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アイルランドのクリスマスが教えてくれた、盛大に祝うより大切なこと | アイルランドと私 #8

私はキリスト教ではないが、日本にいた時は、クリスマスが一番好きな行事だった。似非と言われるかもしれないが、庭のゴールドクレストに飾り付けをし、当日朝になったら弟とサンタさんからのプレゼントをベランダへ探しに行き、夜はごちそうを家族で囲んだ。クリスマスの本場アイルランドでも、さぞ盛大で本格的に祝うんだろうなあと夢見ていた。

去年、実際肌で感じたアイルランドのクリスマスは、もっと粛々として、慎ましく、身内で楽しむもののようだった。この国の素朴なクリスマスと、感じた孤独と、家族について考えたことを書いてみた。


コロナにかかる、怒鳴られる

会社のクリスマスパーティーが12月半ばにあり、これ自体は楽しかったのだが、問題は、その時社員達がコロナにクラスター感染したことだ。私も、その一人だった。初めてのコロナを、異国で。不安だった。

クリスマスパーティーはダブリンのギネスストアハウスで

出勤してすぐ、体調の異変に気が付き、併設の薬局でキットを買って検査をした。陽性。家に引き返すことにした。ステイ先のホストマザーに連絡をすると、「私が指定する医療マスクを手に入れない限り、家に入れない」と言われた。熱はあるの?薬は持ってる?という言葉を期待していた自分の甘さを痛感する。38.5度の熱で朦朧と運転をした。彼女が指定した医療マスクは専門性が高すぎて普通の薬局では売っていないものだった。帰ってくるなということだろうか。コロナの身で店に出入りするのも憚られ、持っていた普通のマスクを二重にすることで家に帰る許可が出た。

「迷惑をかけやがって!」
謎のマスク探しの末、やっとこさ家に帰るなり、ホストマザーに言われた言葉はこれだった。私は渡航直後、日本のコロナ対策の感覚で家の中でもマスクをしていた。すると彼女に「コロナなんて今時誰でもなるんだから、マスクは外しなさい、気にしすぎ。変よ」と言われ、私がマスクつけようが外そうが勝手だろうと思いつつも、おそるおそるマスクなし生活に慣れていった。彼女も、コロナに罹ったことがある。だのに、上の言葉だった。申し訳ないと共に、何だか理不尽だと思ってしまった。実はこういう彼女の理不尽さというか、一貫性のなさに、普段から振り回されていた。

その後も、隔離されている自室で咳が止まらなくなるとドア越しに「ウイルスを撒き散らすな!」と怒鳴られ、What's app(LINEのようなもの)で「貴女のせいでクリスマスの飾り付けが一週間遅れる(治ったら私がトイレのために通過する廊下を除菌したいため。この時クリスマスまで二週間)」「貴女のコロナ療養のために暖房をいつもより多くつけている。お金がかかる」等と定期的に送られ、謝罪の言葉を返し続けた。大抵重症にはならないと知ってのことかもしれないが、彼女に体調、食べ物、水、薬の心配をされたことは一度もなかった。寂しさと悲しさでいっぱいになった。

隔離期間が終わると、この一連のことで気持ちがひどく落ち込んでしまっていた。土日に狂ったように行っていた登山やボランティアにも、ぱったりと行きたくなくなり、部屋でボーッとすることが増えた。一方、ホストマザーの機嫌は隔離解消後にはすっかり元通りになって、「クリスマスディナーを振る舞うわ」と言った。普段金の話が多い彼女だから、「その食費はいくら払えば良いですか」と念のため聞くと、「バカ言わないで、タダで良いのよ。私達は家族じゃない」と優しく言ってくれた。それ自体は嬉しかったし、クリスマスの日に所在ない私に居場所を作ってくれたことにも、とても感謝している。だけれども、コロナ罹患時のことが、何となく喉に刺さった魚の骨のように頭から離れない。

彼女が本当は思慮深いとても親切な人であり、思慮深いからこそストレスも多くて、衝動的に強い言葉を言いやすいだけということも、理解していた。私に何か良くない点があり、我慢させていたのかもしれない。

「私がランドレディなのよ。全ては私の気分次第。言わなくても察して」と、治外法権のように日替わりで、彼女の気分次第で、予告なく追加変更されるハウスルールにとことん従った。しかし彼女の心は満たされないようだった。

いつか仲良くなれると信じたかったけれど、たまに彼女がぽろりと零す民族差別的な言葉達を聞いて、良い人であろうと努力する彼女の根底にあるものを窺い知った。ただただ、お互いびっくりするほど反りが合わないだけで、どちらが一方的に悪いというのはないと思う。しかし悲しいことに、私が彼女と家族になったと心から思える日も、彼女が私と家族になったと心から思える日も、きっと来ないのだろうと思った。

