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【目印を見つけるノート】1197. オブリージュはオブリガード

さて、
野川と武蔵野のお話が想定外に長くなりましたので、その間のお出かけのことを書けませんでした。

今日はそのうちのひとつを。
7月11日、
行ってきました大手町。
丸の内の職場に通っていたときもあったのですが、何しろずーっと前で浦島太郎です。
最寄りのJRは東京駅ですが、八重洲側は中央区で丸ノ内側は千代田区だというぐらいは知っていますよ。
念のため。

線路に沿って神田方面
水路に沿って遊歩道。前はなかったような気がします。
やっと着いた(ほっ)。道の先はお堀です。

会場まで歩く歩く。ビルひとつが町ぐらい広いですから(大げさ)。お堀端神田寄りのビルは遠い。開場時間を過ぎるかと思ったら、ちょうどに着きました(ほっ)。

今日のお目当てはこちらです。
『庄内藩酒井家シンポジウム』です。

今大河ドラマでは『どうする家康』が放送されていますが、家康四天王の筆頭・酒井忠次の酒井家の忠勝が庄内藩(山形)に入部して400年なのです。
ちなみに、大河の忠次は大森南朋さんが演じています。

※以降本文中、歴史の方は敬称略、現在の方は「さん」とさせていただきます。

そのような話題にもなっていますが、
会場はおそらく庄内にゆかりのある方が多かったのではないかと見受けられました。私はよそものですが、実は縁がなくもないような感じです。

チラシにありますが、講演に徳川宗家当主の徳川家広さん、パネリストに酒井家世嗣(次の当主)の酒井忠順さん、歴史家の加来耕三さん、NHK歴史番組プロデューサーの小林好雄さんと私などからしたら垂涎の取り合わせですので、一も二もなく申し込んだのでした。

不思議なのですが、
このチラシ、東京大神宮に置いてあったのです。山形のアンテナショップなら順当なのですが。
お社にまつわる不思議はたまにあります。芝大神宮のお守りを付けたら速攻で『め組の喧嘩』の歌舞伎があると知ったりして(前にも書きましたが、め組の喧嘩は芝大神宮で起こった事件です)。
そのようなときは、呼ばれたと思って行くことにしています。

呼んでいただいて、ありがとうございます😆嬉しいです。

もとい、
はじめに徳川さんの講演でしたが、家康と忠次の関わりから語り起こされます。
具体的には高天神城攻めで信長が忠次の意見を聞き入れたこと、小牧・長久手の戦いで森長可を討ったことなど、忠次の才覚と功績を語られました。
家康が妻と子を亡くしたのにも触れていました。後の記録に、家康の妻・築山殿が武田と通じているか信長に問われたのに対し、家康家臣の酒井と大久保が明確に「否」と言わなかったことが書かれています。
徳川さんは、「(家康は)ただ、つらかっただろう」とおっしゃって、誰のせいーーというのは諸説あるが忠次ばかりのせいではないとされていました。
「つらかった」
それがとても印象的でした。
そこから関ヶ原が大きな転換点だったこと、なぜ酒井家が庄内を任されたのか、幕末に江戸市中見廻りを庄内藩が任された理由、そしてなぜ戊辰戦争で生き残れたかということにも言及されました。幕府と庄内藩のつながりが感じられるお話でした。
徳川さんは大局を見るようにお話されており、徳川家のことのみでなく信長・秀吉・石田三成・西郷隆盛までフラットに捉えられています。
そこはたいへん新鮮でした。

そういえば昨年は福山で、徳川四天王のご子孫が集うシンポジウムがありましたが、行きたかったなあ。私の行った時期のあとだったのです。
福山では3つ講演に伺いましたが、水野勝之さん(水野家当主)の講演に伺えたのでハッピー、ラッキーでした。書きましたね。それだけでなく、会場の商工会議所の1Fにラジオ局ブースがあってはしゃいだ記憶が😆
おこちゃまです🙍

水野勝成を書いていて、ご子孫に遠くからでもお目にかかれる機会があるのは、本当に奇跡のように思います。
ご褒美です。
同様に、勝成の年長の従兄弟としての家康に始終ご登場いただいていますので、今回の講演も、私にとっては素敵なご褒美でした。

