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未婚シングルマザーという選択

父が倒れた次に

私は大学卒業間近、彼氏でも友達でもない人の子どもを妊娠した。ずっと独身でいるかと思っていたのに、22才、場面でワンナイトで妊娠した。

これこそまさかのこと、父が倒れた上、妊娠まで。

馬鹿げていて恥ずかしくて
何やってるんだ自分は

と消えたくてしょうがなかったのを思い出す。



大学で地元を出た私は

埼玉で一人暮らしをし、就活もせず、バイト掛け持ちでお金を貯めてニューヨークに行こうという無謀で時間のかかる甘いぬるい計画をしていた。

自分のやりたいことも見えてきた時期、頑張らないといけないこともわかってきた時期で、やる気がすごく盛り上がっていた。

そんなタイミング、父が倒れたことで地元へ一旦帰る決断をした。

家族のそばにいた方がいいと思ったのと、メンタルが一気に崩れてしまったから。

別に行ったり来たりの2拠点生活でもよかったのに、白黒つけたくて、ひとり暮らしのアパートから荷物を全部持って実家に帰った。

地元に、実家に戻ってきたことが悔しくてしょうがなく
その決断をしたことを初めはすごく悔やんだし
嫌で仕方なく日々つまらなく
都会?一人暮らし?が恋しくてたまらなかった

当時の私の気持ち

やっぱりここにいるのは無理だから、性に合わないし、いてもしょうがない気がするから、春からはあっちに戻ろうって、父と家族そっちのけで決めて短期間掛け持ちでバイトをして過ごした。

その後は友達と一緒に東京に住んで、バイトして自由に暮らす予定だった。

そんな矢先、予想もしない出来事。

父が倒れたことと地元生活でストレスが溜まっていたのか、どうでもよくなっていたのか、抑えていたものがあったのか。

いや

今まではただ運がよかっただけで、そこらへんの判断は甘かったし
今回だって自分も楽しんでいたから何も言えない、責められない。

いい加減にしろよ、って神様に言われた気分だった。

アフターピルのことも全く考えてなかった。
「大丈夫だよね」って相手も自分も軽く考えていた。

産婦人科

今までにないくらい感情の揺れが激しく刺々しく、怒り狂ってる自分がいる

なんだこれは・・・と思ったら生理が来ていないことに気づき、そういえばと薬局に走った。

検査薬を買うのは2回目のこと

前回の時は大丈夫だったから今回も大丈夫だろうと思っていたら

くっきり線が出て焦る。

全部で、4つの病院へ行った。

1つ目の病院では
検尿をカップにし忘れて流してしまうほど

産婦人科という慣れない場所が、自分に大きく関わる場所になっているという事実に困惑していた。

「ちゃんと妊娠してますね」

涙が溢れた。

とんでもないことになってしまった

とんでもないものを背負ってしまった

どうしよう

終わった

という涙だったと思う。

人生でする決断のなかで最も難しく重いもの

のトップ3には間違いなく入るはずの選択にぶちあたり、タイムリミットがある中で、どちらを選んでも自分の人生を大きく変えてしまい、以前の自分には戻れない決断に迫られ、何もせずにこのまま知らないふりをしていたくても、お腹に芽生えた命はどんどん大きくなるし、取り返しのつかない事態になるってこういうことだと実感した。

なるべく体が傷つかない方法で堕ろすやり方をしている病院を探し、少し離れた場所にあるクリニックまで一人車を走らせ行ってみたものの

冷たい対応、相談に乗るような体制や雰囲気すらなく、ますます心細く、すり減ったような気持ちになっただけだった。

なかなか決心がつかず、時間だけが過ぎる。

堕ろす/堕さないを毎日考えては、こうなってしまった事実と自分の行いに泣き、そのまま消えてしまいたくなる。

一方どこかで

お腹にもう一人いるんだと
心強く感じていた自分もいたかもしれない。

その後に行ったもうひとつのクリニックも淡々とした対応、カウンセリングなど一切なく

機械的・事務的に「おろすんですね」と説明されるだけで
寄り添うような言葉がけは皆無だった。

あえてそうしているのかもしれないけど

迷っているかもしれない人には?
え、迷っていたらダメなの?

