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短編小説:創作武器オークション


1

――おれは昔から、何かを作るのが好きだった。いや、そう言ってしまうと少し違うような気がする。作るのが好きな訳ではない。というより、複雑なものが嫌いなんだ。そういうものをみると、我慢ならない。

『まもなく終点、ダウンタウンでございます。お降りの際は手荷物、携帯武器などをお忘れになりませんよう、ご注意ください』

不意にアナウンスが鳴り、機関車は緩やかに速度を落とし始め、あちこちからガサゴソと荷をまとめる音がする。

通路を挟んだ反対側に、太ったスーツの男が座っていた。品のないゴールドの腕時計をつけている。いかにも成金、といった風体だった。

そういえば昔、親父の腕時計のコレクションの一つを分解したことがあった。やたらと複雑で精巧なものだ。チクタクチクタク。あの中には絶対になくてもいい歯車があると思ったんだ。

でもおれが結局、最後に学んだのは親父の拳の硬さだけだった。ただそれだけ。メカニズムなんて分かるわけもない。丸二日は親父の手の跡が残ってた。親父は平和主義者だったが、息子の顔は殴る人間だった。

でもそれでおれは更に確信を深めた。

いつだって物事は、シンプルなほうがいいに決まってる。仕事だってそういうもんだ。だから企業の連中は、たくさんの人間が一人でもできる仕事を、最小単位まで分解してそれぞれの専門として分担している。今後の経営を決めるやつから、窓口の電話受付係まで。分担して、分担して。そのほうが効率がいいんだ。

不意に反対席の成金男が、こちらの視線に気づく。
「何見てやがる」

おれは「なにも」とだけ返し、車窓の景色に目を向けた。

長い機関車の旅は、窓の景色をのどかな田園風景からすっかり都市的なものに変えてしまっていた。巨大な歯車、複雑に絡み合った管、そして視界が霞むほどの濃い蒸気。それらがひとつの途方もないうねりとなって、この都市を動かしていた。

「ちっ、貧乏人が。安い革靴に、ぼろきれみたいなコート。よくそんな格好でこの街に来れたもんだな」
男は明らかにこちらに聞こえるように、そう吐き捨てた。

「ああ、それは済まなかった。おれもすこしくらい上等に着飾ってくればよかったよ。あんたみたいに外側だけでもな」
おれがそう言ってやると、男は少し考えてから皮肉に気づいたのか、だしぬけに立ち上がった。どうやら本当に外側だけだったらしい。

成金はおもむろに右手を自分の胸の高さまで掲げると、こちらに向けて肘を伸ばした。カシャン、という金属音がして、おれの目の前に銃口が現れた。

「おい、ここは金融街だぜ? 金があれば多少のいざこざは有耶無耶になる。お前みたいな貧乏人が、一人か二人消えたところで――」男の言葉は、そこで途切れた。

少し間があって、おれは男の袖口から覗く小さな銃口をつまんだ。
「仕込み銃だな。トリガーは……指の動きに連動しているタイプか。だが二世代前のもんだ」

おれは話しながら、男の袖をまくり、腕に装着された銃を眺める。
「手入れがなっていない。さっきの音を聞いてもわかる。こういう仕掛けが凝ったものは、定期的に接続部に油をさすんだ。バネも弱くなってる」

留め具を外し、ネジを緩め、小銃を分解する。
そのあいだ、男は黙ってその様子を見ていた。額に冷や汗が浮かんでいるのがみえる。
「……お前、殺し屋か?」

汽車が減速し、蒸気の吹き出す音が聞こえる。窓の外にはレンガ造りのプラットホームが広がっていた。

「そんな低俗なやつらと一緒にするな。おれは芸術家であり、表現者だ」

男の頬からは一筋の血が伝っていた。それは脂汗と混ざり、涙のように男の首元へ落ちる。

「おれは武器職人だ」
立ち上がって、男の耳元に突き立ったナイフを抜き取る。座席には深々とした傷が残った。


汽車を降りて駅に降り立つと、炭とオイルの匂いが鼻をつく。

街に出て、人混みをかき分け、金融街の方向へと足を向ける。

古い革靴のかかとがレンガ造りの路に、小気味よい音を立てる。

親父はこういう路上で、マフィアの流れ弾を食らって死んだ。世の中そういうもんだ。戦争推奨派の役人がいれば、それを嫌う役人も。その先には奴らの代わりに銃の引き金を引くしたっぱがいる。

