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『罪と罰』を読まない (岸本佐知子・三浦しをん 他)

(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)

 通勤途上で聞いているPodcastで取り上げられ、新聞の書評でも目にしたのでとても気になって手にとりました。喧々諤々いろいろな意見が出るであろうことを見通した“確信犯的企画”の本ですね。

 冒頭の吉田篤弘氏の言によると、周りの人たちに「世界的名作を読んだことがあるか?」と尋ねても、多くの答えは、「まだ読んでいない」とか「昔読んだことがあるけど・・・」といったものだったとのこと。

(p7より引用) 仮に読んだことがあったとしても、多くは記憶があやふやで、たとえば、主人公の名前を正確に云えるかどうか、はなはだ怪しい。場合によっては、名前どころか話の筋すら覚えていない。・・・
 つまり、「読んだことはないけれど、なんとなく知ってる」人たちと、「読んだことはあるけれど、よく覚えていない」人たちの認識に、さほど大差はないのだった。
 では、いったい、「読む」とは、どういうことなのか。何をもって、「読んだ」と云い得るのか-。

 だったら、読まなくても読書会が開けるのではないかと考えたのが、本書の企画発案のきっかけだったそうです。面白い着想ですね。

 さて、本書の前半は、読んでいない状態での「推理」の場。このパートは正直、「?」でしたね。
 企画としては、この部分が斬新なチャレンジなのですが、評価は分かれるでしょうね。“ワクワク感”を感じる人もいるでしょうが、既読者の中には、“延々と続く無駄話”といった印象を持つ人もいると思います。
 私の場合はと言えば、まさに「罪と罰」を読んだばかりだったので、作家のみなさんの時折の鋭い推理力に感心することもありましたが、大半が「仲間内の雑談」的なやりとりに終始していて少々退屈な感じは拭えませんでした。

 その点では、後半の各々が読み終えてからのパートの方は結構面白かったですね。参加者が持ち寄った「文庫本」には付箋紙がびっしり貼り付けられていたようです。気になった箇所を抜書きした個人ノートも登場します。
 そういった中でのやり取りの一例、作品の中でコミカルなシーンが描かれている点を捉えて。

(p241より引用) 三浦 そうですね。もっと重厚なのかと思ってました。
篤弘 ドストは明らかに笑わそうとしてるよね。
三浦 絶対、エンターテインメントとして書いてますよ。次の展開への引きの強さといい、個性的な人物たちといい。
篤弘 この面白さからすると、思想的な語りの部分は必要だったのかなと考えさせられる。

 ただ、どうでしょう、本書の場合は、思想的背景をもったメインストリームがあるからこそ、ところどころに見られる滑稽な光景がスパイス的に光るのであって、やはり全編エンターテインメントだと考えるのはちょっと行き過ぎかなと思いますね。

 さて、この挑戦的な企画本ですが、その締めの章で、三浦しをんさんは今回の経験を踏まえこう感想を語っています。

(p290より引用) 名作を読んでいないからといって、あるいは、読んだけれど大半を忘れてしまったからといって、恥じたりがっかりしたりすることはないのではないかと思います。読んでいなくても「読む」ははじまっているし、読み終えても「読む」はつづいているからです。そういう「読む」が高じて、気になって気になってどうしようもなくなったときに、満を持してページを開けばいいのではないでしょうか。本は、待ってくれます。だから私は本が好きなのだと、改めて感じました。

 しをんさんにとって、“読まない”読書会は、読む前から、「いったいどんな内容なのだろうか」とこれから手にとる本への期待を大きく膨らませる前奏曲でした。限られた情報をもとに、想像力を全開にしてストーリーを推理するとても刺激的な体験だったようです。そして、気持ちを高め満を持して本編のページを繰ったのでしょう。

 そういえば、私にとっても、こういった “読みたい気が満る時期” を待っている本があります。-「戦争と平和」
 小林秀雄氏の言葉を採録した「人生の鍛錬」という本に 「他の何にも読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。」と書かれていたのがきっかけで、数年前岩波文庫全6巻は買い揃えているのですが、まだ依然として本棚に並んだままなのです。

(注:今 2023年、買ってから15年たっても「戦争と平和」は私の本箱の中で微動だにしていません・・・)



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