と思った。

問診票の欄も「産む/堕ろす」の項目しかなく

唯一

4つ目に行った新しいクリニックだけ

「迷っている」

という項目があり

女性医師の対応も親身でやさしく、カウンセリングもちゃんとあった。

この

「迷っている」

っていう項目があったこと

迷っていてもいいんだ
相談してもいいんだ

って思えたことが大きくて

この病院なら産めるって思えたんだと思う。

占いと産む選択

相談を何人かにした中で、全員が堕ろすことを勧めてきた。

人生が大きく変わること、苦労すること、先が見えない状況なこと。
私のことを考えて、現実的な意見をくれた。

仕事もなく、お金もなく、パートナーもいない・・・

私は一旦「堕ろす」決断をし、手術の予約もした。

予約をした後、一緒に東京で住む予定だった友達と占いに行き

「産むか迷っている」と話すと

「すごくいいお母さんになるって出てる。
パートナーも途中で見つけて、素敵な奥さんになれるって出てるよ」

と言われた。

なぜかその言葉にすごく前向きな励まされた気持ちになり

「やっぱり産もう」

って気持ちに振り切ることができた。

すぐに手術の予約もキャンセルした。

その友達も唯一

「産んだらいいと思う。
 ななちゃんの自由だけど産んでほしいなって思う」

って言ってくれた人。

占いが終わった後

「産むことにする!」

と伝えると

「いいじゃん。頑張れ!」

って2人で明るい気持ちになって帰ったのを覚えている。

占いで決めるなんて馬鹿げている、クレイジーだって

自分でも思っていたけど

ある人が

占いは聞きたいことを聞きに行く場所だと思うんです。

ななさんは「いいお母さんになれる」って言葉を
信じたかったんだと思う。

と言っていて

ああ、私はもともと「産みたい」と思ってたのか

産むことを勧められるのを待っていたのか

占いの言葉を信じたかったのか

って納得した。

堕ろす勇気がなく、産む勇気はあった。

ただそれだけのことで

私は堕ろした後の自分を想像するだけでも耐えられなかった。

一生その十字架を背負っていくと思うと辛すぎて、全部どうでもよくなって、もぬけの殻になってしまうんじゃないか、平気で生きていけないんじゃないかって、こわかった。

だったら

産んで頑張ったほうが

ーーものすごく大変だし、子どもの破壊力すごいし、しばらくいろいろ自由にできなくなるけどーー

自分にとっていいんじゃないか
プラスになるんじゃないか

こっちの意味で強くなった方がいいんじゃないか

と思った。

それだけだった。

妊娠できずに苦しむ人たちがいる一方で、思いもよらぬ妊娠に泣く人たちがいる。

残酷だと思った。

神様なんていないんじゃないか。
これに関してはそう思ってしまう。

安定した裕福な家庭で幸せに育ってもらうために養子に出すことも考えた。

何をもってこの子が幸せなのか?

そんなのこの子自身がきめること。
私のエゴがとやかく言うことじゃない。

やっぱり、産むんだったら自分が育てたいと思った。

小さく丸く、何も知らずにお腹の中で動いている。
ただただ生きている。

エコーを見て涙が出たのは、その小さくて儚い命が発する力強さと輝きに感動したからかもしれない。

「生まれたい」

そう強く訴えているように感じた。
生まれたいって気持ちがすごく強い子だって伝わってきた。

エコーからも、身体の中からも。

すごいエネルギーで。

だから

この残酷な世の中かつこんな頼りない状況で

産み落としていいのか?
この子は生まれて幸せなのか?
生まれないほうが幸せなんじゃないか?
私のもとに出てきていいのか?
私が育てていいのか?

いろいろ考えたけれど、結局それ以上に

「それでもいいからあなたのもとに出てきたい」

っていう気持ちが娘から伝わってきた。
それしか勝たなかった。

相手に言われたこと

本当は相手に伝えたくなかったけれど、周りに相談したら伝えるべきとのことだったので、仕方なく伝えた。

何回か2人で話し合いをした後、私の母と祖母も交えて話したなかで、相手が一貫して主張してきたのはこうだった。

「堕ろしてほしい」
「子ども作るなら、ちゃんと愛し合って、結婚してからにするべき」
「シングルマザーは大変だよ」
「おろすなら払うけど、養育費は払えない」

2つ目の言葉に対して

は?なに言ってんの?

この状況になって言えるセリフ?

