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母との30年

30
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母の晩年の様子。

母の晩年の様子。

母が亡くなる3年くらい前からか、さらに入院期間も増え、症状も変化してきていた。

常に何か、ブツブツと、声にならないような小さな声で、独り言を言うようになった。

食卓で座って、目を瞑って、ブツブツと呟いている。

お正月の母方の親戚の集まりでは、機嫌よく饒舌に話出したかと思うと、急に悪態をついたり。

母方の親戚で、母の姉妹や身内だから、症状はわかってくれているのだけれど、こちらとしては、せっか

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自信のなさは家庭環境のせいか?④

自信のなさは家庭環境のせいか?④

自分なりの、納得のいく結論は出たのでよかった。私はこう生きて行こうと思った。

そして、世の中、白黒つかないことばかり、グレーなことが多いなと思った。
こうだからこうなる、とは言い切れない、こうだからこうのこうは何パターンもあったり、こうだからこうであっても良い方向にしていくならまたそのこうの形が変わっていったり、方程式には当てはまらないことばかりだと思った。

そして何年後かのTVで、ふと見かけ

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自信のなさは家庭環境のせいか?③

自信のなさは家庭環境のせいか?③

すみません🙏結論は簡単に書けばいいのですが、経験を織り交ぜて書いているので長くなっています。

で、これについて、いろいろ調べ始めたけど、やっぱり、よくわからなくなっていた。

どこにでも書かれていたのは(私が見たものでは)、自信がないのを家庭環境のせいにするのは甘えだ、というものが多かった。

これを認めるのは、正直、心が痛かったけど、
その通りでもあるから、その時の私はそう思うようにしていた

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自信のなさは家庭環境のせいか?②

自信のなさは家庭環境のせいか?②

20代の時、NHKで「しゃべり場」という、10代が集まって語り合う番組を見た。
毎回、大人のゲストが出てきて、子供らの討論に意見するというような番組だった。

その日のゲストは千原ジュニア氏。

このころのジュニアさんはまだまだトガっていた時なので、子供らにも強めに話していたと思う。 

ある中学生男子が、妹さんが障害者だから、何をするにも自信が持てないようなことを言っていた。

それに対してジュ

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自信のなさは家庭環境のせいか?①

自信のなさは家庭環境のせいか?①

自信のなさは家庭環境のせいか?と聞かれたら、きっと答えはYESだろう。
でも、私はこのことについて、長いこと自分なりの答えがみつけられなかった。YESだと思ったりNOなのかも?と思ったり。
これは、私が長年このことについて考えて、結論が出るまでの自分の経験や流れを書いたものです。

中学に入ると、私はどんどん自信をなくしていった。人と比べて劣っているとか、人よりできないのでは?とか、とにかくコンプ

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母の晩年の入退院。

母の晩年の入退院。

母が通う近くの精神科の病院が移転して建て替えられた。

少しばかり、家から近くなって、きれいで新しくなった。

母としてはやはり新しくなった病院で入院できるのは嬉しかったようだと、父が言っていた。

だからといって、ずっと入院していたいというわけではなかったみたい。

やはり家には帰りたがっていた。

しかし、入退院のペースは増えていて、亡くなる3年くらい前からは、年の半分くらいは入院していたと思

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祖父の死。

祖父の死。

いろいろ過去を思い出しながら、時系列も思い出しながら書いている。

いろいろその都度、感じたこと思ったことも書きたいのだけど、なかなか話が終わらないので、とりあえず、母が亡くなるまでの出来事を書こうと思う。

私が26歳の時、祖父が亡くなった。

2月の寒い日、お風呂に入ったまま出てこなかった。心筋梗塞だった。

80歳後半で、やはり身体にも負担がかかったのだと思う。

関係ないかもしれないけれど

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願い。なぜこのブログを書くのだろう。 

願い。なぜこのブログを書くのだろう。 

結局、何が言いたくて、このブログを書いているのだろう、と思う時がある。

ただシンプルに、自分が経験したこと、その時に思ったことを書く、という方針で書いているのだからそれでいいのだけど、ふとわからなくなる時がある。

自分の辛かったことを話して同情してほしいのか?病気の母親と同居しなかったことを肯定するために書いているのか?とか、ネガティブに客観視してくる自分がいたりもする。

もし私の体験を人に

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この場所があってよかった〜後書き

母は、ただ、私の帰省を楽しみにしていた、ただそれだけだったんじゃないかと、書いていて思った。

それを母からの呪縛のように感じて、勝手に重く背負ってシンドイと思い込んでいたのは、私が作り出した幻想なんじゃないかと思った。

そう思うと、母に申し訳なく、なんだかいろんなことを、母や母の病気のせいにしていたのかもしれない。

母に頼られてるようで気が重かったと思っていたけど、私も母に充分甘えていたのか

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この場所があってよかった 

この場所があってよかった 

私は、1、2ヶ月に一度、実家に帰省していた。

実家から一人暮らしの部屋に帰った時に、よく思っていたことがある。

そして、この日は特に、強くそう思った日だった。

ある日の帰省した時のこと。

母の調子がよくなくて、症状が強く出ている時だった。

私が実家から帰る時に、母が、
「もう向こうに帰らなくていい!ここに居たらいい!」と怒り始めたことがあった。

症状が強く、妄想的になっているから、特に

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こんな夜更けに、、

こんな夜更けに、、

母からは、よく電話はかかってきていた。

就職して、母の症状が悪化してきてからは特に、よく電話で喧嘩していた。

というのも、だいたい正常ではない母が、激高した状態で電話をしてきて、電話口で私への文句をガンガンに言ってくる。

私も、なんでそんなこと言うのよ!と、こちらもガンガンに怒って文句ぶつけて、ボロボロに泣きながら、最後はもうヘトヘトに疲れ果てて切って終わるという感じだった。

どれくらいの

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その後の母の症状、私の将来。

その後の母の症状、私の将来。

この出来事から半年後か一年後だったか、母は通っていた遠方の病院に入院した。
お見舞いに行ったのを覚えている。きれいな病院で、2人部屋だった。

入院中というのもあり、症状も落ち着いていて、普通に話せた。「来てくれて、ありがとう」と言ってくれた。
相部屋の方や他の患者さんとも、それなりに仲良くしていたようだった。 

この辺りからだろうか、入院が増えていったように思う。
それまでの3〜4年に1度が、

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そんなことで泣いていてはダメですよ 後編

そんなことで泣いていてはダメですよ 後編

そんなこんなで診察が終わって、帰りにデパートなどに寄ったりして、母は機嫌がよかったと思う。  

私は、どうだっただろう。
だいぶ泣いたし、かなりダメージはあったんじゃないかと思う。

なのに母は、割と機嫌よく食事や買い物などをしていた気がする。

別に機嫌がいいならその方がまだマシだけど。。

でも、さっき、娘が医者にケチョンケチョンに言われまくってるのを黙って何にも言わなかった母には、やっぱり

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そんなことで泣いていてはダメですよ 前編

そんなことで泣いていてはダメですよ 前編

このフレーズ↑

これ、私、人生で2回、言われたことがある。

しかも初対面の人に。

2回もな。。

まぁなかなか、初対面で言われる言葉じゃないよね。

これから書くのは、その1回目のお話。

母の調子がなかなか良くならないのもあり、私はあることを考えていた。

というのは、ある著名人の方が鬱病持ちの方で、その方の主治医の先生が名出ししていたのを見て、私は、この先生なら、母の病気を治してくれるん

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