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先週散文

先週はうまくいかないことが多かった。資格学校のテストは知らない単語ばっか出てきて最悪の出来。その翌日は祝日でひとりシフト、忙しいし、お客様からも怒鳴られて落ち込んだ。そのタイミングでパートナーが風邪をひき、家事、買い物、看病に追われ、分厚いAssessmentには手もつけられず、焦りは募る。土曜日、やむなく予定をキャンセルするが、やっぱりやることが多くてだんだん悲しくなってきた。最悪の考えだが、来週は絶対休みたくなくて、風邪が伝染るのも不安で不安で仕方なかった。

で、次の日目が覚めたら、起き上がれなくなっていた。気分は最悪で、朝からぼろぼろ泣いた。めまいも頭痛もするし、世界の全てが最悪に思えた。わたしこの感じ、知ってるぞ、半年ぶりに、うつが来ちゃったのかも。でも、いまは死にたいとは思ってない。

何時間もあと、風邪から回復したパートナーに引っ張られてシャワーを浴びるがやっぱり気分は最悪で、ぼろぼろ泣いた。Assessmentをやってみたものの誤字だらけになつてしまい手に負えなかったのでやめた。悲しくて、暗い場所で死の象徴のような文章を読みたくなって、人間失格の好きな部分を読み返した。そのあとなんとなく、闇市の話が読みたくなって織田作之助の短編をいくつか眺めた。

スタンダールは彼の墓銘として「生きた、書いた、恋した」 という言葉を選んだ。
…だがスタンダールを語るのに非常に便利な言葉、手掛りになるような言葉として引用されるようなものを、下手に残して置かない方が、スタンダールらしかったのではないかと私は考えるのだ。ことにそれが墓銘ときては、何か気障っぽい。余りにも感傷的なスタンダールが感じられて、いやなのだ。
ても、スタンダールのように、 私は充実した人生を送って来なかった。まかりまちがって墓銘を作るとすれば、せいぜい、 「私は煙草を吸った」 と、いう文句ぐらいしか出て来ないであろう。これで十分である。私は煙草を吸って来たのだ。

織田作之助「中毒」

織田作之助はスタンダールを愛し、文豪のしきたりに沿ったかのように若くして才能を発揮し、煙草や放浪を愛し、結核で死んだ。わずか33歳、太宰よりも、芥川龍之介よりも、早い死だった。

わたしは無類派も散文も好きだ。太宰が好きで、日本にいた頃はいつも三鷹の近くに住んでいた。

織田作之助の話に戻ると、彼の生きる力は他の文豪に比べて抜きんでていたのではないかとわたしは思う。戦中、誰もが死と敗戦を意識し始めたころ、訓練の指示を受けた織田作はこう答えている。

「僕は欠席します。整列や敬礼の訓練をしたり、愚にもつかぬ講演を聞いたりするために、あと数日数時間しかもたぬかも知れない貴重な余命を費したくないですからね、整列や敬礼が上手になっても、原子爆弾は防げないし、それに講演を聴くと、一種の講演呆けを惹き起しますからね、呆けたまま死ぬのはいやです」

織田作之助「終戦前夜」

死は成熟した人間を好む。とわたしは思っている。自死は、それに抗う方法のひとつだと。

こういうことを考えながら文字を追っていると、不思議と癒やされてくる。こういう調子のときに、ネットに答えを求めなくなっているのは成長かなと思う。

「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
…ふと、 「世間というのは、君じゃないか」 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。 (それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう)

太宰治「人間失格」


故人は案外答えを出しているものである。


【余談】
先週、長く飲んでいた薬を一種類減薬したので、なんなら離脱症状の可能性もある。

織田作之助の電子全集をダウンロードし、結構読んだなーと思ったら3%と表示されていた。ああ、大人になって全集を読破するのはタイムセイクだなぁとつくづく思う。

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