説。
本気で日本を戦争拡大に引き摺り込んで、疲弊させて共産主義陣営が有利になるよう誘導した説
その両方説

日本人なのに日本を戦争に引き摺り込んで何のメリットがあるのかについては、一部評論家の意見として「敗戦革命論」がある。

つまり日本と中華民国を戦わせてどちらも疲弊させる。
さらに日本とアメリカ、イギリスも戦わせて疲弊させる。
その後火事場泥棒で中国を共産党が掌握して世界の覇権はソ連が握るように仕向け、自分達は日本の指導者としてソ連や中国共産党からいいポジションを得ようとする魂胆。

たしかに陰謀論臭いが、歴史は冷戦崩壊まではアメリカとソ連の二強になったり中国も共産党が覇権を握ったのでこの通りになったわけだし、近衛の側近達は戦後ソ連や中国で高待遇を受けたり日本で左翼的な政治運動もしていたのであながち間違いでもないのかもしれない。

さらに陰謀論度数を増すと共産主義者の裏にはロックフェラーがいたとかロスチャイルドがいたとかいう、いわゆる国際金融資本黒幕説もあるが、これは流石に信ぴょう性は低い。

とはいえロスチャイルドやロックフェラーは世界規模で石油ビジネスなどに従事しているのである程度は政治的な発言力もあったことだろう。

さすがに世界の黒幕というのは無理があるが。

とにかくこのように陰謀論まで飛び出してしまう理由としては、本当のところはまだわからないし、もしかすると先日、そして今回先ほどまで書いた内容は実は全部違うのかもしれない。

何せまだ100年も経っていない時代のことなので、まだまだ資料が全て出てきているわけではない。

これからの研究で明らかになることもあるだろう。

しかし、彼らの本意は別として、結果として中国との紛争が泥沼化し、英米との戦争にまで発展して300万人が亡くなる結果になって敗戦したのは事実である。

彼らを反面教師として学ぶことは大いにあると思う。

今回は補足的な内容なので短めで。

ではまた次回。

あでゅーん。

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