と思った。

そういう考えの人がなぜ

この状況を生んでいるんですか?ってブチギレた。

嫌悪感で満たされた。男って最悪だと思った。

相手は25歳銀行員、彼女がいないことを主張していたのに実はいて、借金もかなり抱えていたという。いい仮面を被ったクズだった。

なので産むとしても今後一切コチラとしても関わりたくなく

「一人で産むから
 何もしなくていいしお金も払わなくていいから」

と伝えた。

というか、産むこと自体も本当は伝えたくなかった。

罰が当たればいい。てか当たると思う。

今後一切子どもに恵まれなければいい。


この話し合いは男女の戦いだと感じた。

男には一生かけても死んでも、キンタマ撃たれるか潰されるくらいしないとわからない、女の背負うものと傷みの大きさ。

それをわからずに軽々しく主張してくること、無責任な立場への腹立たしさ


でも

逆に言ったら

男に選択権はない

女が全部握っていて、女の自由にできる

結局産む選択をして、今娘がいて私は幸せなのだから、もうそれでいい。


母の反応、祖母の言葉

母に伝えることは、相手に伝えるのと同じくらい嫌だった。

「何やってんの・・・」って感じだったと思う。

怒っているというか、呆れているというか、ある程度予想していたというか。

でも「どっちにしてもあなたの決断を応援するよ」みたいなことは言ってくれた。

私が相手と話し合って半泣きで帰った時は

それを知らずに

「結婚しちゃえばいいじゃんって思った、彼女いないんでしょ?」

とかなり楽観的なテンションで言ってきた。

そして

相手との話し合いの時は

あくまで中立的、理性的、冷静に対応していた。

お母さんなんだからもっと感情的に怒ってよ!!
私のサイドに立ってよ!!

とも思ったけど

母はとても大人の対応をして
そういう感情を相手の前で一切出さなかった。

それに毎晩いろんな動画や情報を持ってきてくれては、一緒に見て考えてくれもした。

「早く決めなさい」と焦らされた記憶もあるけれど、寄り添ってくれたほうだと思う。

娘が生まれてからもめちゃくちゃ協力してくれていて、母がいなかったら今ごろ私も娘もめちゃくちゃのボロボロになってると確信するほど本当に助けられている。

娘もおばあちゃんこで、母のことが大好き。

私以外にもう一人、娘を愛し大事にしてくれる大人がいてくれることにすごく安心するし、ありがたいし、心強い。

娘にとってもそのことがすごくいいって感じる。

どうしても喧嘩と反発ばかりになってしまうけれど、心の底ではすごく頼りにしているし、感謝している自分がいる。


一方で

びっくりしたのが祖母の言葉だった。

「200万あげるから堕ろして」

衝撃だった。

いくら私がニューヨークに行きたいと言っていたとはいえ、私を思って絞り出した言葉かもしれないとはいえ、お金を理由に堕ろすよう言ってくるとは。

自分の祖母がそんなことを言ったってことがショックだった。

息子が倒れて、孫の私まで妊娠したもんだから、きっと気が動転してどうかしてたんだと思う。

だとしても

いくらお金が欲しいったって

そんなもんじゃないし

命をおろしてまでやりたいことなんてなかった。

祖母自身は
この言葉を言ったこと自体もう忘れているかもしれない。

祖母のそういうところがほんとに嫌いで、産後1年経つまで許せず、祖母と会わないようにしていたし、2度と口を聞くかって思っていたし、何よりそんなこと言っていたやつが娘を可愛がるな!!面倒見る資格ないだろ!!と思っていた。

けど

実際、面倒を見てくれる人はいればいるほど心強いし助かることに変わりはなく、私は怒ることを諦め、思う存分頼ることにした。

娘が1歳半になる頃やっと、そう思えることができた。

気持ちがだいぶ楽になり、心細さも減った。

許さないでいることって結構エネルギー使うんだなとも思った。

自分の息子が倒れて以来、祖母はほぼ抜け殻になっていたから、孫が登場したことで元気が出て、張り合いも出て、ボケ防止にもなって

結果よかったと思う。

祖母にとっても娘を産むことは正解だった。

いい方向に働いた。

父の代わりとして
家族にパワーや励ましを与えるために
神様が娘を贈ってくれたんじゃないかと感じる。

それでいい。

それだからもう、許すことにした。

吉本ばなな 『西日』

面白いから、産もう。
・・・
私はどうそれに対応するのだろう、見てみたかった。
とにかく先を見てみようね、と心の中でつぶやき、
夕方の町を走るタクシーの中で、私は下腹部をそっと撫でた。