複雑さを好む連中ってのは、いつだって問題や責任の所在を明らかにしようとする。が、答えはいつもひとつだ。したっぱは自分がなんで銃に弾を込めているのか、なんてことには興味がない。ただそこには金というシンプルさがあるだけだ。

地上の連中は、自分たちの平和が永遠だと信じている。今日もどこかで誰かが死んでいる現実から目を背けたくて。次は自分の番かもしれない、という可能性を否定したくて。でもいつかは終わりが来る。もう来てる奴もいる。金払いの良い悪意にさらされ、自ら死ぬことを選んでいるマヌケ。

そういう猥雑なストレスから身を守るためには、武器が必要だ。やられる前にやる。それが今の世の中のトレンドってやつだ。

何かを得ることができる人間ってのは、何かを捨てることができる。自分の立場が上がれば上がるほど、切り捨てなくちゃいけないものってのは増えていく。両方ってのはいつだって絵空事だ。意見を譲らない人間が二人いれば間違いなく争いが起こるし、道に金が落ちていれば拾えるのは一人だけだ。

そういう奴らは得てして不安なんだ。復讐を恐れている。じぶんが切り捨てた他人による復讐を。夕食に家族で予約をとったレストランのトイレで。仕事から帰る途中のタクシーの後部座席で。あるいは自宅の庭で分厚い本を読んでいるときなんかに。ふとした瞬間、すれ違う隣人の目に復讐のマズルフラッシュをみるんだ。仮にそれが単なる被害妄想だとしても、切り捨てたという事実は変わらない。奴らの多くは眠るとき睡眠薬が必要なはずだ。

いわばおれたち武器職人ってのは薬剤師みたいなものかもしれない。クライアントの症状を伺い、それによく効く成分を見つけ、丁寧に調合する。

武器職人で成り上がれば、金に不自由することはない。これはその第一歩だ。

呼吸を整えて角を曲がる。古ぼけたビルとビルのあいだ。人間ふたりがギリギリ通ることができるほどの隙間。

通路を奥へと進んだ。二回ほど曲がった先でひらけた空間に出る。壁にはいくつかの扉があり、どれも大昔から使われていないような趣がある。そのうちの一つのそばにスーツを着た人影が立っているのが見えた。質素な裏路地にそのような上等のスーツの男が気配を消してただ立っているという光景は、異国の像をまじまじと眺めているような不思議なものがある。

おれはその人影に近づいていき、持っていた手荷物と一枚の封筒をみせる。

「確認いたしました、こちらへ」

男はそう言うと顎で背後の錆びた鉄扉をさして、そのノブを回した。

扉の先は、地下へ伸びる階段だった。中に入ってまず感じたのは、そこを吹き抜ける異様な熱気。そして大音量のオペラ。入り口の扉が軋みながら閉まると、まるで腹を空かせた猛獣の食道に押し込まれたような心地悪さを覚える。

体重を重力に任せるようにして階段を降りていくと、階下に広い部屋が現れた。部屋にはいくつかの卓とカウンターがあり、十数人ほどの人間が詰め込まれている。薄暗い室内に漂う葉巻の煙と、裸体に近い女たちの体。鼻をつくアルコールと汗の匂い。それらが渾然一体となって、蜃気楼じみた空気を織りなしていた。

異様さを感じたのは、そいつら全員が仮面の姿だったことだ。羊の頭をモチーフにした角つきのもの、虫の複眼を模したようなもの、歯をむき出しにした鬼。そういった異形の面が、広いホールにひしめいていた。

階段の最後の一段を降りきったとき、それらの異形たちの意識がこちらに向けられるのを感じた。そしてそれがあまり歓迎とは呼べない色であろうことも。

おれには、そのホールに集まっている連中に品性のようなものが欠けているように思えてならなかった。スーツの着こなし、袖から覗くタトゥーの絵柄、目つきの鋭さ。そういうものから裕福さとは無縁のものを感じた。

