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南米通信 2 カンタリアとモスカルドンフライの雑誌 No.43 1998年初秋号掲載
■一九九八年一月一三日
一二月二七日に日本から合流した友人二人と年末から年始にかけてバリローチェ、エスケルと、アルゼンチンの方を回ってきました。一人が帰国し、残った一人に別行動を提案しました。いささか大人げないかな、とも思ったのですが、ぼくは「自分の旅」がしたくなったのです。旅はひとりです。今は一人で気ままな状態。再びコジャイケにいます。
そろそろこの街を離れたいとは思っているのですが、トラッ
南米通信1 ここでないどこかへ - Somewhere but here (フライの雑誌No.42 1998年初夏号掲載)
■一九九七年一一月五日
日本をたって三日、今、チリの首都であるサンチャゴの街のカフェ屋にいます。
日本から一緒に来た友人とは別行動にしました。ものを書くのはどうしても一人の時でないとできません。別に他人がいてもいいのですが、無視し続けることになります。そこで、書き物があるから、と言ってしばらく別行動にしました。それに旅に出た時には一人の時間が必要ということもあります。
サンチャゴはいい街です
ライズなし The Poer Of Love をめぐるストーリー
男は古いオービスの竿を持ってサンフランスコにいた。
チャイナタウンの入り口の門をぬけ、ブッシュストリートを渡り100mほど進んだ左手にオービス・ショップはあった。男は1階のアウトドア・ウェアを扱うフロアを抜けると、2階の釣り道具売場へ上がり、古いオービスの竿を店員に差し出した。
「この竿の修理を頼みたいんだ」
8フィート、6番、3ピース。「トラウト」と名づけられたその竿は、男のものではなく男の友人
カーティスクリーク幻想
友人の故郷は千葉である。職場は実家から通えない距離ではなかったが、都内にアパートを借り実家には戻ろうとしなかった。
「だって、千葉にはヤマメいないじゃん」
と言うのである。
「千葉にヤマメがいればなあ」
もしそうならば、彼は千葉に住んでもいいと思っている。真偽のほどが定かではない噂はあったがふつう千葉県には鱒類はいないとされいる。山はどこも低く、地質も砂または粘土で渓流魚が生息している川などない。
千葉県でも鱒釣りができる夷隅川フィッシングパーク
夷隅川フィッシングパークは千葉県の中でのおそらく唯一の自然河川を利用した管理釣り番である。(※現在は閉鎖です。2024/04/20)房総半島の勝浦あたりを水源にし大きく蛇行しながら大原で海に注ぐ夷隅川の中流、大多喜町の市街地の外れにある。いすみ鉄道の大多喜駅から徒歩一五分なのでその気になれば列車で行ける。
釣り場の環境はお世辞にも良いとはいえない。川底は砂地で粘土質の石とも言えないような粘土質の塊
炎の大地のシートラウト
マゼラン海峡の向こうに炎の大地があり、そこに大川が流れ、その川が海に戻る場所に川と同じ街がある。
午前四時、隣室の泊まり客が部屋の壁を叩いた。イヤホンで聴いてたボブ・マーリーの音が漏れていたのだろうか?念のためにボリュームを絞った。それでも壁を叩く音は止む気配はなかった。外国の田舎の深夜のホテル。眠れぬ夜、不安、孤独。それを紛らわすささいな娯楽でさえ今の自分には許されていないらしい。
「かけた
一九九八年初夏、ヘンリーズフォーク
一度だけ中沢さんと一緒に釣りをしたことがある。
「よかったら、南米の帰りにアメリカで一緒に釣りをしませんか」
というメールを編集者の倉茂さんから受け取ったのは一九九八年の四月、サンティアゴでのことだった。ぼくはまえの年の十一月からパタゴニアを釣り歩いていたが、チリの首都サンチィアゴまで戻っていた。そこで次の行き先も決められないまま漫然と時間を過ごしていた。パタゴニアの釣りシーズンは終っていた。
『ガトー フエゴ島の湖で出会った猫』
ニャア、ニャア~。
猫の声がしたような気がしてぼくはテントの中で目を覚ました。
昨日の午後、ぼくは国道に車を乗りすてテントを背負い二時間歩いてこの湖、ラゴ・サンタ・ラウラ(ラゴとは西語で湖の意)まで来た。車を置いてきた場所には小さな集落があるがそこから湖までは人家はない。昨日の午後からだれにも会っていなかった。
きっと空耳だ、寝ぼけた頭でそう考えると朝の冷気をさえぎるために寝袋の首を絞り込