吉本ばなな「体は全部知っている『西日』」

この部分

自分の産むと決めた時の心境とリンクした。

私は堕ろした時の自分より、産んだときの自分を見たかったのかもしれない。

自分がどう対応していくのか、そこにワクワクを感じたのかもしれない。

とにかく先を見てみようって。

自分に似ているようで全く別の人間が出てくるということもすごく面白そうで楽しみだったし、そういう存在ができるということが、お腹のなかにすでにいるということが、とても心強かったんだと思う。

産んだ方が面白い

自分の人生が面白くなるって感じたから

産んだんだろうな

根本的な部分はそこかもしれない

産んでから1年半経って

この部分を読んで改めてそう思った。

望まない妊娠というプレゼント 


海外ドラマや映画、いろんな作品で多様な家族像、親子像を目にしていたので、シングルマザーになることに対してあまり抵抗はなかった。

現実的な厳しさは置いといても、少なくとも世間体などはもう時代的に進んできてるし平気だろう、いまどきそんな家族の体裁気にしてるなんてダサいくらいに思っていた。

むしろシングルマザーのほうが
いらん旦那がいるよりいいじゃないか、素敵じゃないかぐらいに。

そうして自信があってなったシングルマザーだったけれど、いざやってみると、しんどかった。

精神的には心細いし、身体的にもついていけない。

やっぱり大人は2人必要なんだ・・・

相手の主張がフラッシュバックし、重くのしかかってきて、痛い目をみた気分だった。

保育園に通うなかでも
行事に夫婦で参加してる様子を見て

ああこれがあるべき形なんだ

って考えが強まっていく一方だった。

まだまだ家族のありかたは多様ではなくステレオタイプなのかも・・・

そういう思考に傾いていった。

普段の生活、目にする光景、空気感のなかで

どんどん自信を忘れていった。

でも、ある人と話して

「産んだことは一番の自信に思っていい」

という言葉をもらった。

ハッとした。

その言葉を聴いて

自分が自信をもってシングルマザーになったこと、何ならシングルマザーに憧れを抱いてなったことを思い出した。

その人はアメリカに住んでいて

「アメリカではシングルマザーってパワーワードで、いろんな人に助けてもらえるんです」

って言ってて

日本とは違ったシングルマザーへのイメージ、在り方があることにも励まされた。

「子どもは卵子と精子をただ使って産まれてくる」

この考え方にもすごく救われた。

私自身も

娘が空から私を見ていて

「この人助けなきゃ!
いいや!こいつの精子使って行こう!」

私の状況や状態を見て

このままじゃやばい、危ない!!
とりあえず精子はこいつのでいいから、この人を助けなきゃ!

って飛んできてくれたんじゃないかなって

そう考えている。

ハプニングではあったけれど

これは神様からの

望まない妊娠というプレゼント

でもあったなと思う。

未婚シングルという選択肢


産んだらなんとかなる

と言いきってしまうのは軽すぎるし

人それぞれいろんな事情、家族関係、宗教上の理由があって

そのなかでもお金はやっぱり大きくて

簡単にそうとは言いきれないけれど

産んだら必ず助けてくれる人が出てくるのは確かで、家族でも友達でも保健師さんでも、いろんなサポートが意外とある。

お金の面では、手当はシングルの方がたくさん出るし、医療費も返ってくるし、保育園も無償で使わせてもらえるし、むしろ有利だったりする。

もちろん、日々の生活を送るなかで、会話する相手がいないとかいう心細さや物理的な大変さはあるにせよ

旦那への不満や愚痴や苦労やつらさを話す友人たちを見ていると、あれ、シングルの方が楽なんじゃ?

とか思ったりする。

何せ自由が好きな私にとっては合っているのかも。

あとは、実家や祖父母の支援があることが大きい。

これなしにやっていけていたかはわからない。

家族の助けは必須かもしれない。

これはシングルに限らず。

だから

できることなら地元じゃない場所に引っ越したいのが本音だけど、しばらくは実家の力を借りながら地元で暮らしたいと思っている。



出産と子育ての話もここで少ししておきたい。

出産のダメージは交通事故と同じと言われるらしい。

10年老けるとも言われていて、それが納得できるくらい大変なものだった。

妊娠中も出産自体も大変だけどそれ以上に、それを軽く超す勢いで出産直後は辛い。

しんどい。不安定。超繊細。

体もメンタルもズタズタのガタガタ。

ホルモンの急な大波を乗りこなせなくなり、人格が変化してしまったのではと思うほど調子が狂ってしまう。

だから産後はとても危ない時期で、自分と赤ちゃんの命を守るためにも誰かの助けを得なきゃいけないし、鬱に陥らないように、周りも自分も、とにかくゆるーく考えることが重要だと後になって感じた。

