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ストレスフリーな選択教育の考え方

幸せ追求教師が導き出した、教師と子どもの幸せを考えた「選択教育」。
子どもに選ばせればうまくいく。教師も子どももストレスフリー。
ただし、それには条件があった。



はじめに


どうも、幸せ追求教師、ニキチャコです。

今回は、ニキチャコが提案する「選択教育」について考えていたところ、
「ストレスフリーって書いてきて、実際に自分はそうだけど、形だけなぞって考え方をすっ飛ばす方は、その結果によってはストレスフリーではなくなるんじゃない?」と自分で思ってしまったため、考え方を簡単にまとめようと思いました。

実際には、ニキチャコ人生初の記事「正しさに縛られた教師たちへ」で一度説明しているのですが、それをシンプルにまとめていきたいと思います。

それでは行きます!



選択教育とは


この記事を読まれる方は、もうすでに「選択教育」についてなんとなくは知っている方ではないかなと思うのですが、初見の方に向けて説明しますね。

詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

記事から引用します。

選択教育とは、文字通り「子どもが選択する」教育法だ。
指導法でもある。

「どうしたいのか」
「どうなりたいのか」
「どんな自分が好きか」
「どうありたいのか」

を問う。

「どんな選択をしても、それを先生は認めるよ」
「どんな選択をしても、先生はあなたを応援するよ」と、
教師は子どもが選んだどんな選択も受け止める。
子どもが選択肢がわからずに困るなら、教師が選択肢を提示し、
「どちらがいい?」と問う。

まだ未熟で先の読めない子どもたちに変わって、未来の可能性を伝える。
選べないは「変わりたくない」のと同じで、「今この瞬間は変わりたくない、このままがいいと思っているんだよ。」と伝える。

教師は、子どものどんな選択も真摯に受け止め、サポートする。
教師は常に、物事の裏と表を観測し、子どもに新たな見方を伝える。
そして、考えられる選択肢から予想される未来の話を提示する。

それはつまり、「何かができたということは、その代わりに何かできなかったということ」「何かできなかったということは、何かできたことがあるはず」といったことを見出し、伝えること。
そして、「Aを選ぶとこうなると思う。Bを選ぶとこうなると思う。どっちにする?どっちを選んでもいいよ。」と本人に選択させる。
「Aを選ぶわけないよな?」「選んだら先生は許さんぞ!」のような脅しではない。
全ての在り方を認めるフラットな位置に立ち、見守る。
基本的に教師がするべきことは、それだけ。
どんな結果になったとしても、それは経験として、すばらしい価値がある。
教師が子どもの経験を選択する機会を増やしていき、子ども達は経験の中で自分の望む自分になるのだ。

そこには自分で選択した。という自負が生まれる。
こうありたいと願った姿であろうとする。
これが「子どもが選ぶ教育」。
「選択教育」である。

選択教育は、子どもの可能性のすべてを信じ、受け止める教育法ともいえる。

「選択教育~子どもが選択するだけでうまくいく~ライト版」

簡単に言えば、「あなたはどうしたいの?」「本当の望みは?」「どんな自分でありたいの?」「好きな自分はどれ?」というように問い、「~したい」「~でありたい」という欲求に沿った選択を促す教育法です。

これにより自己決定し、自己実現し、自己肯定感を高め、良い自己イメージを作り上げていくことで、社会を自分自身の力で立って歩ける、切り拓いていく子どもを育てることができます。




選択教育に必要な8つの考え方



自分で言うのもなんですが、「正しさに縛られた教師たちへ(最下部にリンク有り)」は約20000字という長文で、呼んでくださった方も多分へとへとになったのではと思います。笑

しかも、どうにか学んだことをまとめようと必死で、1時間常に爆音で、強弱もない演奏のような文章を書いてしまいました。後で姉に言われて、「あ、たしかに。笑」ってなりました(^^;)

そこで、ここからは、「正しさに縛られた教師たちへ」の中から、科学的根拠は少し置いといて、選択教育に重要な「選択教育を行う側に大切な考え方」を抜き出してまとめます。
ぜひ覚えて、日常生活でも、家でも、学校生活でも、楽に生活できるようになってほしいと思います。

