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回顧・雑記集

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幼い頃の話。

幼い頃の話。

今日は少し、暗い話になる。

私には5歳上の兄がいる。自分でなんでも考えて動くタイプの兄だ。

両親は私をとても可愛がったが、「兄が成長したルートを、私が辿らない」と、比較の目を常に持っていた。

「お兄ちゃんはあなたくらいの時には漢字を書いていた」
「お兄ちゃんは怒られても笑っていた」
「お兄ちゃんはあんたくらいの頃には留守番ができた」

そして、「あんたは何もできないから」と続く。

それは幼

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分不相応な指輪の話。

分不相応な指輪の話。

思い出話をしよう。

7つ8つ年上の、幼馴染のお兄さんと結婚することになった19歳の私は、もの知らずに育っていた。

婚約指輪をもらう段になり、近所に宝石職人さんがいるというので、「作ってもらおう」と夫に言われた際には、相場がどれくらいなのか、指輪とはどのようなデザインのものがあるのか、自分にはどんなものが似合うのかもわからないまま、義母と夫に連れられて、職人さんの作業場に向かった。

その日は、

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子どもを尊重する人でありたい、という話。

子どもを尊重する人でありたい、という話。

私には高校生の長女と、保育園児(二歳)の次女がいます。

幼いころの長女の教育を、後述する事情で私は義母と夫に任せていたのですが、その教育方針を実母がよく「おかしい」と言っていたのを覚えています。

その教育方針は、「自分で考えられる子、生きられる子にする」というもので、どんなに幼くても選択をさせたり、お話で解決しようと試みたり、危なくない範囲で、いたずらは徹底的にさせるし、時間がかかっても意見を

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夏休み

夏休み

梅雨が明ける頃になると、ミンミンゼミが鳴き始め、空が一気に青くなる。
この時期になるとやってくるのが、夏休みである。

子供の頃はよかった、という話をしようというのではない。
親になって苦労をしている、という話でもない。

私が小学一年生の頃だ。
母が婦人病を患い、手術のために近くの病院に入院したことがあった。
時期は夏であった。

私は母がなぜいないのか、なぜ祖母が手伝いに来ているのか、ちっとも

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夢路より

夢路より

漠然と、子どもの頃に口にした夢が、私にもあった。

ただそれは、こういうと喜ばれるだろうとか、こういうのが普通なのかもしれないという意識によって、当時導かれた答えに過ぎなかった。

絵を描くのが好きな幼い頃の私は、画家になりたいと言ったし、漫画家になりたいとも言った。

だが、何度も口にしていれば、それが自分の夢であり望みなのだと、意識の中に固定化し、根ざしていった。

幼い子どもが、ずっと絵を描

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ーお兄さんと私ー

ーお兄さんと私ー

私と夫は、幼馴染というには年が離れているけれど、人に説明するのには便利なので、幼馴染と言っている。

正確には、私の生家のお向かいさん、そこの三人兄弟のうちの、2番目のお兄さんである。7、8歳、離れている。

1番歳の近い、末のお兄さんよりも、私はこの真ん中のお兄さんのことを、小さい頃からなんとなく好ましく思っていた。

それは恋愛感情とかいうのではなく、安心感というものに近かった気がする。

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魂について

魂について

私には、二回だけ不思議な体験がある。
細かい体験はもう幾つかあるけれど、これは確実と言えるのは、二回だ。

一回目は、お腹の子どもを亡くして、その供養をしたときのこと。
私と夫で、小さな法要をお願いしたのだが、涙を流して必死でお念仏を唱えていたところ、キラキラとした光が囁くかのような声で、「ありがとう」と聞こえたのだ。

まるで、鈴の音のような声だった。「お母さん、ありがとう」「お母さん、大好き」

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生きるだけで、変わるもの

生きるだけで、変わるもの

「三十五歳までに、何事もなせないなら、どうぞ死なせてください」

私は十五の時に、そう神社に願掛けしたことがある。

役に立つ人間でも、名を残せる人間でもなく、漫然と生きているのは、命の無駄遣いだと、あの頃思っていたように思う。

人は、大抵大きな名声とは無縁で、小さな干渉と影響をしあう中で、磨かれ、成長していく。

だが、幼かった私も、それを知らなかったわけではないし、若さゆえの傲慢さからのこと

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