おれは眉間にしわが寄るのを、おさえきれなかった。

――こいつらは、客じゃない。
そんな考えが浮かんだ。

こいつらはおそらく金で雇われた傭兵かなにかだ。企業の重役、マフィアのボス、組合の役員。そんな金持ちどもから依頼を受け、彼らにはできない手荒な仕事をこなす。人ではなく、金に忠誠を誓った連中。シンプルでいい。

しかしおれの客ではない。おれの商品を握るのはこいつらかもしれないが、それを選ぶのは雇い主だ。こいつらがどれだけ職人のことを嫌おうが、おれが損をすることはない。

そんななか、受付にいたガーターベルトの下着の女が声をかけてくる。その女も他の者たちと同様に仮面をつけていた。
「招待状を」
おれは封筒を渡す。
「ようこそ、第86回創作武器オークションへ」
女は感情をかけらも見せず、そう告げた。
「あちらへどうぞ」
女が指したのは、正面の大きな扉とは別の扉だった。ホールの者たちはこちらの様子を伺いながら、潜めた話し声をたてている。おれはそいつらの視線から逃げるように扉をくぐり、細い廊下を抜けた。


2

そのさきに『控室』という札が下がった部屋があった。
中に入ると、そこには質素なイスと質素な机と、十人に満たない程度の男たちがいた。彼らは仮面をしていなかった。そのかわり彼らの多くは、みな一様に顔に緊張を張り付けている。まるで便器掃除でもしてきたみたいな表情だった。

その男たちもまた、ホールにいた者たち同様にこちらに視線を向ける。しかしおれの姿を確認すると、みな元の方向に首を戻した。おれは奴らを、威嚇よろしくにらめつけそうになるのをこらえながら、壁に面したイスに腰を下ろす。

この建物にいる人間たちの中で、こうして仮面を被らないのは武器職人たちだけだ。そして抱えている大荷物は自慢の商品だろう。これから行われるのはおれたちのような武器職人にとって、年に一度の晴れ舞台というわけだ。クライアントは大物。取引は大口。ここでは身分を知られれば不都合が生じる者ばかりなので、主催者やゲストは仮面を被って素顔をさらさないのが暗黙の了解になっている。

おれや同業者にとっては今日このときこそが千載一遇のチャンス、というわけだ。

個人の武器職人が成り上がるにはここしかない。地方や都市部の議員、大企業の社長やその家族、そして各国に太いパイプをもつ武器商人。そいつらに自らの存在を認めさせる。

そんな奴らを相手にするのだ。覚悟はしてきた。半端な値付けでは売らない。同業者に負けるつもりもない。おれが取引するのは見る目があるやつだけだ。

しばらく待つと、ドアが開いた。入ってきたのは棺桶大の荷物が乗った台車を汗だくでころがす老人と、白い仮面にシルクハットという出で立ちの痩身の男だった。そのちぐはぐな組み合わせは、どこかの遊園地にいるほうがしっくりきそうだ。老人が台車を部屋に押し込むのを手伝ってから男は言った。

「みなさん! 今日はよくお集まりいただきました! それではただいまより順番にご案内させて頂きます。なお、事前にお預かりしました資料に間違いなどがあれば、今のうちに申し出てください!」

その声高な宣言が、部屋の中の空気をさらに張り詰めさせた。男に呼ばれ、はじめの武器職人たちが三者三様のケースを抱えて準備をはじめる。

オークションが始まったのだ。


おれの名前が呼ばれたとき、部屋に残っている武器職人は残り二人だった。

「こちらへどうぞ」

迎えに来た女は受付にいた女と瓜二つに見えた。ただ仮面の色が少し違っている。体の線も少し細いようだ。おれは黙って彼女の背中について行く。そうして暗い舞台袖にたどりついたとき、ちょうど競りが行われている最中だった。

「2700!」「3200!」「4000!」

客が張り上げる威勢のいい大声が、暗幕を伝ってこちらに響いてくる。

「他にいらっしゃいますか?」

少しの沈黙がある。そのあいだにおれは舞台を覗いてみた。

壇上中央にはガラスの台座が屹立している。その上に一丁の巨大な銃が飾られていた。

職人はその台座の隣にイスを並べて、まるで電気椅子に縛られた死刑囚みたく大人しくしている。禿頭の大男だった。軍隊出身の人間だろうか。おれもあと10分もすれば、あそこに座る。そう考えると寒くもないのに、全身に震えがはしった。