この後は、選択教育を行う人のこと(親、教師、上司、兄、姉など)をみんなまとめて、「教師(教える人)」とさせてください。



❶自分の正しさが全てじゃない


自分の正しさは,他の人にとってはそうではないことも十分ある。
というかそれが普通である。
ということです。

「バラはどんなもの?」と聞かれて、あなたは何と答えますか?
「美しい赤い花をつける植物」「きれいだけどとげのある植物」
「いろんな色の花をつける植物」など捉え方は様々でしょう。
人はそれぞれのフィルターを通して、物事を捉えています。
人が認識している時点で、これが正しい。と言われるものなど、この世界には存在しない
のです。

正しさとは、身近な言葉でいうと、「固定観念」「思い込み」です。

この世界の常識、日本の常識なども、正しさの一つですね。
誰かや物事に対する「期待」も正しさの一つだと言えます。

その正しさは、時代によって、場所によって、環境によって、人によって変わります。

一番大事な「人を殺めてはいけない」という正しさでさえ、時代や場所によっては正当化されていました。人を斬れないものは一人前の武士ではないと言われる時代もありました。人を殺めて出世する世界もありました。

そして、争いは必ず、この正しさのせいで起こります。
友達や家族との喧嘩も、同僚との口論も、マスクをつけるかつけないかも、
国同士の戦争も。
対象となるもの、人が、自分の期待通りでないから、感情が起こり、イライラし、激昂します。
正しさのせいで、人は争い、苦しむのです。


ちょっと内容が広すぎましたね。
教育の分野に戻りましょう。
教育にも常識という名の正しさがあります。

社会的に見て,子どもに正しさを教えるのが教師です。
だとすれば、教師は正しさの化身であり、「~しなければならない」「~するべき」を教える立場です。
たいていの方が、そう思われてますよね。

だから教師は苦しんでいるのです。イライラしているのです。
家庭でも親が、世間の常識に沿って子育てしようとすることで、期待通りにいかないから、苦しんでいるのです。

ただその当たり前だと思っている正しさは、見え方の違う人にとっては、「なにそれ!?意味あるの!?」とか「いやそれは違うでしょ」って思われるものである可能性は、十分にあるということです。

人によって、正しさは全く違う。
教師や親にとっての常識は、新しい時代を生きる子ども達にとっては、役に立たないかもしれない。

自分が持っている正しさを、疑ってみてください。
「私はこう思っているけど、教師はこう教えているけど、他の人にとっては、場所が変われば、違うかもしれないよね・・・」と考えてほしいのです。

これは、教師と子どもががストレスフリーになる超重要な考え方です。



❷長所と短所は裏表


どんな短所でも、長所に言い換えることができる。
逆に言えば、どんな長所からも短所を見出すことができます。

「前に1歩進んだ」ということは「後ろに1歩進めなかった」ということでもあります。
「できた」と「できなかった」も「長所」と「短所」もコインの裏表。

どんな出来事、特徴にも、二面性があるのです。

選択教育では、子ども達に選択させる際に、教師自身が物事の二面性を理解しておくことが大切です。
どんな選択も、長所と短所がセットになっているし、どちらを選んでもいいんだよ。と伝えます。

子どもに選ばせようとしても、「こっちが絶対いいけどね!そっちを選んでもいいよ!」は、片方に偏った伝え方です。
それはフラットな見方ができていないので、子どもは結局教師の顔色を見て選ぶでしょう。他者基準で選ぶので、うまくいかない可能性が高まります。

フラットなものの見方を身につけて、どちらの選択も等価であると考えられるといいですね。

短所がよく見える子には長所を、長所を信じてやまない子には短所を
「できなかった」の裏には「できた」ことが必ずあると、フラットな物事の見方を提示できる教師でありたいものです。



❸私たちは体験するために生きている


現在の最新科学の知見でとらえたとき、私たちは、もとは一つのものだったのですが、それがビッグバンで分裂したようです。
なぜ分裂したか、それは「体験するため」だと思います。

一つでは、何もすることができません。
2つになれば、お互いに観測し、比較し、接触し、など体験が生まれます。
分裂するほど、その体験は増えていきます。

一つではできなかったことをしている。
それが「体験」であり、言い換えれば「学び」です。

私たちは、体験し、学ぶためにこの宇宙に存在していると言えるのではないでしょうか?


