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リーダーという役割には奥深さがあるのです。

私は現場のディレクションをするのがどうやら好きなようだ。

最近もそういう役回りをするイベントをやったので、改めてそれを実感しているところだ。

今回、そのイベントの準備チームのうちの1つのチームを担当して、そのリーダーをやったのだが、その準備チームで集まった人たちは、これまた初対面の人たちも多く含まれていた。

基本的に内向型の性質を持っている私は、特に理由が無い場合、初対面の人に自分から話しかけることはまずない(まぁ、そういう人のほうが日本には多いと思う)。

しかし私は、こういう役回りになったときはなぜか、初対面の人でもどんどん話しかけて仕事を振ったり、その場を円滑に進めるために体が動いてしまうようなのだ。

それが自分にとっては結構不思議なことに感じる。もしかしたら、私がリーダーだからしっかりしなければならないという責任と、リーダーなのだからメンバーの行動を適切に決めて司令塔にならなければならないという理由付け(話しかけてもおかしくない、という妥当性)があるからできていることかもしれない。

そう考えると、私という人間にとっては「リーダーをやること」が自分にとっても他者にとっても良いことになるように思えてきた。

私はリーダーをあえて引き受けることによって、周りの人とコミュニケーションを取る理由付けができて、自分自身のネガティブ要素(内向型の性質が生み出すネガティブな側面)を少し乗り越えられるし、周りの人たちはリーダーというちょっと面倒な役回りをやってくれる人がいることによって、少し楽にそのイベントに参加できる。

このようなWin-winの関係を築けそうだ。

ただし、先日のイベントをやって思ったことは、そうは言ってもメンバーとある程度の関係性や信頼関係を構築してからでないと、いろいろと指図されるのはイヤだと思う人もいるかもしれない、ということだ。

いくら理由付けがあるとはいえ、周りのメンバーがそれに納得しているかどうかはまた別の話だ。

だから、ただ指示出しをするだけではなくて、メンバーが私のことを信頼できるような振る舞いを身につけたり(豊かな人間性を発揮したり)、メンバーの意志を尊重しつつ、どうすれば前向きに行動できるかという点まで考えて指示を出すことが重要なのだろうなと思う。

そのように考えると、リーダーという役割の奥深さにも思い至って、こういうことだったら前向きに極められそうかもな、と思ったりした。

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