「4000万で、落札!」

司会が叫び、拍手が起こった。壇上の禿頭が立ち上がると、観客席に座る豚のように上向きの鼻の恰幅のいい男と握手を交わした。国のお偉いさん、というところだろうか。仮面越しでもそのエセ政治家の人相はよく分かった。奴は本当に商品の魅力を理解して大金を払っているのか? 酔って奥方を蜂の巣にしなければいいが。

幕が下りて拍手の波が遠ざかる。お次はさきほど最後に控室に姿をみせたあの男だった。痩せっぽちの病人みたいなひ弱な体つきをしている。

その痩せっぽちはやはりさきほどと同じように台車を転がし、袖から幕の降りた舞台の中央へいそいそと駆け寄った。そして慎重な動作で、台車から布に覆われたダチョウの卵大の球を取り出した。舞台の幕が上がる。

「さあ! お次は今回のオークションでもっとも危険。もっとも凶悪。そしてもっとも高い殺戮能力をもった武器の登場です!」

袖から一人のバニーガールが悠然と歩み寄り、被せられた布を取り去る。中央の台座に銀色の球体が出現する。司会の売り文句によるとそいつは新型の細菌兵器だという。爆発のあと、半径1キロメートルに細菌をばらまき広範囲の生物を苦しめて殺すらしい。その演説を聞いているとき、痩せっぽちはクラシック音楽でも聴いているのかと思うほどリラックスした表情をしていた。

「それではこちらの品、まずは5000万から!」

セールストークが終わったあと、競りが始まった。生物兵器。非人道的なものほど高価になるというわけか。そんな物を買ってどうしようというのだろう。国を相手に戦争でもしかける気だろうか。もはやそれは武器と呼ぶにはあまりにも凄惨な結末をもたらすものだ。そんなもの欲しがるやつがいるのか?

しかしこの生物兵器は結局競り落とされた。価格は8000万。買ったのは厳格そうな仮面をつけた紳士だった。おれはその紳士が隣国の外交官との食事会でその球体をテーブルの上に持ち出す姿を想像した。

痩せっぽちが引きつった不気味な笑みを浮かべながら壇上を降り、紳士と握手する。その姿は降ろされる幕に遮られて見えなくなった。

いよいよおれの順番がきた、ということだ。

バニーガールの誘導で、ケースを手に舞台に足を踏み入れる。中央に近づくにつれ、そこだけ別の空気が漂っているような気がしてくる。幕の向こう側の会場では、たった今行われた取引について熱弁する客たちの、こもった声が聞こえてくる。おれはケースから中身を取り出してガラスの台座に置いた。

おれの武器はさっきまで奴らのものとは違う。

銃? 生物兵器? そんなもの作ってる連中は職人でもなんでもない。ただの開発者であり、科学者かなにかだ。せいぜい机の上で白いネズミを相手に運用テストした程度だろう。半径1キロの生物を殺害する? そんなもの実用性なんてこれっぽっちも気にしちゃいない。ただの数字。株の取引みたいなものだ。

おれの武器は違う。おれの武器はもっと命を奪うという行為に近い。もっと実用的で、もっと実感が伴うものだ。そしてなにより、もっとシンプルだ。武器とは本来そうあるべきなのだ。

席に着く。幕が上がる。観客たちの羨望の眼差しが、バニーガールのヒールの立てる音が、司会の挨拶が、一つの巨大な波のようになって、おれの体を押し流そうとする。口の中がひどく乾いていた。心臓を鎖で縛りあげられるような言いしれない感覚がある。

今この瞬間、この世界の中心はおれと、おれの作品になっていた。


3

「それでは、オープン!!」

その合図とともに、バニーガールが覆いの布を勢いよく剥がす。
舞台の中心にスポットライトに照らされた、てのひらほどのナイフが一本現れた。

ナイフは表面に人の筋肉のように流線を描いてくびれ、それは今にも脈打つかのような妖艶な輝きを放っている。木製の持ち手もやや湾曲しており、それら全ては手に馴染むデザインを追求した結果だった。

「斬ってもよし! 刺してもよし! 投げてもよしの優れもの! これほど洗練され、こだわり抜かれた一品はふたつとありません。すばやく確実に相手の生命を奪えることは間違いなし。広く流通している一般的なものよりも重心を考慮し貫通力に長け、投擲を前提にしたものとなっております。しかし直接握る場合も力が加わりやすく――」

