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他人に興味を抱く、とは。

先日、彼女と二人で飲酒を決行していた。

その日は自宅でワインを一本と氷結ロング缶、それからハイボールのグラス一杯を二人で空にした。

「どういうときに他人が興味もってくれた、って思うの?」

次の日、僕のぼんやりした頭には彼女のそんな言葉が響いていた。

「人に『アヤトくんって、こうだよね』みたいに言われたときかな。それが別に間違った分析でも構わないんだ。ただ分析しようとしてくれてることが嬉しい、というか」

そのときの僕はそう答えた。

だから誰かに「このウスラトンカチが!」と言われても、喜べるはずだった。

相手が僕のことをウスラトンカチだと感じた理由について、朝まで語り明かせるはずだった。


何年か前、僕は知人のTさんにこう言われたこともあった。

「乙川くんって、他人に興味ないよね」

それは彼なりの僕に対する分析だった。

しかしそう言われたときの僕は、けっこう傷ついた。

『そう見えちゃうのか……』

むしろこの当時の僕は、他人に興味を持つことを心がけていた。

作家を志すうえでの、必須スキルだとさえ思っていた。

そしてそれができていて、うまくコミュニケーションがとれているという自負も少なからずあった。

だからショックだった。

漫画だったら、『ガーン』という効果音が頭の上に出現しているほどだった。


しかし今になって考えると、この言葉に対して疑念がわく。

そもそもTさんがこういう分析をするに至った理由の一つに『僕があまり他人のことを知らないから』という部分があった。

どんな仕事をしているか。
趣味はなにか。
休日はどんな過ごし方をしているか。
どんなタイプの異性が好みか。

僕はそんなことにあまり興味がなかった。

しかしそれは他人に興味をもっていないことにはならないのではないか、と思った。

そう見えるのはむしろ、興味を抱きすぎているせいではないか、と思った。

『仕事、思い出すだけで胃が痛いな』
『趣味は奇怪な絵を描く事だけど見せたくない』
『休日は寝てるだけだな……目が覚めると一日が終わっている。なんてつまらない人間なんだ、おれは』
『好きなのは、異性じゃないんだけどな』

僕は所謂そういった『地雷』を踏み抜くことを恐れていた。

誰にだって、知られたくないところはある。

だから、その人が話す言葉に応答するという態度をとっていた。

『地雷』はそっとしておき、そこに被せられた砂が風雨にさらされ、いつかそれを隠さなくなったときにはじめて、それについて語りだせばいいだろう。そんなふうに考えていた。

僕にできるのは、そのいつかをひたすら待つことだけだった。



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