アイルランドのクリスマスは、日本の正月

こんな風にクリスマス前はかなりネガティブな気持ちになっていたが、クリスマスはそれはそれとして楽しみだった。

12月23日から1月1日まで、大抵どの会社も長期休暇に入る。同僚達は皆、その間実家に帰り、集まってくる親戚達と色々と話をするんだ、と予定を語らっていた。親戚が集まるのに備えて、また、どの食料品店も休みになるため、クリスマス前にお父さん達がたっぷり食べ物を買い込んでおくんだと言う。

私は何となく、なるほど少し日にちがずれるだけで、日本の正月と同じような位置付けなんだろうなと感じた。親戚が久しぶりに集まり飲み食い、昔話なんかして、ゆっくり過ごす休日。そう思って街を見て回ると、クリスマス一週間前くらいから各家のドアに飾られるリースとクリスマスツリーは、しめ飾りと門松に何とも様相がそっくりである。クリスマスディナーは、おせちやお寿司のようなものだろう。親戚や知り合いに期間限定の切手を貼って前もって(12/10までに投函しないと、当日届かない)送るクリスマスカードは、まさに年賀状と合致する。

郵便局で「クリスマス切手ください」と言うと、右上のクリスマス切手がもらえる。
必要であれば、国際便用の青い切手も合わせて買える

クリスマスを終えると、新年や家によっては1月中旬くらいまでツリーやリースが玄関先に残っている。これを見ると、12月25日までは煌びやかな洋風のクリスマスデコレーションで埋め尽くされていた街並みが、26日から「もういくつ寝るとお正月」やお琴の旋律が流れすっかり和風の年末年始モードに包まれる日本人、改めて切り替え速いな…と面白くなった。

クリスマスツリーファーム

思ったよりも静かな行事と分かったが、それでもいくらかは街全体でクリスマスムードが漂う。私が一番見てみようと思っていたのは、クリスマスツリーファームとマーケットである。クリスマスツリー専用の圃場と市場のことで、Googleの地図でも見つけられる。

ダブリン南部にあるクリスマスツリーファーム。
販売も行っている

クリスマスツリーだけで常設の圃場があるなんて、やはり本場らしい。クリスマス近くなると、梱包され槍状になったツリーをキャリアーに乗せた車を何台も見かける。

運搬しやすいようにキュッと槍状に梱包されたツリー達
右側にあるのがネットでツリーを梱包する道具
ところ変わって12月下旬の日本。
アイルランドのツリーのように、門松用の竹が立て掛けてある

12月のある夜、環状交差点で間違った出口を出て、延々とUターン出来る場所を探して車を走らせていた。すると、何やら誘導棒を持ったおじさんが手招きをしている。私は何故かそれに吸い寄せられて、右折してしまった。しまった、何の会場に入ろうとしているんだ私は。夜誘導員がいるなんて、工事車両用くらいしか思いつかない。一般車両が入ったら迷惑かも…。

しかし急いで誘導員に「すみません、ここは何の会場ですか?」と聞くと「クリスマスツリーファームだよ」と言う。何とここにもあったのか。行こう行こうと思って全然行けていなかったツリーファーム、折角だし、少し見させてもらうことにした。

迷い込んだクリスマスツリーファーム

入り口から乗り入れると、左手に仮設テントが見える。あれがどうやらツリーファームらしい。車を停めて見回すと、ツリーファームのテント以外は、遊具と野外スクリーン以外は何もない、だだっ広い砂利の空き地だった。

売り場の外観はこんな感じ。思っていたより武骨な外観
テントの裏にはまだまだツリーのストックがたくさん

テントに入るなり、針葉樹特有の、シトラスにも似た爽やかで少しえぐみのある香りが広がる。受付兼レジのおじさんに「買えないのですが見て回ることは可能ですか」と許可を貰い、テント内を見回す。展示されているツリーは何種類かあり、基本的に根鉢ではなくその年限りのものとして、地上部で切られた状態で売っているようだ。樹種を確認すると、ダグラスモミや、シトカトウヒなどが主であった。

私が歩いていると、売場のおじさんがアパレル店員の如く私に合うツリーを選ぼうと話しかけてくれた。「部屋の高さと横幅は?」「好みの形は?」と丁寧に聞いてくれて、なるほどこうやって皆好みのツリーを選ぶんだなあと思いつつ、「実はホームステイなので買えないんです、ごめんなさい」と言って一人でしばらく見回った後、テントを後にした。いつかおじさんに選んでもらって、本当に買える日も来るんだろうか。いずれにせよ私にはそういう場所は今のところないのであった。

ツリーを立てて見せてくれたおじさん。
買えなくってごめんなさい
値段は70ユーロくらい
会社には折り畳み式のクリスマスツリーと飾りが倉庫に仕舞われていた

クリスマスソング聴かない競争とクソダサセーター

クリスマス周辺のささやかな、けれど現地ならではのユーモアのある遊び方として、クリスマスソング聴かない競争がある。

11月末からクリスマスにかけて必ずラジオや街で流れる定番のクリスマスソングたち。同僚曰く、30代の彼女の世代あたりではこのクリスマスソングを如何にクリスマス直前ギリギリまで耳にしないでいられるかを競ったりするらしい。うっかり聴こえてしまったら、SNSでタグ付けして「この曲は今日聴いてしまったよ」と記録を残すそうだ。当たり前なのだが、敬虔な信徒という印象を持たれるアイルランドの人達も、現代の楽しみ方を満喫しているのだなあと、時代の推移を感じる。