司会の解説は滞りなく運んだ。
「さあ、こちらの品。まずは700万Rから!」

おれは会場を見渡した。そこには人種、性別、年齢問わず様々な人間がいた。白髪の老人紳士がいれば、十代の令嬢もいる。その誰もが仮面越しにおれの作品に視線を注いでいた。やがてポツリポツリと深海から泡が浮かぶように客たちがお互いに顔を見合わせたり、隣同士で小声を掛け合い始める。

会場中がおれの武器に注目している。その実感があった。

しかしどれだけ経っても、誰一人として手をあげようとする者がいない。

――なんだ?

彼らの間では少しずつざわめきが起き始め、それは誰かが漏らした鼻息で笑いになった。

――どういうことだ?

首を振る者、隣の席に耳打ちをする者、手荷物を座席に乗せて席を立つ者。少しずつ客たちの声は大きくなり、おれの耳にも届くほどのボリュームになった。

「おいおい、ありゃないぜ」
「なんだよ。あんなちんけな刃じゃ犬だって殺せないだろ」
「私たちはキッチン用品を見にきたんじゃないのよ」
「力が加わりやすいだって? そういえばうちの母親が新しい果物ナイフを欲しがってたな」

脳天に熱いものがこみ上げるのを感じた。それにつられるようにして、体中に熱がこもる。

「おい! そのおもちゃの対象年齢はどれくらいになるんだ? 甥に買っていってやろうかと思ったんだがよお!」

会場の端からそんな野次がかかる。その声の主はさきほど取引を終えた丸坊主の職人だった。会場がどっと笑いに包まれる。いつのまにか会場中がそんな嘲りに満ちていた。

――ふざけるな。
このナイフのどこがおもちゃだ。何度も耐久テストもしたし、おれ自身で市場調査や投擲の訓練も入念にしてきた。

――なにがわかるんだ。
ふとそんな言葉が浮かんできた。

お前らの審美眼など、それくらいのものだということだ。お前らは所詮、武器など扱えない俗物どもだ。作品のよしあしがわからない、お高くとまっただけの凡人たち。裁縫の針すら持ったことのない連中なんかにこの作品の良さがわかるわけが……。

こちらをみる客たちの顔が少しずつ歪んでいくような気がした。
おれは台座の上のナイフをみる。その刀身はなおも照明の光を反射して輝いていた。

――値段設定が悪かったのか? いや、もう少しデザインを使いやすいようにすればどうだ? まだ改良の余地があるかもしれない。刃渡りを長くして、幅を広くとって。柄の部分ももう少し太ければ持ちやすいかも。それとも他になにかあるのか? おれが致命的な欠陥を見落としているとか。もう少し近くで見てもらえば印象が変わるんじゃないか?

暗い。舞台の照明が落ちているみたいだ。頼む。まだ消さないでくれ。司会者は何をしてる!?

……おれは何をやっているんだ?

どこで間違えた? 
鋼を削り出す工程が甘かった? 持ち手の素材をこだわりすぎたか? いや、そもそも基本的な設計が悪い? 自分でも指の皮が何度も剥がれ落ちるまで投擲の訓練をしてきたつもりだったが、それではまだ足りなかったのか?

「700万なんて冗談じゃない」
「せめて100万だろ」
「それでもまだまだ高いさ」
「50万だ」
「いや、10万!」

気づくと全身が震えていた。ひどく腹が減って、のどが渇いている感じがするのに、嘔吐感がこみ上げてくる。

――こんなところになんか来るんじゃなかった。
ちがう、ちがうんだ。おれは……おれはただ良いものを作ろうとしただけなんだ。そしたらそれが、誰かの役に立つんじゃないかって。そうなると信じていたかっただけなんだ。それは間違いだっていうのか? 欲がなかったわけじゃない。でもそれだけじゃないんだ。頼む。もう少しちゃんと見てくれれば。もうすこしたくさんの人に見てもらえれば。なんならオーダーメイドだっていい。注文通り作ってみせる。だから――。