❹違いがあるから学べる


一つでは何も学べない。
それは先ほど述べた通りです。

そしてその中でも、違いがあることは最高の学びです。

学校やクラス、社会は最高の学び場です。

自分と全く同じ人ばかりではどうでしょう。
同じものを食べたくなり、同じ行動をし、同じことを同じタイミングで言う。
気持ち悪いですねぇ。笑

何も変わらないから、何も面白くないですよね。
自分のことを知ることはできるかもしれません。
ちゃんと2つ以上いますから。

違いがあるから学べるのです。
いろんな人がいるからいいのです。
一見迷惑なことをする人たちも、子ども達も、それも必要なことなんです。
違いがあり、正しさがあるからトラブルが起きます。
けれど、それも超大切な学びなのです。



❺今までも、これからも、起こることは決まっている。



宇宙が始まった時点から、今まで、そしてこれから宇宙が終わるまでの情報は既に存在していると言われています。

そして、私たちに自由意志は存在しないという話もあります。
無意識で起こることに、後付けで「こんな感じ」と自分が選んだからこうなったという意識をつけている、という話です。

これからも同じです。この宇宙で起こることはすでに決まっています。

ということは、子育てでうまくいかない日も、めちゃくちゃ楽しい日も、子どもとの関係でうまくいかない日も、幸せだと感じる日も、教室でトラブルが起こることも、みんなで一致団結できる日も、心から良くないと思うことが起こることも、すべて決まっていたし、これからも決まっているということです。


❻むだなことなど何もない


逆に言えば、何一つ欠けても、今のあなたは存在しないし、未来の素晴らしく晴れやかな幸せな日々も存在しません。

あなたは、なぜそこにいますか?
両親が生んでくれたから。
両親はどうやって生まれましたか?
おじいちゃんとおばあちゃんが・・・
そのおじいちゃんとおばあちゃんはどうやって生まれ・・・・・・

あなたがそこに存在しているのは、今までに起こってきたすべての出来事のおかげです。何一つ欠けても今のあなたは存在しません。
少しでもタイミングが違ったり、食べているものが違っても、道の落ちていたものが違っても、全く同じではありません。ちがうことが起きているはずです。

今まで幸せだったと感じたこと全て、嫌だったと思うこと全てが、あなたの積み重ねてきた「今」として、今のあなたをつくり、未来の素晴らしく幸せな一日をつくっています。

だから、今起こっている嫌なことも全部、何一つ欠けても、ダメなんです。
それがあるから、未来の自分が笑えるんです。

「嫌なこと」も結局全部未来の自分が、「あれがあったから今があるんだよ。」と「良いこと」に変えてくれますから。
大丈夫です。

この考え方は、ポジティブメンタルにつながる重要な考え方ですね。


❼選択の数だけ無数の世界に飛び込んでいる


パラレルワールド(マルチバース)理論は、最新科学で真剣に議論されている理論です。
従来の理論で生じていた矛盾を解決する理論として注目を集めています。
よくあるのは「自分が生まれる前にタイムスリップしたときに、昔のお父さんが死んでしまったら、自分はどうなる?え?消えてしまう?」のような矛盾です。

この世は無数の世界が並行して重なっていて、何か選択するたびにその世界に飛び込んでいるという理論です。

すでに無数の未来は存在していて、すばらしいあなたの未来も、最悪なあなたの未来も存在しています。選択次第でどちらの世界にも行けるということです。

選択教育は、この選択を大切にします。
「あなたはどちらの自分がいい?」と問うことで、どちらの世界に行くか子どもに選択させます。
「選べない・・・」は「今、選ばない」つまり行動するかしないかで考えると「行動しない」です。



❽どんな選択も素晴らしい


「選ばない」ことが悪いことなのか?
そうではありません。
『❻むだなことは何もない』でも説明したとおり、無駄なことなど何一つないわけなので、結局のところ、どちらを選んでもいいのです。

どんな選択も、未来の自分の幸せな姿につながるのです。
未来の自分が「あれがあったから今がある」と良いことにしてくれます。
だから、「自分の納得いく、『自分が好きな自分』で在り続ける選択をしよう。」と言います。だから「どんな自分がいい?」と聞くのです。


ただし、子どもはその点を考え、選ぶのは難しいかもしれません。
ここで重要なのが、『❷長所と短所は裏表』です。
フラットな立場で、「こちらはこんな良いことがあるけど、こんなことが起こるかも」「逆にこっちを選べば・・・」と判断材料を提示する。
そうして子どもの選択の助けをするのです。

