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旅をしよう、ぼくらは

わたしは「今」をどれくらい見られているだろう。

あいも変わらず息をするようについついSNSを開いてしまうのだけれど、画面越しにわたしが見ているのは、どれもこれも過去の残像だ。


5分前に投稿されたうつくしい写真、
3時間前に情報解禁された新曲、
2日前からシェアを重ねて流れてきたエピソード、
1週間前に公開されたライブ映像。

どれもわたしに届くころには「過去」だ。

それらを眺めて、「今」を知った気になっている。

でも、あの写真に映った空はもう暮れているし、撮影した人はすでに別の景色に出会っているし、新曲を発表したアーティストは次の制作にとりかかっているし、心温まるエピソードは他の話題に埋もれてゆくし、あれもこれも流れ流され、上書きされたり忘れ去られていく。

わたしが今だらだらと眺めているのは、まぎれもなく誰かのいつかの残像だ。


じゃあ「今」を感じる瞬間ってどんな時だろう、と考える。

それは「体験」かな、と思うのだけれどどうだろうか。

つまりは、身体感覚だ。

味覚・触覚・視覚・聴覚・臭覚といった生身の体感と、それから湧きあがる喜怒哀楽その他無限の感情・複雑な気持ち・ことばにできない感覚。

SNSやネットに関していえば、画面に映しだされるものを見たり聞いたりすること自体が重要なのではなくて、その次の「何を感じたか」を紐とくことが体験になるのだと思う。

でもやっぱり自分自身がこの身をもって、直接見たり聞いたり味わったりした体験に勝るものはないと思うけれど。


これは決意表明なのだけれど、今年はたくさん体験してみようと思うのだ。

そういえば、なぜか今年書いたnoteを振り返ると「旅をしよう」みたいなところに自然と行きつく。

ものすごく旅がしたいのだろう。

会いたい友だちに連絡してみよう、
好きな歌手のライブに行ってみよう、
行ったことのない街に行ってみよう、
通ったことのない道を選んでみよう、
積ん読になっている本を読んでみよう、
久しぶりにCDで音楽を聴いてみよう、
映画館で映画を見よう、
劇場で演劇を見よう、
つくってみよう、
書いてみよう、
訊いてみよう、
伝えてみよう、
やってみよう。

身体的な旅も、心の旅も、たくさんしてみよう。


星野源が歌っている。

今のうちに
旅をしよう 僕らは

星野源 - 光の跡


SIRUPが歌っている。

踏み出したら そこは絶景

SIRUP - GO!!


TOMOOが歌っている。

会いたい人がいる以上の
希望なんてどこにあるでしょう
どんな景色でも
どんなあなたでも

TOMOO - 窓


田舎での暮らしでも、旅はできる。

出かけましょう、
会いましょう、
話しましょう、
見て、
聴いて、
味わって。

どこにいても旅をしよう。

だだっ広く澄んだ空を眺めながら、そう自分に語りかけたくなった午後だった。

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