それゆえに、お金がないという焦りから産後5ヶ月で仕事フル復帰したことも少しだけ後悔している。

もっとゆっくり1年かけて休むとか、時短で働くとか、自分にやさしい選択を考えた方がよかったなあと。

早く保育園に入れてよかったこともたくさんあるけど、無理しなければ、それか実家に住んでいれば、産後うつからの適応障害にならずに済んだのかなーと。

あとは

ルーティンが苦手な人にとっても、母親業はきついものがある。

子どもはルーティンに安心する。けど私は苦手。

その時々の気分で動いてしまうし、放任主義的に自由にさせておきたくなってしまう。

一人ならそれでいいけれど、子どもがそれだと不安定になってしまうというのを聞いてから、苦手なルーティンを少しずつ構築しているところ。(激ムズ)

子育てって、別にシングルじゃなくて、普通に2人いても大変だと思う。

それが3人いると、いい具合に回ってすごくちょうどいい。

だから祖父母の存在はでかい。大いに頼るべき。

欲を言えば4人、5人、、子どもを見る人数は多ければ多いほど精神的に楽になる。

旦那さんがいてもワンオペでほぼシングルと変わらない状態って人も今たくさんいるから、本当に子育てがしにくい時代になってきているなと感じる。

一人でずっと子どもの面倒を見ていると

精神的にきついものがあって

自分自身がわからなくなるというか、侵食されるというか。

童謡とか子ども向けの映像ばかりで頭がおかしくなりそうになるのがひとつ。

いくら子ども好きでも

1日中ずーっと相手して面倒見て、毎日一緒にいたら参ってしまうし、疲れ果てるし、それは外に出て働くのと同等にあるいはそれ以上に大変なことだと言っても過言じゃない。

あと 

いちばん厄介 (大きな壁) なのは

小さいうちは風邪、感染症やらで保育園を休まなければいけないことが多いってこと。

コロナ禍を経て敏感になっているというのもあって、まともに働けない。

休みに理解のある職場ならいいけど、そうじゃないと難しい。
転職できない理由もそこが大きい。

こういうのを理由に

自分のやりたいことや仕事、求める生活、住みたい場所を始め、自由な動きが取れないことも地味にストレスだったりする。

あと外食好きとしては、外でご飯を食べるときにゆっくりできないのが結構辛い。

「大きくなるまでは」と割り切るしかないのだけど。



未婚シングル

という人にはまだ出会ったことがない。

まあ普通だったら産まないところを産んだのだから、そうそういないだろうと思う。

お金や若さや環境を理由に堕さざる得ない人が多い状況も、堕ろせないまま時間だけが過ぎ、産んでどうしようもできずに事件になってしまうという現実があることも、女だけどうしても背負うものが大きすぎることも

ーーこれには日本の性教育に問題があると思うし、アフターピルが身近じゃないこととか、そうなった時に頼れる窓口や環境や体制や情報や雰囲気が少なすぎるということもあると思うーー

悲しくてやるせないけれど、さっきも言ったように、女性が全ての選択権を握っているということ。

男に何を言われようが、女性がそれを聞かなければ

事実上 男は何も決められない。

重要な決断に、男は決定的な選択権がない。

そう考えると、女性の強さを感じる。

その決断の後に付随するいろいろ大変なことは、むしろ自分を大きくパワーアップさせる。

女性が選んで、決めていいっていうこと。
未婚シングルマザーという選択肢があること。

それを忘れないでほしいと

未婚シングルを選択し、娘のおかげで母との関係もよくなり、娘と共に幸せに生きている身として強く言いたい。

この決断は

間違いと失敗だらけの自分の人生において

正しいか否かではなく

最もしてよかったと

「一番の選択」

だったと胸を張って言える。





この文章に出てくる「ある人」でもあるまーちゃん(@machan.fromcali) が
ポッドキャストでこの文章を朗読してくれました。

ひとに読まれるとまた違った感じ方を味わえる・・・


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