「こんなものを自信満々にもってくるなんてどうかしてる」
「おい、あいつを出品させたのは誰だ」
「恥ずかしくて見てられないな」
「早く次の職人を出せよ!」

ゲストの声は大きくなるばかりだった。嘲笑は怒りへ。文句は罵倒へと変わっていった。

おれは思わず両手で顔を覆いたくなるのをなんとかこらえて、自分の足元の床板だけを眺めていた。ちょうどそこにある大きな木目がフクロウの瞳のようにこちらをみつめかえしている。

――もうダメだ。これ以上は耐えられない。帰ろう。そしてもう武器なんか作るのはやめにしようか。ただの自己満足だったのかもしれない。こんな恥をかくくらいなら故郷に帰って鍛冶職人でもしていたほうがずっとマシだ。延々と近所の包丁を研いで暮らすほうがいい。それだって誰かの役に立つことはできる。

「ええと、いかがします?」
司会の弱々しい声がこちらにそう尋ねてくる。

「売れるんならいくらでもいい。もう好きにしてくれ」
おれは顔を上げずに答えた。

「3で」
そのとき女の声がした。

――3万。
まあそれくらいでもいいのかもしれない。おれには大金かもしれないな。最後にまともな飯を食ったのはいつだったか。久しぶりに母親のビーフシチューが食べたくなった。それもいいか。誰にも見向きされないよりは。3万Rなら荷物をまとめて故郷に帰る事もできる。あの親父の残した家に住むのは反吐が出るが仕方ない。

おれはそのとき、せめて持ち主になる人間の顔くらいは見ておこうと顔をあげた。そして会場の端でスラリとした黒いレース地の袖が天井にむかって伸びているのをみた。その手は人差し指と親指が丸められ、他の三本の白く細い指が屹立していた。
「3億Rで買います」


4

会場の時が、十秒ほど止まったように感じられた。その空間にいる人々は、全員その女に目を奪われている。

「はい?」
司会がやっとのことで出した声はそんな気の抜けたものだった。

「ですから3億で買う、と言っているのです」
彼女は言った。

「ほ、他にいらっしゃいますか?」
司会がやっとのことで絞り出した定型句的な問いかけが、現実味のないものとして会場に響く。

「バカな!」
すると客の一人が立ち上がって野太い声をあげた。
「そんなものに3億だと? ふざけるのも大概にしたまえ。君は神聖なこのオークションを愚弄する気かね。何百年にも渡る伝統と格式高い我々の営みを。君のような小娘が。冷やかしに来たのならさっさと帰ってもらおう」

その言を皮切りにしたかのように、会場中から罵声や野次が飛んだ。彼女はそれ受けてなお居住まいを崩さず、背筋を伸ばして立っていた。

「冷やかしなどではございません」
彼女の声は端までよく通った。

「ここにピッタリ3億Rの現金が入ったスーツケースがあります。そして私はそれに見合う品物をみつけた。これのどこが冷やかしなのでしょう。私には取引をする権利がある。それに神聖なオークションを愚弄したのは私などではなく、あなたがたの方ではありませんか。あの作品の素晴らしさを理解できず散々なじった挙げ句、あまつさえ職人である彼にまでその罵詈雑言を向ける始末。それが何代にも渡る伝統であるならば、それこそが恥ずべきおこないです」

おれはただ彼女を見ていることしかできなかった。
黒い羽で飾られた仮面、その奥にはめこまれたエメラルドのような色をした瞳。漆黒のドレスと白すぎる肌は、死すら連想させた。

結局、彼女の言い分は正しいものであり、ゲストも主催者側の人間も誰一人としてその取引に意義を唱えることはできなかった。

おれはオークションのあと、控室とは反対側の一室に通された。来る途中で個室がいくつか見えた。おそらく他の出品の取引もそこでされているのだろう。廊下には体格のいい男が何人か立っており、警察犬のような目つきをこちらに向けていた。

「この度は商品をご入札いただきありがとうございます」

部屋に入ってきた女は、仮面の上からでも目鼻立ちの印象が分かるほどはっきりした顔立ちをしている。彼女が音もなくドアを閉めると、どこからか知らない花の香りがした。

彼女はこちらに目礼するとすぐにナイフを手に取り、重さを確認するように掴んだり離したりしていた。

「思った以上になじむ。この意匠もあなたが?」

「ええ」とおれは答えた。

「素晴らしいです。きっと何度も試行錯誤されたことでしょう。それではこれを」
差し出されたのは一週間でも旅行ができそうなケースで、それには札束が隙間なく敷き詰められていた。もはや数える気も起きない。

