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ナバホの谷の赤い砂【短編小説】


 なぜ、この砂だったのか。

 指の間をさらさらと通り抜ける感触自体は、さほど特別なものとは思えなかった。

 その昔、似たような手触りを幾度も経験したはず。それなのに。

 あの昼休みの校庭の砂場や、あの真夏の海水浴場と、何が違ったのだろう。


 なぜ、この砂だったのか。未だにわからない。

 これほど多くを見聞きし、多くに触れた一世一代の旅の中で、一体なぜ。

 

* * * * * *


 この旅を実現できたのは、俺が無職だったお陰だ。一ヶ月ものまとまった休みを取ることは、少なくとも日本の一般的な会社員には難しい。

 中堅私立大新卒としての就活が、あいにくの氷河期ど真ん中だった。ギリギリ引っかかった小さな広告代理店は、いわゆるブラック企業。人手不足を根性で埋める文化。デフォルトと化したサービス残業。深夜に及ぶ連日の接待。パワハラにモラハラ。「オレたちの頃は普通にグーで殴られたもんだ」、と誇らしげに語る老害管理職。

 今のうちに死んでおけば、今日は出社せずにすむ。一年目の終わり頃には、そんな不健康な発想が俺の思考を侵食し始めた。何度否定してもしつこく舞い戻ってくるこの甘い誘惑に、いつか身を任せてしまう可能性を常に感じていた。希死念慮とまで呼べるものではないのだろうが、俺に危機感を抱かせるには十分だった。友人の強い勧めに後押しされ、三度目の春を迎える前に、俺はこの会社に別れを告げた。

 晴れてプータローになった俺は、予定ではすぐに再就職活動に入るはずだった。しかし、がっくりと気が抜けたようになって何一つはかどらない。それだけならまだしも、どういうわけかうまく眠れない日々に突入する。

 結局、俺は二十五にして実家に身を寄せ、心療内科の世話にまでなることとなった。


 二週間に一度の通院。ちょくちょく変わる処方薬。再就職のことはいったん忘れろとドクターストップがかかった。薬が効いてそれなりに眠れるようにはなったものの、運動や勉強をする気力はむしろ減退する一方だった。年寄りみたいに散歩をしたり、マンガを読んだり、テレビを見たりするだけの日々。

 家のことは何ひとつ手伝っていないのに、栄養も味も文句なしの飯を三食きっちり食わせてもらえて、ゆっくり風呂に入ることができ、清潔な寝床も与えてもらえる生活は、当然ながらすこぶる快適だった。けれど、幸福感はこれっぽっちもなかった。社畜時代の俺に聞かせたら贅沢だと怒られそうだが、あの頃とはまた別の危機感が、風呂場の鏡にこびりついた水垢みたいに拭っても拭っても晴れなかった。俺があたかもそれに値する地位にあるかのような手厚いケア。まるで王族だな、と口をついた独り言は、錯覚になりきれずに自嘲として吹きこぼれ、俺自身の足元を汚した。

 間もなく還暦に手が届く母は荒れた手で家事をこなし、すでに六十代の父は定年を間近に控えてなお残業まみれ。そんな二人の負担を増やすばかりで何も生み出していない俺。罪悪感や不甲斐なさも相当なものではあったが、この状況のはかなさも同じぐらい身に染みた。いつまでもこうしてはいられない。それは、火を見るより、蜂の巣をつつくより、泥船で沖へ漕ぎ出すより、わかりきったことだ。

「世間の人々にとっての普通」が、いつもぼんやりと目の前にちらついていた。ちょうど飛蚊症の目に映る小さな斑点みたいなもので、目を逸らそうとしても視界から決して消えてはくれないくせに、直視しようとすればあざけるようにするりと逃げていく。ストレスに対する生き物としての防衛本能だろうか。

 いずれは社会人の立場に戻らなければならない。いずれとはいつだろう。大きく落ちこぼれて後れを取った俺を、正社員として(いや、そうでなくとも)雇いたがる会社などあるだろうか。この状態から真人間に戻れる気がしない。いや、それより……。

 戻ってみて、やはり時期尚早だったと判明するのが何より怖かった。立ち止まり、休息を得たことで、何が解決しようとしているだろう。充電期間をどこまで延ばせばまともに再就職できるのか、いつまでなら間に合うのか、最適解を教えてくれる者などどこにもいやしない。一定の時間を経てまたしても脱落する未来しか見えない。

