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暖かい言葉



人は言葉で人を傷つけることも、優しく包み込むこともできる。

僕の周りには、僕が思ってる以上に優しい人が多いみたいだ。


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最近また、部屋の中がぐちゃぐちゃだ。母がみたらぶちぎれるレベルだろう。部屋が汚いときは決まって、心の中もぐちゃぐちゃな時だ。
少しずつ部屋が散らかっていくのを見ながら、もうすぐ大きな感情の波が来るだろうことは何となく予想していた。

親の言葉が痛い。親から連絡が来るたび答えに困って放置してしまう。自分の中で言い争いが始まる。視界が涙でぼやけだす。


〈親に心配をかけたくない。親が僕を呆れた目で見ていることはわかっている。親の言う通りにすべきじゃないか。嫌だ。じゃあ自分の考えで動け。自分の考え?それは信用できるのか?どうするのが正解なんだよ。親を納得させられるのか?自分を納得させられるのか?怖い。親が怖い。納得させる理由をわざわざ作らないといけないのか?うるさいよ。友達はどう思ってる?きっといつまでもそこにいるお前を笑ってるよ。黙れ。ただ彼女と幸せになる未来を捨てただけの大馬鹿だと思ってるよ。やめろ。代り映えのしない毎日が怖くて逃げた結果もっと変わらない毎日を送ってるくせに。やめてくれ頼むから。〉


誰かに胸の内を聞いてほしいとは思うものの、こんな身勝手で自己中心的なことで誰かの貴重な時間を奪いたくない。なので画面の向こうの誰かの余ったスキマ時間をいただいて聞いてもらい、暖かいお言葉をいただこうと思ってこのnoteを書いている。ずるいけど。

やっぱり僕は自分の言葉で自分を傷つけるのが得意らしい。他人を傷つけるよりは幾分かマシかもしれないが。

僕のnoteを見てくれる人たちはみんな優しい。優しい言葉をかけてくれ、僕が自分につける傷をハートでふさいでくれる。日々自分の感情を文章にぶつけ、自分を傷つければ傷つけるほど、赤いハートが増えていく。血が滲んでも、わからないね。だから、苦しくて、楽しい。
決して自ら傷つきたくて文章を書いているわけではない。でも結果的にそうなってしまう。そのたびにみんなが暖かい言葉で僕を包んでくれることに、ちょっぴり味を占めはじめたり。


・・・


昨日、人生で初めて小説を書いて、初めて他人に見せた。
正直かなり緊張した。

エッセイもポエムも自分のことだから好き勝手書くことができるが、小説となるとそうはいかない。頭の中で鮮明に情景をイメージして、登場人物に命を吹き込まなければならない。読み手の頭に情景が浮かび、感情移入できるのが望ましい。自分で一から世界を作り上げる。そんなことが僕にできる自信はあまりなかった。

やはり難しかった。不思議なもので、ようやく出来上がっていざ投稿したあとで読み返すと、足りない部分がどんどんと見えてきて、チープな話にしか見えなくなってくるのだ。やっぱり僕には身に余るものだったのかもしれない。夜行バスから降りたら消そう。そんな風に考えていた。

朝バスから降りて確認してみると、いつもより多くの方々から例の小説にコメントが来ていた。

良かった、情景が浮かんだ、キャラクターが良い、etc...

なんなんだ。聖人しかいないのかここには。
僕の未熟な文章を惜しみなく褒めてくれる。また暖かい言葉をかけてもらった。また救われたのだ。次回作を楽しみにしているとのコメントも頂いて、しばらく鼻の穴を膨らませていた。

いつも優しく接してくれるこの街に、いつか何らかの形で恩返しができればなあ・・・と思う。



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