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来るとか来ないとか、よりも。

そろそろ12月。この時季、会社の同僚たちに大きめの荷物が届きはじめる。
お子さんへのクリスマスプレゼントだ。
人気のおもちゃは早い者勝ちで、なおかつサンタが来る当日までは見つかってはいけないそうで、自宅ではなく会社に届くように手配する人が多いのだ。
ロッカーや机の下に押し込んでいる様子を横目で見ながら、大変だなあ、と思う。


サンタクロースを信じて待った経験が、私にはない。我が家には来なかったから。
物心ついた時からそういう家だったので、手紙を書いてお願いするとか、靴下を吊すとか、一度もやったことがない。
両親がドライだったのか、単に忙しかっただけなのか・・・それでも、毎年クリスマスは楽しみだった。

プレゼントは両親と一緒に買いに行った。私は毎年、本をたくさん買ってもらって、冬休みの間はずっとそれを読んでいた。児童文学や世界名作シリーズ、怪盗ルパン全集、星新一も好きだった。

クリスマスの朝になると、きょうだい一人ひとりに、お菓子の入ったブーツが渡される。ふだんは禁止されているキャラメルが入っていて、大喜びしたのを覚えている。

それから母は、ケーキを焼く。オーブンが無かったので、圧力鍋を使っていた。泡立てや飾り付けを手伝いたくて、ずっとそばで見ている子どもたち。残ったクリームを舐めさせてもらうところまでが、毎年のお決まりだった。

そして、私たちきょうだいのテンションが最高潮に上がるのが、夕食に出される山盛りの唐揚げ。骨付きでもリボン付きでもなかったが、当時の私たちが一番好きな料理だった。グラタンとコーンスープも並んで、ふだんは和食中心の地味な食卓が、この日だけはとてもお洒落に見えたものだ。
夕食後には、母のつくったケーキを食べる。父が仕事帰りに買ってきてくれたアイスクリーム(確かレディーボーデンだった)を横に添えてもらい、なんて贅沢なんだろうとうっとりしながら食べた。
そんな子どもたちの横で、洋食が苦手な父は、いつも通りに刺身や豆腐で晩酌していたっけ。

こうして振り返ってみると、両親がドライだったなんてことはなく、子どもたちのために実はいろいろとやってくれていたんだとわかる。
いつもよりちょっといい夕食も、特別なデザートも、真新しい本も、ぜんぶが両親からの贈り物だった。そこにサンタクロースは必要なかった。

いてもいなくても、来ても来なくても、どっちでもいい。
そう思っていたから、正体を知って傷つくとか、親に気をつかって信じているふりをするとか、そういう経験もしないで済んだ。子どもらしくなかったとも言えるが、クリスマスの思い出が楽しいことばかりなのって、なかなかいいことなんじゃないかと思っている。

素朴で賑やかで、ありふれた家族の記憶。それを今も鮮明に覚えているのは、サンタの設定を持ち込まないでいてくれたおかげなのかもしれない。だとしたら、当時の父と母よ、グッジョブだ。


ところで、今年のクリスマスイブは土曜日、休日だ。
同僚たちは、会社に隠しているプレゼントをどのタイミングで、どうやって持ち帰るんだろう。幼稚園の息子さんがサンタに何をお願いするのか教えてくれないと困り果てている後輩くんは、一体どうするんだろう。
そんなことよりも、唐揚げと焼き鳥、私はどちらで乾杯するべきか。

どうでもよくて大切な、それぞれの悩みとともに、もうすぐ12月がやってくる。


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