 ここで人生終わりだったら楽なのにな、と、日に何度も思う。俺自身が何の手を下すこともなく、自分の命が勝手にぷつりと終わってくれたら、と。決して本気ではないくせに、暇に任せて安楽な終末を祈るクセは、いつしか俺の全身にびっしりと根を張っていた。寝ても覚めても、プログラムされているかのように終わりのことばかり考えた。

 こうなってしまった人間というのは、どうするのが正しいのだろう。俺が俺のためにすべきこととは、何なのだろう。特急の線路に身を投げる自分を詳細に思い描くより、地球が滅亡してくれたらいいなあなんて大人げない消極的願望を放し飼いにしておくより、今、すべきは。


 いっそ開き直って遊んでみる。

 そんな俺らしからぬ不真面目なアイデアのきっかけが訪れたのは、薬の効果で少しハイになっていたある日のこと。

 まったくどうかと思うぜ。うだうだぼやきながら誰かが終わらせてくれるの待ってるなんて、受け身すぎんだろ。ビシッと終わらせちまえよ。そうすりゃすっきりすんだろ。このまま飯だけ食わしてもらってペットみたいに生きてたって、どうせろくなこたあねえよ。パーンと飛んじまおうぜ。バンジージャンプみたいにさ。やったことねえけど。

 そのとき、軽い躁状態の俺が見たものは、ホームのへりから線路に飛び込み電車に轢かれる己の姿ではなかった。

 晴れた空。

 赤茶けた岩肌。

 見渡す限りの雄大な渓谷。

 写真と映像でしか見たことのない、ザ・グランドキャニオン。

 太古からの地層が思い思いに濃淡を描き、気の遠くなるような時を重ねて織りなした天然の芸術。

 夕日に向かって崖を蹴り、あの美しい谷底へとまっさかさまに吸い込まれる俺。それは、世にも痛快なひとときだった。ふと冷静になってからも、いつになく高揚感の余韻が残った。遠い大陸の巨大な谷へ身ひとつでダイブするという妄想は、俺に久方ぶりの笑みをもたらした。

 飛びたい。大空を悠々と舞うハクトウワシよりも潔く。

 妄想から醒めた俺は、すぐにその出どころに思い至った。幼い頃にテレビで見た、「アメリカ横断」を謳う壮大なクイズ番組。制作側の演出にまんまと乗せられてもいたのだろう。画面の中の見慣れぬ風景と濃厚な人間模様にすっかり魅せられ、俺は彼の地に漠然とした憧れを抱いてきた。勝負の舞台は夢の国。けた違いのスケールを誇る大自然。大人たちの童心。現代に受け継がれる開拓精神の遺伝子。どこを切り取っても異国情緒にあふれ、それでいて見る者をどっぷりひたらせるだけのドラマがあって、いちいち胸が熱くなったものだ。

 学生時代に貧乏旅行でアジアやヨーロッパはそれなりに訪れたが、未だ足を踏み入れていないのがアメリカ本土。いつか行ってみたい。どうせ行くなら一週間や二週間と言わず、ゆっくり時間を取って行きたい。忘れかけていた野望がふつふつとよみがえった。生きる気力、根源的な活力というものを数年ぶりに味わった。

 今だったらできるじゃないか。守るべきものなど何もなく、時間はたっぷりある。旅費は貯金で何とかなる。思い立ってしまったアメリカ上陸は、今すべきことかどうかはともかく、今しかできないことには違いなかった。

 あれが見たい。これがしたい。思い付くまま具体的に書き出してみると、本命の南西部だけに絞ってもたっぷり一ヶ月を要する贅沢なプランができ上がった。

 通院のたびに好調をアピールしまくった結果、数ヶ月後には主治医からのOKが出た。事実、アメリカ行きを考え始めてからというもの、心身の状態はめきめきと上向いていた。

 両親は、実家に居候している身でレジャー旅行に出かけるとは何事だと怒る代わりに、かつてないほど心配した。俺を海外一人旅に出すことには慣れている二人だが、さすがに今回は状況が違う。心療内科で処方された複数種の薬を飲みながら、過去最長となる一ヶ月もの間。本当に大丈夫なのか。何度も念を押された。

