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【短編】『一目惚れ』

一目惚れ


 一目惚れとは、一般的に異性を一目見てから長らく忘れられずにいるという生理的現象、あるいは恋煩いという名の病のことを指すのだが、この原理を紐解くことは非常に難解であることは誰もが承知のことであろう。しかし、一つの仮説を提言するのであれば、一目惚れという現象は、一人が死を体験することと似ているのだと思う。

 順を追ってこの仮説を論じよう。まずはもちろんのこと一目惚れとは視覚があって初めて成立する原理なのだが、人ははなから誰かの見た目に惹きつけられてしまう生き物だと言っても良いと思う。花が美しいのも、虫を呼び寄せて受粉し種子を作って子孫を残すという役割を持っているからであり、人間も同様に本能的に見た目やフェロモン、知性を利用して異性を惹きつけようとする。そしてそれに惹かれる感覚を持ち合わせているのである。他人に惹かれることに生物的な意味を見出すのであれば、最終目標は子孫を残すこと、つまりセックスとなる。仮に子孫を繁栄させるための機能として、生殖器官も存在し、人に惚れるという感情も生まれるのだとしたら、一つの疑問が生じる。そもそも子孫繁栄とは種にとってどのような位置づけになるのだろうかと。その答えは至って単純と思える。無(アイデンティティロス)からの逃亡であり、自らの存在を肯定するために有機物を永遠に存在させようとするのである。そこで、一つの限界としての生物の壁、あるいはジレンマとなるのが「死」の存在である。死は生物に無を連想させるのであり、死という強迫観念がある限り生物は子孫繁栄を試みることを辞めないのである。つまり、死は生物にとっての最大の恐怖でありながら、最大の特効薬でもあるのだ。

 セックス(交尾)において重要となるのが、オーガズムである。生物が性欲を解放させる際に感じる快感というのは、種が繁殖するために授けられた神秘的な生殖機能・装置でありながら、一方で一時的なスリリングな死を疑似体験することの裏返しとしての性的絶頂(オーガズム)でもあるのだ。皮肉にも、その一時的な死を代償に生命は生まれてくるのである。

 これは、人間の他の心理でも言い表すことができる。例えば人間が唯一持つ「笑う」という心理的機能は、人間が生物の中で最も死を嫌うがために備わったものだろう。「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」というチャップリンの名言があるように、辛いことを自ら笑いのネタにすることでそれは喜びとなるのである。つまり、もし人間における悲劇を死と捉えるのであれば、究極的には、「笑い」とは死へと向かう人生をおもしろおかしく正当化するための武器・道具であり、死への恐怖心の裏返しなのである。こうして人は笑うことで死を間接的に疑似体験して生きていくのだ。信仰心というのも、この笑いと同類で古来より死を恐れた人類が作り出した画期的なシステムでもあろう。そして、セックスも然り。

 ここまで話を広げてみて思うことが、やはり一目惚れも死の疑似体験の一つなのではないかということである。セックスと同じく、死に立ち向かうための手段であり、あるいは人は一目惚れをすることで、一時的に自我から解放されるのではないかとも思える(その後は自我に酷く縛られるのだが)。そして、その一瞬の出来事を経験した途端、その者は死への好奇心が高まるかの如く急激に誰かに惹かれていくのだ。


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