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精神科医に「死にたい」と言ったらちょっと救われた

始めて精神病院の閾に足を踏み入れたのは、
およそ一年前のことであった。

当時の私は、
極力人との交渉を避け、
大学へも不登校になり、
独り家に引き篭もっては、
兎角無気力に日が移り往くのを過ごすだけであった。

次第に我が裡に巣食う暗鬱な塊ばかりが肥大化するばかりなので、

何とかせねばならぬと思い、
神経内科医や親、大学教授の勧めもあって、
精神科医に掛かることにしたのである。

人との関わりを怠っていた為に不馴れな緊張を嫌って、
メールでやり取り出来る病院を探して予約を取った。

当日、
精神病院へと向かう足取りには異様な浮遊感を感じた。
地に足のつかない心持ちとはこういう状態を云うのかと思った。

結局、
病院の周囲の街区を何周かぶらつき、
人目を気にしながらそこへ入ったのを覚えている。

その病院は雑居ビルの中層階にある。
薄汚れた階段を登る足取りは一層浮遊感を孕んだ。

したがって、
病院の扉までの道のりは異様に軽く異様に重たかった。

私は扉の前で一つ溜め息を吐いた。
扉を開くと、
そこには暖色系のライトで彩られた清潔な空間があり、
少なからず安堵が齎された。

受付で名前を告げ、
ナンバーカード、マークシート、鉛筆を受け取った。

受付の隣の待合室には、
テーブルやイスが配置され、
壁には穏やかな田園を描いた絵画が掛けられ、
本が在所に置かれていた。

マークシートには質問が30問ほど設けられ、
「よくある」「たまにある」、、?「ない」というようなよくある自分に該当するところにマークする形式のものだった。

その中の一つに
「死にたいと思うことはありますか?」
という質問があり、

私は正直に「よくある」にマークした。

マークシートを提出し、
看護師との簡易的な面談も済まし、
先生の診断へ向かった。

先生には医者らしい印象を受けなかった。
小綺麗にまとめた私服をまとい、
広げたパソコンには可愛らしいステッカーが貼られ、
普通の優しいおじさんと言う感じに私には映った。

実際、先生は優しいお方で、
人間関係を怠惰にしていた私も圧を感じることは一切なく、
常にこちらの心象を慮ってくれているようで、
なんとなく自然と気軽に話せる状態になった。

私は、鬱病の前兆段階にあるという診断を受けた。

先生に病状や対処法、また薬の説明等を頂いている中で、
先生が私のマークシートを見て、

「死にたい、と思うようなことがあるの?」

と質問を受けた。

当然このような質問を受けるのは人生で始めてで、
不意を付かれたように怯んだのは確かだが、

先生がこの問題に善処しようという態度が見えて、
私は嬉しかったのである。

「まあ、そうですね。死にたいと思うことはあります。」

正直に答え、
少し間を開けて、

「でも、死にたいと思う感情そんなに悲観的に見ていないです。
ニーチェみたいな感じですかね。」

と続けた。
向こうもプロだから、
これだけで十分その意味を計ってくれるだろうと心算した。

「ほお、なるほどね。
じゃあ、大丈夫そうかな?」

「はい。」

先生は私の考えを認めつつ、
これ以上、私の精神領域に踏み込んでくることはなかった。

初対面における人間関係の構築をよく分かっている、
と私は感じた。
思えば、これ以上そこに踏み入れられては、
私は彼に嫌悪感を抱いていたかもしれない。

診療が終わる頃には、
来る前に抱いていた不安も薄れ、
思った以上にあっさり終わったという感じがした。

それは、私の病状を重く受け取らないでくれたおかげかもしれない。

薬を受け取り帰路へつく足取りは
行きよりもずっと地面をしっかり踏みしめられている気がした。

これで私の人生もどうにかなるかもしれない、
という一握の期待を描いた。

振り返れば、
一人の人間に心を少しばかり開けたことが、
期待を抱く契機だったかもしれない。

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精神科医というと、
近寄り難いイメージがあるかと思いますが、

行ってみると、
安心感を得られたり、
気が晴れたりすることもあります。

また、
適切に薬の治療を受けることで、
精神的病が好転することもあります。

どうか精神病患者を冷笑したり、
或いは過度に心配されたりすることもがないよう願います。

【日日是考日 2020/11/27 #045

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