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人の話を自分ごととして受け止めることが肝要なのです。

私が人の話を聞くときに意識しているのは、「なるべく自分ごととして聞く」ということだ。

例えば、研究室のゼミで自分以外の学生が発表した内容に対して、先生方が何らかのコメントをしているときには、「自分の研究内容や発表についてだったらどう言われるか」を意識しながら聞く。

研究室の居室内で、ある学生が他の学生と研究についてのディスカッションをしているときには、「自分の研究においても活かせるポイントは何か」「自分だったら何を言うか、どのような言い方をするか」を考えながら聞く。

そのことを思い直したのは、自分ごととして話を聞けていないのではないか、と感じる人を見る機会が最近あったからだ。

このような「自分ごととして聞く力」は、人間として豊かに成長していく上でかなり重要な力になるのではないか、と個人的には思う。

人間は多くの場合、自らの失敗から学ぶ。自分が何かをやってみて、うまくいかなかったことを受けてやり方を変え、また試す。その過程で、どのようにすればうまくいきやすいのかを体得していく。

しかし、そこからさらに成長しやすい状況をつくり出すためにできることとして、「他者の失敗からも学ぶ」ことが挙げられる。

他者の失敗も自分ごととして捉えてその状況をよく観察し、本質的には何がいけなかったのか、先達は何を伝えようとしているのか、を徹底的に理解しようと努めること。これができれば、人生の短い時間の中でも、自らの失敗だけから学ぶよりも遥かに多くのことを学ぶことができるだろう。

ある意味では「本を読む」という行為すらもそれに近い感覚を持っているかもしれない。

書籍化されている理論は、多くの場合、多数の失敗と検証による時間の風雪に耐えてそこに存在する。それは、過去の人間たちが取り組んできた失敗の上に成り立っている叡智の集積である。その恩恵を「読書」という形で得ることができるのは、後世の人間たちにとっては大変ありがたいことだ。

「自分ごととして聞く」ということが、読書の1つの動機にもなり得るかもしれない。

「自分ごととして聞く」を言い換えると、「当事者意識」という言葉になるかもしれない。他者の置かれた状況にしても、この世界の社会問題にしても、そういう何らかの課題を自分ごととして考える力がなければ、本当にその問題に寄り添ったり、ましてや解決に向かう糸口をつかむこともできないのではないか、と思う。

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