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芹沢俊介 『ピノコ哀しや 手塚治虫『ブラック・ジャック』論』 : 幼心の悲しみ

書評:芹沢俊介『ピノコ哀しや 手塚治虫『ブラック・ジャック』論』(五柳書院)

吉本隆明と親交を深め、文学論などから、教育論、宗教論、家族論などに論陣を張る。』(Wikipedia)と紹介されるように、芹沢俊介と言えば「社会派」の批評家という印象があり、私が読むのも『「イエスの方舟」論』(1985)以来である。

芹沢の扱うそれぞれの題材には興味があり、芹沢についても、一定の興味をずっと持ってきたものの、ながらくその著作を手に取るには至らなかった。だが、今回、ひさびさに手に取ったのは、タイトルに「ピノコ」の名が入っていたからで、「ブラック・ジャック」だからではない。本書が単に『ブラック・ジャック』論として刊行されていたならば、本書を手に取ることはなかったはずだ。

私は、『ブラック・ジャック』という作品に、同時代で接した読者である。と言っても、連載を読んでいたということではなく、連載時に、ときどき読み、単行本を何冊か読んだ、という感じで、まとめて読んだとか通読したといったことではない。その意味では、『ブラック・ジャック』ファンであったことは一度もない。
そもそも、私が生まれたのは、手塚治虫のテレビアニメ『鉄腕アトム』(第1作)が放映された(1963)年の前年であるから、手塚初期のマンガには接していないものの、手塚の全盛期と晩年を、同時代に接してきた人間である。
私の世代の人間にとって、手塚治虫は「マンガの神様」であったし、手塚作品に接しないで育った人間は、ほとんどいなかったはずで、私もその例外ではなかった。しかしまた、では「手塚ファン」であったかと言われれば、そうとまでは言えない、「一般読者」の一人でしかなかったと思う。マンガ作品を読み、アニメ作品を視たけれども、それは「マンガ」であり「アニメ」として楽しんだのであって、「手塚作品」として楽しんだのではなかったと思う。

しかし、私は、手塚の描く「子供」には、大変に惹かれていた。それも、その悲しみに、哀切な感情を抱きつづけてきた。アトムの、ピノコの、ユニコの、あるいは第三の目に絆創膏を貼った時の写楽保介の、肩を落として悲しむその姿に、なぜか、胸をかきむしられるような哀しみを覚えてきたのである。

『ブラック・ジャック』という作品自体に必ずしも詳しいわけではない私は、芹沢の『ブラック・ジャック』論である本書を、責任を持って論評できる立場にはないのだけれど、一読した印象として書かせてもらえば、本書は、とても手堅い『ブラック・ジャック』論であり、なるほどと納得させられるものであった。

しかし、私が本書を読んで良かったと思ったのは、芹沢が『ブラック・ジャック』を「ブラック・ジャックとピノコの愛の物語」として理解し、そのうえで、この物語が「ハッピーエンド」で終っていることを、教えてくれた点である。
ブラック・ジャックへの、ピノコの「幼くも純粋な愛」は成就した。それを知らせてくれただけで、私にとって、本書は「福音」となりえたのである。


初出:2020年3月10日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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