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私が落ち込む理由は自分の中にあった。

初めての顕微授精、胚移植で妊娠に至らず、

思った以上にダメージを受けていて、

なんとなく落ち込んだ気分で週末を過ごしました。

自分にできることはやって、あとは天任せ。

自分ではどうにもできないことに落ち込んでもしょうがない。

と分かっていても落ちたテンションをなかなか戻せず。

胚移植後、できなかったことをやろうと、

マウンテンバイクをかっ飛ばして銭湯に行って温泉に浸かったり、
お酒を飲んだり、
大好きなコーヒーを飲んだり、
気になってた進撃の巨人の新巻をレンタルしたり、
目一杯腹に力を入れて雑巾掛けをして部屋をピカピカにしたりと、

自分の機嫌をとっていました(安上がりな機嫌だな)。

存在しない命に対して、何を自分は落ち込んでいるのだろうと、不思議な気持ちになりつつ、

だんだんと

もし産まれた後に失ったのなら…

存在する子を失う喪失感ってとんでもないよな。

と飛躍して考えるようになりました。

頭の中の妄想、飛躍しがちです。。。

だけど妄想は止まらず、

天災であれ、人災であれ、その喪失感と絶望感を抱えたまま生きるなんてできるのか。

そんな悲しいことってない。

失ってしまった現実に毎日ぶち当たりながら生き続けるって、

救いはどこにあるんだろう。

いったいどれだけの月日が経てばその現実に慣れるんだろう。

果たしてそんな日は来るのか。

と、泣けてきました。

薬はもうストップしてるのに、まだホルモンがどうかしてるのかもしれません(情緒不安定)。

人はどうやってその先を生きればいいんだろう?

そういう人が、本当はこの世にはたくさんいて、みんなこの毎日を生きてて、

元から存在しなかったみたいに、出会う前の自分になんて戻れないし、

確かにあった過去と共に生きているわけで、

それってどういうこと?

と、思いを巡らしていました。

そしていつものごとく映画を観ました。

『素晴らしきかな、人生』

愛娘を病気で亡くした主人公の話です。

無気力に生きる彼の前に「死」、「時間」、「愛」を名乗る3人の人物が現れます。

この主人公が再び自分の人生を歩むまでのお話でした。

正直、3人が彼に伝えた言葉が印象的だとか救いだったとか、

そういう感想は無いのですが、(ないんかーい)

1人の人間が大切な人の死と向き合うまでの過程を

ボロボロ泣きながら観てました。

唐突で意外な終わり方で、本当はもっと色々な想いを表現したかったのでは…制作中にいったい何が。

と勘ぐってしまいましたが。

過去を受け入れ、それを抱えながら生きるたくましさと優しさを感じました。

何ひとつとして当たり前はなくて、日常は非日常で不確定なものですね。

観終わって、ふと自分は何に対して落ち込んでいたのか分からなくなりました(・・?)

もしかしたら、

宝くじに当選して、アレ買おう、コレ買おうと想像してたけど、

勘違いで、実は当たってなかった。

というのと近いのかもしれません。私の場合ね。

今日は冬至なのでゆず風呂に入りました。

すんごくいい湯でした。

それではまたね。

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