「……なにかの間違いでは?」
「どういう意味でしょう?」
「いえ、その」
「金額が不服であれば、もっとお出しすることはできます」
「そういうわけではなく」

おれは言い淀んでしまった言葉を、すこしだけ考えて結局そのまま吐き出すことにした。
「あなたは……あんたはおれに情けをかけたのか? 3億なんて額はなんていうか。あまりに高すぎる。あんたは慈善家かなにかなのかよ。おれはここに同情されにきたわけじゃないんだ」

彼女は黙っていた。
「だっておかしいだろ? あんな小さなナイフにこんな……」
「あんな?」
「職人がそんなことを言うべきではありません。ましてやクライアントと自分の作品の前では」
彼女ははじめて張り詰めたような声を出した。

「私は何も間違ってなどはいません。我々はある目的で銃でも爆弾でもない武器を探していました。静謐で正確。最小限の殺傷力。そういう武器を。そのことに関しては守秘義務がかせられているので、あまり詳しくはお話できませんが。とにかくそれは我々の必要とするところであり、成し遂げねばならないことです。革命と言っても差し支えない。それを達するためであればいくら細やかな準備にも、我々は金など惜しみません。そんなコストは些細なものです。混乱されるお気持ちもわかりますが、そういう価値観に生きている人間が存在することもご理解ください」

「それはそうなんだろうが……」
「あなたは自分の信念に従ってこの子を作り上げたのです。そして私がそれを必要と判断し買い取った。他人が何を言おうが、気にすることはありませんよ。この部屋には他のものはいません。あなたと私だけ、それが全てです」
「あなたと私だけ?」
「そうです」
「その我々、というのは?」
「それも規則で申し上げることは……。しかし判断は私個人に任せられているのです。それでは信用できませんか?」
「そういうわけじゃない」

ただ、とおれはそれからの言葉をなんとか口にしようとしたが、うまくできなかった。

思えばこの街に来たときから。いや、ずっと前からそうだったかもしれない。おれは自分が言いたいことなんて一つも言えた試しがない。

「単純に納得できない。というか、夢でもみてるんじゃないか、って思うんだ」
おれはしばらく彼女の言ったことを考えてみる。
しかし考えれば考えるほど、自分がなにに固執しているのかわからなかった。
「悪かったよ。あんたは、おれのはじめてのお客様なのにな」

「ふむ。それではもうひとつ提案があります」
彼女はそんなおれを見かねたのか、そう告げた。
「提案?」
「今後もあなたの武器を我々に流してほしいのです。これは契約です。3億という額には、それも含まれていることにしましょう」
「それはつまり……専属の職人になれ、ということか?」
「なれ、とは言いません。それを決めるのはあなたですから」
「なるほど……」
「これを」
彼女は懐から暗い色のカードケースを取り出し、そこから一枚の名刺を抜き取った。名刺にはただ黒地に金色の文字で見知らぬ電話番号が書かれているだけだった。
「考えがまとまったらそこに連絡を」
最後に彼女はナイフを慎重にケースに戻すと、それを抱えて再度目礼した。
「それでは」
残されたおれは、ただ彼女の上品な細いヒールの音だけを聞いていた。


オークションから一ヶ月が経ったある朝、コーヒー豆を挽いてフィルターにそれを入れ、お湯を注いで蒸らしているときに玄関になにかが落ちる軽い音がした。
おれはコーヒーを淹れてから一口すすって、玄関に届いた新聞の朝刊を拾い上げる。

一面は上院議員死亡を報じるものだった。
お忍びで来ていたレストランを出た途端にどこからか飛んできたナイフに心臓を射抜かれたそうだ。紙面では専門家は、ナイフは驚くほど軽い代物で指紋もなく、この武器で意図的に人を殺すのは難しい。なにかの事故の線もある、としていると評していた。

おれはもはや寝床と化している工房のほうを見やる。
「やるか」

やるべきことはたくさんある。しかし物事はいつだってシンプルだ。
『あなたと私だけ、それが全てです』
今日も長い一日になる。そんな気がした。





最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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