一方、
酒井家世嗣の忠順さんはお若くて真面目で、溌剌とした印象の方だとシンポジウムでのご発言も含めて拝見していました。藩校だった致道館博物館の館長に就任され、庄内地域のためにさまざまな活動をされているそうです。
大河で話題になっている『えびすくい』の踊りも実演してくださいました👀‼️
あの振り付けが史実通りなのかは分からないのですが、ハードな感じです。運動能力がないと難しいと思いました。

シンポジウムで新たに知ったことのひとつは、薩摩藩と庄内藩の深い関わりでした。特に幕末、西郷隆盛が庄内を訪れたり、庄内藩士が薩摩に留学したりするなどの交流があったことです。「会津とは違うんだな」と思いました。
人と人の繋がりが最後の安全ボタンのように窮地を救うことがありますが、そのような理解をしました。

もうひとつは「本間さん」です。庄内の商人、大実業家とのこと。庄内藩の運営に一定の役割を果たしていたのですね。私は今回、参考にしようと思って『藩シリーズ 庄内藩』という本を持っていきましたが、著者は本間さんという方だと気付き、ちょっとびっくりしました。

お話の中でもっとも興味が湧いたのは「北前船」と酒田の港の話です。
見方によってはポルトガルのインド航路(南下してアフリカを抜けてインドに出る)に匹敵する「大回り」かとも思うのですが、沿岸を進み間違いのない運送をしたのは素晴らしい仕事だったと思います。もう少し調べてみようっと📚

とても楽しいシンポジウムでした。
そういえば、会場に行く途中の近隣のビルの一画で、このような標柱を見つけました。

そうか、上屋敷はここだったのですね。
そういえば酒井雅楽頭(うたのかみ、幕府老中・大老)家と仲は良かったのかなあ🤔
下馬将軍の。

質問したいことは他にもありました。次期当主の方に藤沢周平の小説の印象を聞いてみたかったのです。ただ、そのような質問をしていいのか分かりませんでしたので、できずに終わりました。
庄内藩といえば藤沢周平というぐらい有名ですものね。鶴岡がご出身で記念館もあるはずです。

さて最後に、
私と庄内藩のつながりです。あるのかないのか🤔
父が以前、「先祖が山形の足軽で、それで北海道に来た。苗字も今とは違っていた」と言っていました。それがイコール庄内藩かは分からないものの、庄内藩は対ロシア防衛を命ぜられ、足軽組を北海道に出しています。可能性はあります。

苗字は当時、「尾形」だったそうです。私のペンネームの苗字はそこから一部いただきました。捨てられた苗字を拾って復したということです。
前にも書きましたね😊

私が自分のご先祖さまについて聞いた情報はそれほど多くないのですが、20代からぼちぼち集めて、上記のように父方、母方の父方と母方までは辿る道筋をつけました。母方の父方については書きましたが他も調べればいけそうなので、調べたら書こうと思っています。

本当に、呆れるほど、書くことがたくさんあるなあ✨

逆に私はその程度の情報だけでいいのかもしれません。放っておいても勝手に調べ始めますし😅

今回のようにご子孫の方を拝見していますと、引き継ぐという「使命」があるのだと感じます。ノブレス・オブリージュとも言えます。酒井さんが先祖代々の菩提寺の公開についてお話をされていましたが、社会的な面も含めて守っていくというのは本当に重たいお仕事だと思いました。
心から敬服いたします。
貴重なお話を拝聴できて、とても嬉しかったです。

もう新聞記事も出ています。

それでは、今日の曲です。
The Pretenders『Message Of Love』

ご先祖であるとか家であるとか伝統のことをいいだすと、封建的であるとか窮屈だという話になりがちです。そのような面もありつつ、いちばん大事なのは「ご先祖さまはどんな風に生きてきたんだろう。私はどう生きていくんだろう。あなたが子をなしたからそれが私に連なっている。本当にありがとうございます」という感謝の思いで、非常にシンプルではないかと思います。
逆に見ると、ご先祖さまから見た末裔は自分達の愛の結晶、人生の結晶になるでしょう。
オブリージュは「奉仕」とか「責務」のような意味になりますが、「感謝」という意味もあります。ポルトガル語のオブリガードといえばわかりやすい。

つながっている。

それは自分にも託されたメッセージのようにも思います。

それでは、お読み下さってありがとうございます。明日の記事は歌舞伎です(予告先発)。

尾方佐羽

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