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«1995» (2)

僕が上智大学を志望した理由は、フランス語だった。

通っていた学校は小中高が連なっていたけれど大学はなくて、いわゆる受験校でもあった。フランス人の宣教師がつくったミッションスクールで、彼らはキリスト教の布教のほか、自国のミッションも帯びていた。
即ち、文化で世界を侵略するという同国の遠大な戦略の中に語学の教育も含まれていて、フランス語教育がカリキュラムにあるのだった。我々の多くが、パリを特別な都市だと思ったり、彼の国のワインや食事を別格だと感じたりするのは、彼らの文化的侵略に見事に乗せられた結果なのだが、それはそれとして、僕は中学に入る時に、第1外国語として英語かフランス語を選択せねばならなかった。

1外は週6時間で2外は週2時間、つまり2外は添え物でしかない。受験でフランス語を外国語科目として認める大学は限られるので、1外を英語にしたほうが無難ということになる。ところが、この僕は昔からひねくれていたというべきか、「いまフランス語を選んで、あとから英語を学ぶことはできるかもしれないけど、その逆はない」と主張し、親の反対も押し切ってフランス語を選んだものだった。自分で選んだことなので頑張って勉強したし、不思議とフランス語を良く覚えられたので、大学でもフランス語の勉強を続けようと思うに至った。
上智大学外国語学部が志望校になったのはこうした経緯による。

当時、僕のまわりでは「いい大学に入ればいい会社に入れてハッピー」という図式を皆盲目的に信じていて、その為にこそ偏差値の高い大学に入らねばならないと級友たちは熱心に塾通いをしていた。僕自身、将来の目標なんてものは見つけていなかったけれど、フランス語とのひょんな出会いが、何となく自分の進路をつくってくれたとはいえる。法学部や経済学部なら潰しが効く、と戦略めいたことを口にする級友もいたけれど、潰しが効くって潰されるってことだぞ?と僕は思っていた。

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