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映画『バベットの晩餐会』に見る「父」

良い映画を観た後は、エンドロールが長くは感じられない。
『バベットの晩餐会』
この映画を初めて観たときがそうであったように。

下から上へと流れていく文字は、殆ど読むことが出来ない。
おそらくデンマーク語。読めないけれど、目で追い続ける。
胸に在るのはなんとも言えない爽快感と、
満腹感だった。



そう、
何しろ、この映画、料理がすごい!
100分ほどの上映時間のうち、
後半の40~50分は食事のシーンで占められているのだから。
極上(らしき)ワインが惜しげもなくグラスに注がれ、
本格的なフランス料理が美しいテーブルの上に次から次へと運ばれてくる。
映画が終わるころには、すっかり、料理を堪能したかのような気持ちになっている。

前半の数か所で「ん?」と、違和感を抱く場面があったけれど、
そんなものは美しい料理と、主人公バベットの心意気――、宝くじの賞金を全て食材に使い果たすという潔さ――に消し飛んでいた。

しかし!
検証も含め、もう一度観た。


(あらすじ)
19世紀後半、デンマークの小さな漁村に
ある宗派の創始者である牧師がいた。
この宗派では世俗の愛や結婚を価値の無いもの、或いは幻想と考えていた。
牧師には二人の娘がいた。名前はマーチーネとフィリパ。
美しい娘たちには思いを寄せ、近づいてくる男が後を絶たなかったが、
そのたびに牧師はこう言って退けるのだった。
「神に仕える牧師にとって、娘たちは右手と左手だ。君は、それを奪うと言うのか?」

やがて牧師はこの世を去り、年老いた姉妹は父の遺志を継ぎ、結婚もせず、慎ましい生活を続けていく。

※ここまでが前半で、
この後、ひとりのフランス人女性、バベットがやってくる。
彼女はパリ市の動乱で家も家族も失い、知人の男性歌手のつてを頼りに、着の身着のままで二人の元へやってきたのだった。
そしてある日、バベットが宝くじに当選する。賞金は1万フラン。
折しも牧師の生誕祭が計画されていた時で、バベットはそのお金で生誕祭の料理を作らせて欲しいと申し出る。
バベットは、かつてパリの高級レストランのシェフだった。

※※※※※※

さて、
初鑑賞では殆どスルーしてしまった前半の部分。
(というより、後半の晩餐会に目と心を奪われ、忘れた?)

牧師は、娘たちに近づいてくる男性に対し、

「神に仕える牧師にとって、娘たちは右手と左手だ。君は、それを奪うと言うのかね?」

こう言って退ける。
神に仕える牧師だからと言って、娘たちの自由を奪い、束縛することが許されるのだろうか、
そもそも、彼は、自らは結婚し、子供を持ったというのに、子供の結婚は認めない。
おかしい。
あるときは宗派の“教え”を無視し、またある時はその教えを振りかざし、愛や結婚を否定する
理不尽だ。
あるいは、この映画はその「理不尽」を、そのまま描こうとしただろうか。
一人の父親としての彼は、反面教師としての役割を担っていたのだろうか。

その答えは宙に浮かんだまま、
やがて映画は後半の「晩餐会」へと移る。

尋常ではないほどの食材、贅沢なワイン、白く輝くテーブルクロス、
そして、見た目も美しい料理の数々。
デザートの果物が出てくる頃には、
「理不尽」も「疑問」もはるか彼方、どこかへ飛んで行ってしまう。

エンドロールが流れる頃は、
二度目とはいえ、やはり満腹感に満たされている。
晩餐会恐るべし。
何度観ても、食い気に勝るものは無いのか
我ながら呆れる。

翻って、我が父への感謝と共に鑑賞を終えた。





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