第一章-大城 学（おおしろ　まなぶ）-

いい天気だ。夕方の19時を回っているが
まだほんのり空は青く、風に流されて来る金木犀の香りに心が穏やかになる。

会社の近くの小洒落たカフェで
妻の好きなカヌレを買い、喜ぶ姿を想像しながら
いい大人が少しスキップ混じりに帰り道を進む。

早く会いたい。早く喜ぶ姿が見たい。
こんな事を考えるのは新婚だからか？
いや、違う。きっとこの先もこの気持ちは変わらない。
妻の笑顔が大好きで
その笑顔をずっと守って居たい。
子供っぽい所もあるが、お金に関してはきっちりしていて頼りになる。
普段はほんわか優しいが頑固な時は頑固。

そんな妻が大好きで結婚したんだ。

自分で考えているだけで
恥ずかしくなっていると、妻の元に着いた。

真っ白な建物に
総合病院と書かれている。

僕の妻は余命１年だ。

「ただいま。調子はどう？」

病室で、ただいまはおかしいかと思うが
毎日仕事帰りに来ていると
自然とただいまという挨拶になってしまう。

「おかえり！今日はねぇ、ずっとNetflixを見てた！最近観るやつ無くなってきたんだよねぇ」

妻の名前は"長谷川裕子"（はせがわゆうこ）

２ヶ月前に急に、
心臓の音が大きい気がすると言い始め
身体の怠さを訴えて
そのうち立てなくなった。

病院に駆け込むと
【突発性心筋症】という判断された。

心臓移植をしないと助からない。
このままでは"余命１年"

結婚式も半年後に控えていた。
ハネムーンだってグアムに行く計画をしていた。
親友に妻を合わせる約束もしていた。
子供は2人欲しいねって言ってた。
マイホームは子供が小学生に上がる前には
建てたいね。

沢山の未来の幸せを予定してた。

それなのに妻の未来は１年しか無い。

「Netflixだと今、韓国のドラマとか面白いらしいよ。」

「えー、あんまりイメージできないなぁ。。
なんかハズレだったらどうしよ、、」

「大丈夫だよ。今は時間もあるから試しに見てみなよ」

妻に時間はない。
でも僕達は、きっと治ると自分達に
言い聞かせる様に、まだまだ時間はあって
今は人生の少し休憩くらいの気持ちで話していた。

そうしないと、お互い壊れてしまう。

「そういえば、買ってきたんだ」

「え、カヌレ！嬉しい！ありがとう！」

妻の顔は、病気とは思えない位
幸せいっぱいの笑顔に包まれていた。

この笑顔をずっと見ていたい。

妻は美味しそうにカヌレを食べて、
最後の一つを食べる前に僕に聞く

「最後のやつも食べて良い？」

笑顔いっぱいで僕に言う。
「もちろん食べな。」

「ありがとう。」

クシャクシャの笑顔で
妻は最後のカヌレを一つ食べる。

今後どうなるかも分からない。
せめてカヌレの最後一つを食べるくらいの
小さな小さな願いは叶えてやりたい。

それから、韓国ドラマを2人で一緒に見たり
何度も話した様な、昔の話をしたり
何度も笑い合った。

夜も22時を過ぎると
妻も消灯の時間だ。

「また明日ね」

「明日はシュークリームがいいなぁ」

「毎日食べたら太っちゃうよ？」

明日はシュークリームを買ってこよう。
こんな事を決意して
妻にお別れを言って家に帰る。

家は賃貸マンションの一室。
2LDKで妻との2人暮らしでも有り余る大きさである。

今は家には1人。
この有り余ってる広さが僕達の悲しみを表現している。

家に帰ると仕事のスーツをかけて
荷物を置いてそのままシャワーに入る。

シャワーが終わると
上は半袖に下はスウェットに着替えて

リビングに座る。

ふと、横の棚を見ると
付き合った頃の妻との写真がある。

海に行った時の写真。

当時のことを思い出し、そこから今日までの
色んな思い出が蘇ってくる。

電気も付いてない真っ暗な部屋で
僕は思い出に浸り、笑って泣いて叫んだ。

机の上に半年後に挙げるはずだった
結婚式場のパンフレットを見て、手が震えて来る。
だめだ。
こんな状態じゃ明日妻に心配されてしまう。

僕が泣いてどうするんだ。
1番辛いのは妻の裕子だ。

妻の笑顔を守る為に
パンフレットの横にある
剥き出しの注射器を左腕に刺す。

ああ、気持ちいい。

妻が明日シュークリームを持って行った時の
喜んでる笑顔が脳によぎる。

僕はソファの上に飛び移り
気持ちの高揚が抑えられずに叫ぶ。

今の僕が、妻の前で笑顔でいれるのは
僕達2人が、まだ笑顔でいれるのは
この薬のおかげだ。

この薬が無いと
僕は悲しみの世界から抜け出せない。
この薬と妻の笑顔だけが
僕を暗闇から逃がしてくれる。

僕はこの苦しみから解放されたく
ドラッグに手を出した。

続く

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