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苔むさズ

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「苔むさズ」#10

「苔むさズ」#10

アッコと年末に会って数日すると、あっという間に西暦2000年に突入した。
ネット上やTVニュースでは連日大騒ぎになっていた「2000年問題」は結局のところ社会的に大きな傷跡を残すことなく数社の企業のシステム障害が報告されたのみだった。

2000年1月5日、仕事はじめの為私はいつも通り、キーンと冷えた港町の大通りを抜け、痛く麻痺した鼻の頭を擦りながらオフィスに向かった。
11時AM出社というゆるく

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「苔むさズ」#09

「苔むさズ」#09

あっという間に港の公園横にある大きなショッピングモールには、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られ、おなじみのクリスマスソングが5階建のモールの吹き抜けに鳴り響く季節になった。私は幼馴染みのアッコが来るのを待っていた。 1999年12月。大観覧車は特別にカラフルなライティング、大画面テレビでは「2000年問題」関連のニュースが流れていた。
道ゆくカップルは、そんなことは御構い無しに余裕綽々で、ツイ

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「苔むさズ」 #08

「苔むさズ」 #08

9月も半ばを過ぎ、港には秋晴れのカラッとした風が吹き注ぎ、
夏場はジトジトと吹きだまった埠頭の水際は、ふんわりと良い潮風の香りすらした。
港近くに連なる、高く昇った陽を受けた古い70年代のビル群は、秋晴れの青空の乾いた白く舗装された道路に濃く長い影を落とし、その黒い影と白い海岸通のコントラストはまるでピアノの鍵盤の様に綺麗に配列されていた。
その70年代のビルヂングズは主に室内干しかほんの小さな物

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「苔むさズ」 #07

「苔むさズ」 #07

ゴリさんの「秋の港でデート」特集の入稿と戻しの繰り返し作業は5-6回にものぼり、その後やっと責了となり、あとは刊行を待つのみとなった。

ゴリさんと2ヶ月近くペアを組んだ編集のヤマさんはこれまたベテランの体育会系男子でゴリさんと馬が合い、楽しそうに日々取材や撮影に忙しそうに動き回っていた。そこまでの二人の生き生きとした日々はこの1ヶ月間でいつのまにか、地獄の徹夜続きに変わり、二人とも口数が少なくな

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「苔むさズ」 #06

「苔むさズ」 #06

埠頭近くのカフェでマイセンをふかしながら待っていてくれたショウタ君の顔は憔悴しきっていた。

「コーヒーでも頼んでから座りなよ」
とショウタ君が言うので、そのカフェでこの後2人がかわす会話とその結果次第で、その後の夕食の計画は私の淡い期待に反して、急遽なくなるのだろうと感じた。

「オケー。」
と、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くと私はレジカウンターへ行き、メニューからカフェオレを選んだ。

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「苔むさズ」 #05

「苔むさズ」 #05

ゴリさん担当の「港でデート」特別号の制作が始まった。ゴリさんは、モトヒロさんやタケシさん、ノリコさん達と違って、アンダーグラウンドやプロディジーやオアシスなんかをかけながらあーだこーだ語ることもなく、ひたすらに雑誌デザインに神経を注いでいた。

ゴリさんがデザインオタクというのではなく、それはゴリさんが元々ラグビーやスノボー・サーフィンを愛するスポーツマンであり、そこに注ぐ真っ直ぐでストイックなマ

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「苔むさズ」#01

「苔むさズ」#01

そこには、よく見ると全部で6人分のデスクと椅子が向かい合わせに片側3人ずつ座れるように配置された小さなデザインオフィスがあった。
真新しい12階建のビルの8Fを1フロア占領している大手出版社の編集部の片隅。
私がアルバイトで勤める小さなデザイン会社は、そこから港が見える1番大きな窓のある一角にスペースが設けられ、常駐する人数分の席が用意されていた。
このデザイン会社の本社は東京にあるのだが、
出版

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「苔むさズ」#02

「苔むさズ」#02

港がよく見える、真新しいビルの8Fで働く様になって1週間が経った。最寄駅からすぐ目の前に見えるのに、駅の周辺の道路工事のせいで回り道して行かねばならず、その10分程の徒歩の間に同じ編集部で働く顔見知りになったばかりのスタッフと気まずい空気で世間話をするのが苦痛だった。

デザイン部と言えば、初日に続々と到着した私以外の5名のデザイナーは男3名、女2名という構成で、皆20代。1番年上が27歳男性モト

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「苔むさズ」 #03

「苔むさズ」 #03

ロンドンのファッションやアーティストにアディクトしているタケシさんの度々の毒舌や、モトヒロさんの夕方出社に慣れてきた頃、サヤさんともう1人の女性で20歳のリンちゃん、24歳のラグビー好きゴリさんとも打ち解け、それなりにぎこちないながらもチーム全員と交流が持てる様になってきた。

初日にコルクちゃんに案内されて通されたデザイン会社デスクも、1ヶ月も経てば毎日当たり前の風景になった。
3月も終わりに近

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「苔むさズ」 #04

「苔むさズ」 #04

コピー・ペーストや連続コピー、オブジェクトの整列や配置といったグラフィックデザイナーなら誰もが覚えねばならない基礎知識に加え、グラデーションを使った質感の表現方法などの少々高度な技を覚えるのにも、幼少期から好奇心旺盛だった私はそう時間はかからなかった。
人間、興味のあるものはスポンジの様に吸収できるのだ。

ただし、ここまでできるようになるには、仕事場にいる時間だけでは足りず、帰宅してからの深夜の

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