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今さらながらボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を読んだら、なかば予想通りとは言えひどい本だった

前々から気になってしょうがなかった本の新装版を見付けたので読んだ。

【タイトル】消費社会の神話と構造 新装版
【著者】ジャン・ボードリヤール
【翻訳】今村仁司、塚原史
【発行日】2015.9.16
【発行所】紀伊国屋書店


フランス語の原著は1970年に出され、邦訳は同じ2人の訳者で1979年に出された。その後今村は2007年に亡くなり、ボードリヤールも偶然同じ年に亡くなっている。「訳者あとがき」によると、この新装版は塚原氏が当時の訳を若干修正・追加して分かりやすくしたものだ。

感想を一言でいうと、まあひどい本だった。

この本に興味をもった理由

wikipedia情報だが、西武の堤清二はこの本を読んで無印良品の着想を得たという。他にもいろんな文献の中で、『消費社会と神話の構造』やボードリヤールの名前に頻繁に出くわした。だから気になって気になってしょうがなかったのだが、長らく読まずにいた。

この本の位置付け

ポストモダン思想が大流行した時期の本である。ポストモダンとは「近代(モダン)の後」という意味で、近代の思想や価値観を批判する考え方であり、哲学、建築、芸術の様々な分野を席巻した。
訳者あとがきによれば、ある事典には次のように書かれており、ボードリヤールの没後の2007年もそのままになっているそうだ。

ジャン・ボードリヤールは現在最も重要な知識人の一人であり、その仕事は哲学、社会理論、そして現代の諸現象の主要な出来事を反映した特異な文化論によって構成されている。

スタンフォード哲学百科事典

以上が肯定的な評価だが、否定的な評価も世間にはたくさんある。ポストモダンの論者はいい加減で内容が乏しく、論理的でないとの評価もあり、僕も同感だ。代表格がラカンやデリダ、他にスラヴォイ・ジジェクも挙げても良い。彼らの文章の特徴は、専門用語、それも時には物理や数学の用語を多用して難解であり、また支離滅裂であることだ。おそらくは書いた本人も理解していないだろう。このような風潮は、ボードリヤールも含めて名指しで、ソーカルとブリクモンの『知の欺瞞』(1997年に仏語版が最初に出され、邦訳は2000年)でこてんぱんにやっつけられている。

ボードリヤールも同類と思われたし、訳者の今村仁司もいい加減なことを書く人日本代表のような印象だった(以前、このnoteで取り上げた、竹田青嗣の『現象学入門』で、今村も批判されている)。そのため『消費社会の神話と構造』は、気になっていながらなかなか手を付ける気になれなかった。しかし、新装版が出て訳も改訂されたという事だったので、意を決して読んでみることにした。

「難解」の三つの意味

難解な文章というとき、だいたいその意味は3通りある。
第一は、本当に高度な内容を扱っているため、言い換えれば読者のほうに賢さや予備知識が足りないために理解できないもの。
第二は、無駄に堅苦しい用語を使っているため、内容は簡単なはずなのに意味が相手に通じにくいもの。これは、単純に著者の表現力が乏しいためだったりして、悪意が無い場合もある。一般人には専門用語は難しくても、専門家は専門用語を使ったほうが楽なのである。あるいは、著著者が専門用語を使いたくてしょうがなくて、分かりやすさを犠牲にしている場合もある。
第三は―これが最も悪質なのだが―、そもそも内容が無いので、いくら理解しようとしても原理的に理解しようがないものだ。著者に悪意が無くても、本当は分かっていないのに分かった気になっている内容を文章化しようとすると、こういう文章ができ上がってしまう場合がある。ビジネスマンが企画書でこれをやると、上司から膨大な量の赤字が返って来る。いわば思考の解像度が粗いので、論理がつながっていないことに著者自身も気付かないのである。
この本の場合、ほとんど第二か第三に当てはまるように思われた。

この本のすごいところ

今読むと、別に大したことは何も言っていないように思われるのだが、それは「今」だからかもしれない。言い換えれば、この本が初めて世に出てから数十年が経過して、この本の思想が世界に広く行き渡っているので、今=2020年代に生きている人間にとっては、新規性が感じられないのかもしれない、ということだ。というのは、序文(ボードリヤールとは別の学者による)や訳者あとがきによれば、少なくとも次の点は、当時としては斬新なアイデアだったようだ。

  • 現代社会では、消費も生産システムに取り込まれ、より大きなシステムになっている。

  • モノを消費するということが、差別的な価値の体系に否応なく参画することを意味する。

分析の深さというか浅さ

どうも上の2点以外はオリジナルな内容がほぼ無いのではなかろうか。10ページくらいで言えることをだらだら引き延ばして300ページにしたような感じである。この本の中ではヴェブレンの『有閑階級の理論』やリースマンの『孤独な群衆』、ガルブレイスがしばしば引き合いに出される。リースマンとガルブレイスは読んだことがないので分からないが、少なくとも『有閑階級の理論』の出来の悪い焼き直しと思われる箇所が随所にあった(たとえば第三部の第3章「余暇の悲劇、または時間浪費の不可能」)。
分析もずさんで表面的で、飲み屋で酔っ払いがくだ巻いてるのとたいして変わらない(僕も酔っぱらったら似たようなことをペラペラしゃべるかもしれない)。ボードリヤールは消費社会特有の現象として記述しているが、別に現代に限らず古代からずっとそうだったようなことも多い。

おわりに

結果はともかく、ずっと気になっていた本を1冊攻略できて良かった。
しかしこの手の本は、正直ポルノなんかよりもよっぽど有害図書だと思う。疑うことを知らない善良な人がけむに巻かれたり、前途ある若者が進むべき道を誤ったりするかもしれない。


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