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奮闘の春闘と無駄な説法。

なぜかこんなラップ的なライムを刻んだタイトルが思いついてしまった。
なのでヘッダーのイラストも、そんな雰囲気でCopilotに生成してもらった。


そんな話はおいておいて、「春闘」の季節だ。
春闘とは「春季闘争」の略で、2月くらいから会社の労働組合などが行う、賃上げの交渉や労働条件の改善などを訴える動きのこと。

今年は日本でもちょこちょこストライキが行われる予定らしいけれど、私は日本にいる間、ストライキが行われているところをほとんど見たことがなかった。


かたや、ドイツは圧倒的にストライキが多い。
ヨーロッパは総じて多いと聞く。
そんなストライキが多い中で、特に生活に支障が出るのが交通機関のストライキだ。

そちらは「春闘」どころの騒ぎではなく、私がドイツに来てから3ヶ月に1度はどこかの交通機関がストをしている。


「ストライキ」はそこで働く人たちの賃金や、労働条件を良くするために行うもの。
だから、インフレが続くヨーロッパ圏でストライキが頻発するのは、当然といえば当然なのかもしれない。

とはいえ巻き込まれる方は、手間と損失が増える。

ルフトハンザ航空のちょっと小さめ旅客機


航空会社と空港(職員)のストライキは、チケット代が高い分、ほかの交通手段よりも高く調整に金銭的な損失が出やすい。

例えばルフトハンザ航空がストライキを起こすと、日本で言うならANAとJALが合同でストライキを起こすのと同じくらいのダメージが出る。


あと空港の地上職員によるストライキというのもある。
それはその空港に離発着する飛行機のほとんどが、航空会社に関係なくキャンセルになるというものだ。

ミュンヘンやフランクフルトなど、ドイツの主要空港が2,3日止まるとなれば、ものすごい規模の金銭的損失と、数百万人の移動に影響が出る。
(まれに着陸予定空港に比較的近い空港まで飛ぶ、振替になることもあるらしいけれど、ほぼないと思ったほうがいい)

ストライキによるチケットなどのキャンセルは、ストが発表されたタイミングで即時払い戻される。
けれど航空会社によっては座席指定料などのオプション費用は返金されないこともあるし、ストライキのせいで行けなくなった旅先のホテルのキャンセルや変更にかかる費用の補償もないので、とにかく金銭的なダメージを受けがちだ。


DBといえば、この赤い色!

電車・路面電車・バスなどもストライキをする。

最近よく「警告ストライキ」と呼ばれる「こっちは本気マジだからな??」という気持ちを見せるストライキで止まっているのが「 DB 」と呼ばれるドイツ鉄道(Deutsche Bahn)だ。

ちなみにDBは日本で言うところのJRのポジションの鉄道会社。
新幹線のような高速長距離電車(ICE)もあるけれど、ストライキでは8割以上が止まってしまうという。

もともとDBの電車は全体的に遅延とキャンセルが多いのもあって、今は更に利用しづらい移動手段になってしまった。

これは最近出会ったかわいいレトロ路面電車

ちなみに一番ストライキの少ない交通機関は、私の住む地域の場合、一番生活に近いところにある路面電車(トラム)と路線バスだ。
(一応私鉄扱いになるのかな?)


それでも、2月は2回ストライキをしていた。
トラムやバスが止まっている日は、町が本当に静かになる。
車移動をする人は変わらないけれど、私の住むエリアは良い頻度で路面電車やバスがくるので、それがなくなるだけで人と乗り物が動く「音」が減るのだ。

先日初めてストを起こしていたとき、町を歩いていたら、トラムやバスがなくなるだけでこんなに町が静かになるんだ……と驚いた。


そんなストライキは起きると大体2日弱、長いと1週間近く動きをストップしてしまう。

交通機関系のストライキのお知らせは、早くて1週間前、遅いと前日くらいにドイツ国内のニュースや日本大使館から知らされる。
(たびレジに登録しておくと、メールも届く)

しかも最近は、DBと一部の労働組合の闘争がこじれにこじれて「今後は予告せずストライキする」と言い出しているという。
ということは、DBの電車を使う予定を立てた場合、ストライキで電車が止まったことを当日知るということになる。
それは流石に対処のしようがないので、今の闘争に決着が着くまで、大事な予定には利用しないしかないという状態だ。

ほかの移動手段を使うにしても、予定にストライキが重なれば、どうしたって影響は出てしまう。
しかもストライキの場合、こちらの落ち度はなにもなく、向こう都合で起こる。


夫が出発時点からストライキに巻き込まれて七転八倒したのもあって、私もドイツに来た当初は、ストライキをかなり警戒していた。
お知らせが来るたび、自分に関係がなくても少し緊張しながら過ごしていた。