 そんなさなか、ああ、なるほどな、と俺は思った。

 だから行くんだ。だからこそ。この人たちのために。

 これほどまでに無償の愛と情とを注がれた俺という一人の人間を幸せにするために。いや、もっと手前にある「生きる」という根源的な営みを成し遂げるために。死なないために。産み育ててもらった命をまっとうするために。この旅に出て、今純粋にやりたいことを目一杯楽しんで無事に帰ることで、きっと次の一歩を踏み出せる。

 そうして、退職から間もなく二年になろうという冬のこと。俺はこの旅を決行した。

 

* * * * * *


 いざ憧れの地を踏みしめた俺は、計画段階から固く決意していたとおり、とことん遊び倒した。

 サンフランシスコではアルカトラズ観光に大学めぐり。ロサンゼルスでは本場のディズニーランドにユニバーサルスタジオ。ラスベガスではカジノ三昧に一流の舞台芸術鑑賞。

 そしてついに、サウスウエストの自然を堪能すべく、めぼしい国立公園を訪ねる一連の現地発着ツアーへ。ガイドも参加者も英語一色だが、細かい説明なんかはわからなくても意外と何とかなるものだ。
 
 俺にとって最大のハイライトになるはずのグランドキャニオンは、終盤の訪問地だった。

 ところが、その一歩手前のモニュメントバレーで、俺は、合衆国より、南北アメリカ大陸より、もっとずっとでっかい「不可知」に出会うことになる。


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 ハイウェイを走っている段階から、ツアー用のバンの車窓をいかにもといった景色が占拠し始める。例のクイズ番組や映画で見たような印象的な岩山がどんどん近付いてくることに興奮した。

 モニュメントバレー国立公園への到着は午後。窓のない十人乗りの観光専用車で、土煙を上げながら奇観の中をひた走る。絶景をバックに、ネイティブアメリカンのナバホ族による笛の生演奏を聴き、ホーガンと呼ばれる伝統的住居の中で手工芸品作りを見学した。その辺りはまあお約束というか、商業的すぎる感じもしないでもなかったが、ポコポコとまばらに立つ天然のモニュメントは青空によく映え、文句なしに美しかった。ツアー参加者同士でいつまでも写真を撮り合い、日が傾くにつれて刻々と姿を変える光と影とに見とれた。

 日没にはまだ少し時間がある頃、巨岩が作り出したドーム状の空間に俺たちは招き入れられた。水平方向の視界を遮られ、周囲を囲む岩壁との距離感がうまくつかめないまま、視線は自ずと足元を向く。


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 辺り一面に広がるレンガ色の砂が、もこもこと波のような凹凸を描き出していた。見るからに気持ちがよさそうで、俺は思わずしゃがみ込み、迷うことなく指先をうずめた。ひんやりと冷たい。と同時に、皮膚ではないどこかで、言いようのない温かみを感じた。どこかほっとするような優しさに全身を包まれる。

 その砂をそっと手のひらに載せてみると、あっけないくらい軽かった。これまでに触れてきたどんな粒子より細かく繊細に感じられる。頬をなでる風と同じようにさらりと乾いていて、しかし砂漠と呼ぶにはどこかしっとりと柔らかで。科学的な定義で言えば、命を持たない無機物のはずだけれど、その確かな息遣いが聞こえてきそうだ。


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 じっと目を凝らすと、大きさは決して均一じゃないし、色もひとつきりじゃない。一粒一粒に表情があり、一斉に語りかけてくるように思われ、アメリカ南西部の魅惑的な地形以上にこの砂は豊かだった。一体いつの時代からここにあるのだろう。

 自らもナバホ族であるという小柄な男性ガイドの声が、妙に遠く聞こえた。砂と同じ色をした巨大な岩に、よく通る声が響く。

 この辺りの国立公園を回り始めてから何度となく耳にしてきた、Mother Earth and Father Skyという言葉。母なる大地と、父なる天空。すべての生命の源。ちょうどあらゆる生物の男女がそうするように、対になって我々を育み、必要なものすべてを与えてくれるのだという。自然とともに暮らした先住民が、先祖代々語り継いできた教えなのだろう。

 迷信だと軽んじる気持ちは起きなかった。ここ数日、荒々しく奇妙で美しい、神が創ったと言わんばかりの山河を毎日目にしている。そこに身を置き、その縁に日が昇りまた沈むのを眺めていると、ガイドたちが語る言い伝えについても本当にそうなんだろうなという気がしてくる。俺の人生はなぜこんなにうまくいかないんだ、と嘆くこともしばし忘れ、謙虚な思いに支配された。

