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エッセイ | 地震と装飾古墳

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 昨夜、私の家も揺れた。大きな揺れがくる前から、重低音が響くような感じだった。「大きなのが、来るな、来そうだな」と思ったら、スマホの地震警報が鳴った。
 幸い私の家の近所は、大したことはなかったが、盛岡と仙台に住んでいたことがあるので、心配になる。しばらくは余震が続くのかもしれない。
 「東北」「地震」という言葉を聞くと、東日本大震災を想起してしまう。当時、しばらくの間、計画停電があったこと、電車や駅の明かりが暗くなったことを思い出す。いつの間にか、震災前の明るさに戻っていたが。

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 震災から2、3年経った頃、図書館で歴史の本を眺めていたら、私の家の近くに、巨大な円墳があることを知った。高校生の歴史参考書にも載るくらい有名な古墳らしい。それから、古墳というものに興味を持つようになった。
 もともと面倒くさがり屋で、あまり遠出するのは好きではない。関西方面に行けば、巨大な古墳がたくさんあるけれど、そこまで行かなくても、私の住む北関東地域や福島あたりにも、大きな古墳がある。
 群馬、栃木、茨城、埼玉辺りの有名どころの古墳を見学したあと、かつて住んでいた東北の古墳も見に行こうかな、と思った。余談だが、西日本には住んだことがないので、アウェイ感が強く、あまり行ったことがない。

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 それで、東北にはどんな古墳があるのだろうと、図書館で資料をいろいろ読んでみた。
 いわゆる「前方後円墳」の「北限」は、岩手県の「角塚古墳」であることや、朝廷から遠い岩手では、エゾ型の古墳があることを知った。興味深いけど、車で行くにはちょっと遠いなぁ、と思って、福島辺りの古墳を探してみた。
 そのときに、福島原発の近くの双葉町に、「清戸迫横穴」(きよとさくおうけつ)という「装飾古墳」があることを知った。
 原発に近いから、立ち入れるところではないが、写真で見ると清戸迫横穴の装飾と、茨城に所在する「虎塚古墳」の装飾のタッチが、とても似ているような気がした。

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 双葉町の清戸迫横穴と茨城の虎塚古墳は、いずれも7世紀頃に作られたらしい。いずれも比較的、海に近いところにある。
 ここから、妄想が始まった。「遺跡」を考えるとき、どうしても陸に残っている古墳や古道を思い浮かべる。しかし、「海の道」もきっとあっただろう。
 陸路が危険ならば、海路を考えるというのは、自然な流れである。
 写真だけだが、他の「装飾古墳」も、モチーフやタッチが何となく似ている気がする。きっと陸路だけでなく、海路でも人々は往来していたのだろうなぁ。

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 古墳って、川の近くや海の近くにある場合が多く、洪水や津波で流されてしまうことが多い。だから、そういうニュースを聞くと、古墳のことを思い出すことが多い。
 地震や津波が起こると、仮設住宅はどこに作ろうかとか、緊急時の備えはどうするかとか、避難所はどこにあるかという話題が増える。

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 記憶が曖昧だが、かつて遺跡の雑誌を読んでいたとき、仮設住宅を作る前に、遺跡や地質の調査が行われるという記事を読んだことがある。
 甚大な被害を目の前にしたら、そこに住む人の生活を優先したいから、遺跡の調査なんてやっている場合ではない、と考える人も多いことだろう。私にもそう思う気持ちがある。
 しかし、迅速な復興のことばかり優先すると、どんどん過去に生きた人々の痕跡が消滅していってしまう。
 ある程度は、やむを得ないことだろう。
 けれども、この世界って、生きている人のためだけにあるのではない。今は死んでしまった人の「遺物」に耳を傾けることも大切なのではないか?、という思いもある。

(7)

 昨日の地震が起こったとき、頭の中を駆け巡った想いを綴ってみた。我ながら、支離滅裂だと思うが、論理的思考や科学的な思考だけで生きているわけではない。
 無理に論理的な文章に仕立てあげるこたなく、思ったことを思ったままに綴ってみたくなって、この記事を書いた。無理にまとめると、嘘をつくことになってしまうような気がして... ...。
 

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