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よっかかってもいいよ。
慌ただしさから、予期もせずに解放されたので、またNoteの更新をしっかりやっていこうと思う。
それはそうと、6月半ばなのに、ちょっと肌寒さを感じるのはなぜだろう。日差しが照っていると暑いくらいなのに、雨が降っている日は結構寒い。
梅雨って、もっとジメジメベトベトしているはずだったのに、これじゃあ秋にふる雨と代わりないじゃないか。紫陽花の爽やかで梅雨をしのげないじゃないのと思う。
梅雨を迎える
選択するときに気をつけたいこと
人生は選択の連続だ。って誰かが言っていた。
それが誰だったかはもう忘れてしまったけれど。
例えば、今日なに食べようとか小さいことに始まって、進路をどうするかとか、誰と付き合うかとか、そうゆう大きいことまで選択によって結果が導かれている。
それは、あみだくじを何度も何度も引いているようなもので、それがこの地球上に存在する人の選択分だけ存在しているのだから、とんでもない数の選択がこの地球上では毎日
悲しくなったときのこと
突然ふと電球が付いたように頭に電球が灯ることがあって、
その時、うわーっと嬉しくなるのだけれど、
それを書き出したり、描き出したり、作ってみたところで、自分の頭の中のものとそれを外部に出す技術のなさに愕然とするのであって、
自分だけじゃなく、思いついたことを他の人がやっていたりすると、それはもうその時点で思いついたことは「面白くない」のであって、そんな自分の面白くないところにもがっくりするのだ
「頑張ります。」という言葉
自分が「頑張ります!」と口に出している時は、「本当にそう思ってるの?」って心に聞いてみることにしている。
最近自分のことが、20も後半になったからか、前よりもよくわかるようになってきて、「頑張ってね!」って声をかけられた時に、本当にそう思って言っていない場合が多いということに気づいたのだ。
一種の脊髄反射のような、もはやパブロフの犬のような私の「頑張って!」と「頑張ります!」の応酬である。
ありのままのきみでいい
こどもの頃、一番言われたい言葉は
ありのままのあなたでいい
だった。まぁ、こんなことをストレートに言われたら、かえって恥ずかしくなってしまったかもしれないけれど、でも生まれてから生きてるだけで褒めてもらえる時間は短くて、やはり歳を重ねるにつれて、生きていること+αが求められていた気がする。
+αを付けることが初めは、ゲーム感覚で出来たからか、楽しくできていたけれど、段々周りの期待する+αを付
足りない位が丁度いい。
母と二人で回転ずしに行った。
東京駅の中にある回転寿司のお店で、北海道以外で東京にはそこしかないと言うお店だったので、一回母と行きたいと思ったのだった。
13時過ぎに着くと結構な行列だったので、結構待った。
席に案内してもらった時には、どれから食べようかとワクワクした位だった。
北海道の寿司ネタは、私が知らないものや食べたことないものも多くて、知らないものを全部試してみるには胃袋の容量が小さす
kissとかhugとか
目の前を外人のガタイのいい男性が満面の笑みで横切っていった。
何事かと思ったら、彼を待っていた奥様とまだ小さい赤ちゃんのもとにかけよってただいまのキスをしていた。
「ただいま〜ハニ〜」「今日もお仕事お疲れ様」「いい一日だった?」そんな会話が聞こえてきそうである。
「いいなぁ。」と心の声が漏れそうになった。
キスする相手がいることに対する「いいなぁ」ではなくて、外国人特有のいやらしさのない身体的
かゆいところに手が届く
数日開かなかったら、Noteの機能がいつの間にか改善されていた。
トップの写真が前までは規定のサイズに切り取られていたけれど、自分で自由に切り出す範囲を選ぶことができるようになっていた。
いつもトップの写真のサイズが合わないせいで、同じようなものばかり使っていた(トリミングは面倒だった。)ので、これは嬉しいなぁと思った。
こうゆう、ちょっとかゆいところに手が届いた時の嬉しさって、衝動買いに繋がっ