しかしドイツに住むようになってもう少しで1年になる今、そんな感覚はすっかり薄れている。
私のなかではもはや、ストライキは「天災」みたいな感覚なのだ。


突然やってきて人生に多かれ少なかれ被害を与える。
それに対して怒ったりいつ来るかと怯えたりしても、どうにもならない。
多少備えることはできるけれど、起きてみないと準備がどれだけ有効かははっきりしない。


人によって引き起こされているので「人災」なはずなのだけれど、影響の受け方としては「天災」に似ているのだ。
というか、そう思ったほうが心が楽だ。


そう思うようになってからは、悪戦苦闘することはなくなった。
もうすっかり慣れっこだ。
怒らず、慌てず、淡々と受け入れて対応していく。
そこにもう感情の揺れ動きはない。
自分に必要なことを抜き出し、すべきことをする。



交通機関は日々定刻通りに動いてほしいものだけれど、ストライキのような企業と労働者の揉め事に、専門でもない私が介入しようがない。
何か言ったところで、ストライキは終わらない。

戦争や平和、環境問題みたいな、目先の問題でなくても意識しなければいけないものとは話が違う。

そんな他人同士の揉め事に勝手に影響されて、苛立ったり文句を言うことに意味はない。
それなら、その時間を別のことに使ったほうがいいと思うようになった。

ヘッダーのために作った、ほかのAI画像①
好きな色味だけど、構図がヘッダーに合わず残念…


ドイツで暮らすようになってから、不便なことや不条理なことを受け止め、対応していく力が圧倒的に上がっている。
なによりこの手の唐突に起きる理不尽なことに苛立つことがなくなった。

あと、そういうことが起きすぎて、余計な期待と執着がなくなったというのあるかもしれない。


ここまで書いてきて、ふと思う。
「私、悟りを開きかけてない?」と。


皮肉なのは、最近ストライキを積極的に起こしている鉄道系の組合団体の掲げる、労働条件の改善の内容が” なかなか ”なことだ。

<団体が掲げる目標>
1週間の労働を38時間を35時間に削減
・月給555ユーロUP
・インフレ補償の一時金として3000ユーロ支払

「ドイツ鉄道運転士組合(GDL)のストライキと公益産業のスト規制」

この条件に至るまでにはいろいろな事情があったのだろうけれど、はたから見ると「今より働かないけどお金はちょうだい!」と言っているようにも見える。
(この条件を提示した理由は「楽してお金がほしい」以外のところにきっとあると思うんですが、断片的に見ると……ね)

ただ、たびたび交通機関と止められるという苦難を乗り越え、悟りを開きそうになっている身からすると、ちょっと笑ってしまう。

ヘッダーのために作った、ほかのAI画像②
なぜかラッパーが仏像にラップバトルを仕掛けてしまった


怒りじゃなく笑ってしまうのは、「これは私が関わりようのないこと」として、切り離せているからかもしれない。

これは組合と会社の問題であって、第三者の私がSNSなどで意見をつらつら述べたところでどうにもならない。

それなら、そんなことにモヤモヤしてないで、もっと自分が考えるべきことに時間を使おう、と思うのだ。


そういう感覚を持つようになってから、日本語のネットニュースやSNSで騒ぎになっていること見え方がだいぶ変わった。


すべてのニュースやそれに関わった人たちに対して、逐一ジャッジして何かを言う必要はない。
変わった視点をわざわざ持って、誰かに披露する必要もない。

そういうものが余計な火種となって、無駄に大きな騒ぎになることが最近は本当に多いのだから。
そういうこたに参加しないというだけで、日本社会に役に立っているような気すらしている。


まずは物事を感情抜きで見つめる。
事実だけを切り出し、知らないことがあれば調べてみる。
自分も考えたり関わったりするべきかを考える。

日本に溢れているニュースの中、8割はこの問いで「関わらなくていいこと」に分類される気がする。


最近SNSに、人の感情を意図的に煽るようなものを流す人が増えている。
それはインプレッションや再生数が稼ぎになるからで、それを生業にする人たちに、無駄なアクションをさせられてしまっている。
そういうものに、時間と心の余裕を搾取されてしまっているのだ。

そのむやみに搾取されたものが、誰かの稼ぎになってると思うとゾッとする。


そうならないためにも、一旦フィルターをはさむ必要があって、そのフィルター的な役目をするのが「これは私に関われることか?」や「関わる意味があるか?」という問いなのだと思う。

それを意識するようになってから、ニュースなどに限らず自分に関係の無いことと、自分にどうしようもないことに、時間と気力を割くことが減ったような気がする。

その分、自分や家族、友人など身の回りの人たち、故郷や世界の未来のために使う時間が増えたように思う。


そしてさらに、最近異様に読書量が増えているし、心をむやみに揺れることが減ったような気がする。

無用な情報が自分にとってどれだけ毒なのかを身をもって知る毎日だ。


最後に、仏教では「 悟り 」は52段階あるらしい。
1年弱で何段かあがった感覚があるけれど、
残りのドイツ生活で、あと何段あがることになるのだろうか……?

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