 大自然に囲まれていると自分がちっぽけに思える、なんて話をよく聞くが、当たっているような気もするし、ちょっと違う気もする。この広い世界と悠久の時が身に迫って感じられるとき、俺一人の存在など意識に含まれさえしなかった。最初からいないも同然で、目の前にある世界がすべてだった。
 
 宇宙のでかさを思えば、地球だって小さい。そんな世界の片隅で、服の縫い目にいつの間にか入り込んでしまいそうなこの微小な粒たちは、突然の訪問者に触れられども動じることなく、今日もひっそりと息づいている。こいつらほどにさえ、俺はこの世の構成要素たり得ていないのだなと思うと、いっそ清々しかった。

 とはいえ、今この場で天を仰ぎ風に吹かれている俺は明確に存在していて、この手は地球の細胞をすくい取ったようなメタな感覚すら覚えている。捉えどころのない崇高さが俺の身をかすめるように不気味に駆け抜けていき、俺は完全に酔っていた。神の姿を見た、なんて大ぼらを吹くつもりはないが、そんな誰かの放言をも責められないくらいに容赦のない畏怖が襲う。

 世界の創造者の意思に触れる。そんな瞬間を誰もが経験するわけでもなかろうに、こんな俺ごときにその時がめぐってきたというのか。……なぜ? 俺はどこに導かれようとしているのだ?

 何者かが、俺を生かしている。有無を言わさぬ、燃えるような激しさで。

 静かに、けれど確かに、打ち震えるような思いがした。自ら意図せずして、俺は間違いなくこの世界の一部だった。足元にあるだけのただの砂が、俺と俗世間との間をはっきりと隔ててしまったことに、俺は呆れるほど脱帽していた。

 ふと気付けば、ガイドの解説は終わっていた。岩陰から外に出ると、この谷は見事なサンセットを迎えようとしていた。黄金に輝く太陽が、果てしなく広がる荒野をいともたやすく染めながら地平線の彼方へと落ちていく。

 ああ、生きていてよかった。これからのことはわからないが、今ここで、俺は生きていてよかった。


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 こうして、第二の目玉となる予定だったモニュメントバレーで「神に出会って」しまった俺だが、勢いで頭を丸めるなんてこともなく、それ以降の旅程をますます精力的に満喫した。

 肝心のグランドキャニオンはあいにくの曇天。それでもわずかに顔を出した夕日を、皆で愛でては写真を撮った。はるか下をくねっている急流に飛び込んでみたいのは山々だったが、帰らぬ人になってしまうのは困る。

 どうしても飛びたくなったら、そのときまた来ればいい。

 

* * * * * *


 無事に帰国した俺は、しばらく旅の思い出にひたった。旅先で毎日大量に撮っていた写真をこうして眺めていると、この一ヶ月を通じ、俺の五感のうち最も楽しんだのは視覚のはずだとつくづく思う。にもかかわらず、あの日触れたモニュメントバレーの砂の記憶があまりに鮮烈で、俺の中で、この旅は、あの砂だ。

 記憶を触覚に限定するとしても、俺の手はありとあらゆるものに触れて過ごしたはずで、なぜこの砂だったのかは未知のままだ。

 デスバレーの粗い砂利。ブライスキャニオンをまだらに染めた白雪。キャニオンランズの雄々しい奇岩。ヨセミテ渓谷の目が覚めるような清水……。

 その中で、なぜ、この砂だったのか。

 人生にはきっと、答えのない問いがいくつもある。温かで慈愛に満ちた、小粋な宿題。生涯に一度しか起きないようなこんな邂逅の粒で、人は形作られていくのかもしれない。


 あっちでは日本食は食べてないでしょう、と、母が作ってくれた肉じゃがはやっぱり最高にうまい。

 明日への不安はまだそこにある。が、あの赤い砂と過ごした時間は、俺をちょっとだけ強くした。

 土産話をせがむ父にもったいぶった相づちを打つと、甘辛い味のよく染みたジャガイモが舌の上でほろりと崩れた。


                     【了】



※この作品はフィクションです。

※この作品内の写真は作者が撮影したものです。

※カクヨムにも掲載しています。




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