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【目印を見つけるノート】1395. 瞬間瞬間が永遠であるかのように

今日職場で、定年退職のかたが最終出社でしたので、退出時ごあいさつしてきました。今後はふるさとに戻って同じ職種のお仕事をされるとのこと。
ますますのご活躍をお祈りしています✨

さて、
きのうのnoteにいただいたコメントにも書きましたが、まだまだまだまだ∞ですね。
さらに一歩踏むこむこと、さらに精読することを実地の自習と併用していく必要をひしひしと感じているところです。段階としてはまだ発題の準備、入口の手前といった感じです。まあ、20年ぐらい経てば少し進歩が見られるかもしれません。

いずれにしても、武蔵野方面のいいテーマができました。

さてきのう、こちらのニュースを見ました。
江戸時代初期の(戦国末期にもあります)日本のキリスト教禁教・迫害に関する研究プロジェクトです。アンジェロ・オルスッチ神父の殉教400年を機に開かれた会議のことが書かれています。

この記事に出てくる、
バチカン図書館の前館長チェーザレ・パシーニ師の短いインタビュー記事を2014年に読売新聞で読んだのです。その記事は切り抜いて取ってありますが、「日本宣教と禁教・迫害」についてもう少し詳しく知りたいと思うきっかけになりました。また、2017年から公開している小説『16世紀のオデュッセイア』の底流のひとつにもなっています。
キリスト教の信徒ではありませんが(他の宗教の信徒でもありませんが)、今後もいっそう学んでいきたいと考えています。

伊達政宗公や水野勝成公を書くので去年は『徳川実紀』や細かい年表を見ましたが、キリスト教の宣教師や信徒の処刑の記事は江戸初期頻繁に見られます。つい目に入ってきてしまうほどです。遠藤周作さんの『沈黙』がスコセッシ監督によって映画化されていますが、あのような光景が頻繁にあったということです。調べながら、スペインと関わりを持っていた仙台藩は相当難渋しただろうと思いつつ書いていたことを思い出します。

翻って思うのは、
調査(研究ももちろん)というのは今日調べたことを明日発表するというような簡単なものではありません。それでできるものもあるでしょうが、本来は何十年も費やして時間がなくなれば後進に託すというような性質のものでしょう。
それほど緻密にはできませんが、私も、
興味関心を持ってテーマに決めたことは、断続的になってもずっと追求していきたいです。

私がこちらに書くのは論や説やまとめ、あるいは果実ではないとしみじみ思います。
遠くから木を眺めているほどの過程だけです。
今はそれが望ましいと考えています。

それではそろそろ『オデュッセイア』にかかりましょうか。

今日の曲です。
Ben Harper『Forever』

永遠というのは、現実の時間の区切りにはありません。けれど、それがふっと感じられる瞬間があるように思います。
それはほんの一瞬のことで、
やっぱり永遠ではないのですけれど、
美しいものに触れているとき、
日だまりの草原にいるとき、
愛しい気持ちがあふれているとき
などが該当するように思います。
逆に、危険なとき時間が伸びるように
ゆっくりになる場合もあります。それはあまりお目にかかりたくないですが。

願わくは一瞬一瞬を永遠のように
大切に過ごせますように。

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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