そこで、「どっちを選ぶあなたも私は認めるよ」「どっちを選んでもいいよ」「いつ変えてもいいよ」と伝えます。

「選択は一つじゃない!」と思われた方もいますよね。
今、この瞬間においては「選ぶ」「選ばない」、「する」「しない」という
YesかNoの二択しかしないんです。

これが選択教育に必要な教師の考え方です。


◎人はそれぞれ、その人にしかわからない地獄を生きている


あれ?8つじゃないの?と思われた方、すいません。笑

選択教育をはあまり関係ないんですが、どうしても、この考え方は伝えておきたくて。

だれとでも、接するときには、私が大切にしている考え方です。

人にはそれぞれの正しさがあると言いました。それは、生きてきた中で培ってきた自分がうまく生きるための術で、人生の宝物と言えます。
結果的に自分のためになってないことも多いですが。

全ての行動・言葉・態度は、そんな自分の培ってきた正しさ(思い込み・固定観念)にそって無意識に作られています。

だから、手が出る子どもも、上から目線で人を見下す人も、誰から構わず嫌な言葉で傷つける子どもも、圧をかけて自分の思い通りにしようとする大人も、それぞれにしかわからないたった一つの人生を生き、学んできた大切な生き方なのです。選択のすべてです。
全て生きてきた環境の中で、培ってきたことなんです。

そしてその人生の辛さ、しんどさはその人にしか分かりません。似たようなことを経験したと言っても、100%その人のことを理解できる人などいません。

だから、それぞれが、その人にしかわからない地獄を生きているのです。

私は、嫌なこと言ったり、したりしてしまう子ども、大人に対してはこう思うようにしています。
「あの人の人生では、これが最適解なんだなぁ」
「きっとそうならないといけないような、しんどい人生を生きてきたんだな」
と。

手が出る子どもに対しては、「手を出さないといけない人生だったのか」「うまく気持ちを伝えられなかったのか」などを考えます。

「人はそれぞれ、その人にしかわからない地獄を生きている」
この考えは、私の人として、教師として、とても重要な考え方です。

寄り添いの視点で、接することができるようになります。



まとめ


どうだったでしょうか?
選択教育はハードルが高いなぁ・・・と感じてしまいましたか?笑

ただ、この考え方は、教師自身がより幸せに生きるために、子どもがより幸せになるために、一番大切だと考えています。


私の正しさが全てじゃない。
うまくいく可能性だってある。
物事には長所、短所、両方ある。
何を選んでも長短両方あるのならば、納得した方を選べばいい。
好きな自分を選べばいい。
みんな体験をするために生まれたのだとすれば、これまでも、これから起こる体験も、その全てがその人だけのかけがえのないもの。
どんな選択をしてもいい。
むだな選択などない。
どんな選択も素晴らしい。
しっかり自分で選択し、自分が納得できる「好きな自分」で在ろうよ。

この考え方でいれば、教師は、子どもの可能性を伸ばしてあげられると考えています。
のびのびと自分で選択し、自分の選択に責任もって歩いていく子ども達をみて、きっとこれで良かったと思えるのではないでしょうか。
子どもも納得して進みます。
教師も任せることができます。
教師は正しさに縛られなくなるので、イライラすることが少なくなります。

だからこそ、選択教育はストレスフリーなのです。

もちろん選択教育にも短所があると思います。
見つけたら教えてほしいです(^^)
それを分かったうえで、みなさんも選んでください。
これは、教育の一つの可能性です。

私は子どもの可能性を信じます。
そんな自分が好きです。
クラスの子たちにも、そう伝えています。

彼らは嬉々として選択します。
難しい・・・と悩みながらも納得する選択を模索しています。
そうやって、本当に大切なことを考える力をつけています。

あなたも、教師も子どももストレスフリーで自分らしく、自己肯定感を高めていける選択教育を、試してみてはどうでしょうか。



終わりに


今回は「正しさに縛られた教師たちへ」で述べた考え方を少し簡略化して、選択教育に必要な考え方を書いていきました。
いかがだったでしょうか?

こんな考え方もあるか・・・
ぜひ試してみたい!
と思われた方、ぜひ♡して教えてください!

選択教育はこんな短所があるのでは?と思われた方、ぜひコメントで教えてください!グレードアップに役立たせていただきます!

選択教育をしなかったとしても、ここで述べた考え方は、よりよく生きるために役に立つ考え方だと思っています。

ぜひ、自分自身の人生を全て意味あるものとして、大切に生きていってください!「好きな自分」で在り続けましょう!


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!(^^)
大感謝です!!


それではまた!(^o^)/


さらに理解を深めたい方は「正しさに縛られた教師たちへ」をぜひ!


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