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土井先生ときり丸の在所は京都か?

信長が見た戦国京都~城塞に囲まれた異貌の都 (歴史新書y)

★自分は新書版を読みました

おそらく、土井先生ときり丸は豊臣秀吉政権下の京都在住。
去夏以来、このテーマからは遠ざかっていました(多忙)。
暇つぶし同書を読んだら面白くて読破。同時に、疑問の解消にもなりました。

  1. 織田信長治世下の京都は平和だったのか

  2. 忍たま乱太郎の土井先生ときり丸(及び学園関係者や生徒)が住むのは京都なのか

  3. 忍たまの時代はいつ頃なのか  

  1. 上掲書(末尾)によると「泣く子も黙る織田信長軍」だったらしく、畏怖されてた模様

  2. 上杉洛中洛外図によると、忍たまで描かれる町屋の風景とそっくり。(町屋、屋根に石が乗っている、間口が狭い、のれん等)
    京都ですら(中国みたいな都全体を囲う塀がないので)攻められ放題。
    なのに、それ以下の町が安全だとは思えない。(ちなみに、町の中はあちこちに戸口が設けられていて防備策をとっていたようです)

  3. 現在の京都の形になるのは、豊臣秀吉が整備してからのようです(この点は、夏頃にnoteで触れた気がします)

忍たまで描かれる町は平和な雰囲気。
戦や山賊や野武士や泥棒は多発していますが。
そして、家康が台頭してきた頃には忍者は不要になる。
という事は…長寿だった秀吉の時代が、忍たまが活躍した頃か?と。
歴史には昏いので、豊臣秀吉政権下でどの程度戦が乱発してたか解りませんが、まだまだ多発していた?と推測しています。(もし信長時代で、学園や町が京都の近くなら、戦が多発しててもおかしくないかもしれません)

興味深いのは、撰銭令(えりぜにれい)に言及されていた点。
信長の時代には撰銭令を発布していたそうです。

撰銭令(読み)えりぜにれい
https://kotobank.jp/word/%E6%92%B0%E9%8A%AD%E4%BB%A4-1149878

忍たま30期(?)で、きり丸が鍛錬組(潮江文次郎/中在家長次/七松小平太)の先輩たちを連れて良銭と悪銭を分けるアルバイトをしていました。
あれも、撰銭令の描写だったのかもしれません。
(潮江文次郎が、忍者式の印地打ち(いんじうち)で泥棒を撃退していた)
話に聴いた通り、時代考証が本格的すぎる…>>忍たま

豊臣秀吉時代の紛争を知らないので、これから大河の黒田官兵衛を
少しずつ見たいです(岡田准一さんだし…)
以前も、黒田官兵衛と土井先生を比較した記事を書き、
上位になってるので面白いかもしれません。
豊臣秀吉時代の京都の整備度合・平和か否かを知れば、土井先生たち忍たまキャラの在所も推測できるかも。
以上です。

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