それから、クソダサセーターコンテスト。ダサい柄のクリスマス用のセーターを探してきて、そのダサさを競う。ダサければダサいほど良いらしい。コロナのクラスター感染でおじゃんになったが、私の会社でも社内コンテストをやろうかという話になっていた。コークに住む同僚によると、各地域で会場を設置してミスコンのように壇上に上がった参加者がダサさを競ったりするイベントがあり、彼女も定期的に見に行くらしい。

ちなみに私も予定されていた社内コンテスト用にクソダサセーターを購入していた。アメリカのメーカーで、8000円。お相撲さんの恰好をした半裸のサンタさんの上空をクリスマスに関係のないお寿司が舞うという、バカバカしいデザインでとても気に入っている。優勝候補なんじゃなかろうか。今年は日本で過ごすため、来年こそは現地で着られる機会があるといい。

SUMO FIGHTERサンタ。寿司を浮かせる能力者なのか…?

おまけで、街でたまに見かけて気になった足の飾り。

ドライブ中に見かけて一瞬冷や汗をかく。
サ、サンタさんが…
こういう飾り(?)をたまに見かけるのだけど、どういうこと…?
煙突に入っていくサンタさんなのか…?
シュールすぎる…

ミサ(mass)

近所の教会のクリスマスミサにもお邪魔させてもらった。私の住んでいた場所はダブリン郊外の山の上にある静かな町で、この日のミサも人がごった返しているというわけではなかったが、それでも教会の会衆席はほぼ埋まっていた。

別日に撮らせていただいた内装。カトリック教会らしく色とりどりの装飾がされている。
左手にアイルランドでのキリスト教布教に最も貢献したとされる聖パトリック、右手に聖マリアの像が置かれている

席にはクリスマスミサ用の進行表が置いてあり、どのタイミングで神父の台詞、参加者の台詞、歌が入るのかが追えるようになっていた。私は流れが分からないなりに、その進行表を指で辿り台詞を言い、動きは周りの人達に倣うようにした。

歌には、最前列にいる地域の聖歌隊だけが起立して歌うものと、参加者全員で歌うものがあった。歌詞は進行表に載っていたりいなかったりしたので、知らない曲は繰り返し歌われるサビの歌詞だけ聞いて覚えて歌ったりした。皆で歌うというのは気持ちが良い。リコーダーとオルガンで奏でられる伴奏の音色がこれまた素朴で、しかし印象的で、胸を締め付けるような哀愁と暖かさがあった。

伴奏の音は違うものの、一番記憶に残った曲を、ここに貼らせていただく。イントロが始まった瞬間、何とも胸の奥が震えてしまい、アイルランドでクリスマスを過ごす喜びと孤独が相まって、半べそでこの歌を歌った。

盛大に祝うよりも大切なこと

このように、私は大いにアイルランドのクリスマスの良さを満喫させてもらっていた。しかし同時にこの時強く願ったのは、自分の本当の家族に会いたいということだった。あんなに憧れていた本場のクリスマスの渦中にいながら、こうじゃなくたっていい、と思った。

仲良くなった友人と同僚が、皆家族の元に散り散りに帰ってゆくのをダブリンで見送る。ツリーを自分で選ぶ家はなく、暖炉の前で掛け値なしに話せる相手はいない。寄る辺なさが押し寄せる。「みはらもクリスマス休暇に日本に帰って家族に会える?」と同僚に聞かれ、いいやと答える。一週間滞在するために往復15~40万の航空券を買うことは出来ない。自分が随分遠くから来たことを再認識する。

盛大にではなく、大切な人達とひっそり、穏やかな顔でクリスマス休暇を過ごす彼らを見て、私も日本にいる家族と過ごしたいと思った。

ホストマザーのコロナの一件も、この家族シックにかなり効いていた。日本にいる家族とは、病気になった時に互いに心から心配する。互いの成功を心から喜び、応援する。皆で力を合わせて助け合う。今回の一連の経験は、その関係は、何とも尊く、得難いものだと、再認識し、自分のルーツや家族を顧みるとても良い機会にもなったのだ。

ボブカットの一族

時は飛んで今年秋、一時帰国をした時に、今年亡くなった祖母のお墓参りに行った。祖母は7人姉弟で、親族が多かった。今回は祖母の妹のHさんと、また別の妹の娘のTさん、それから私と母の4人旅だ。

親戚とは疎遠な方で、HさんとTさんに会ったことがあるのも数回程度だった。しかし会った瞬間から、何とも居心地の良い空気が流れた。一緒におそばを食べて、それから祖母の墓がある霊園に行った。花を添え、墓に水をかけた。その後は、女三人寄れば姦しというが、さらに一足して女が四人である…話に花が咲く咲く、喋り続けた。

「私達の血筋ってね、ボブカットが似合う顔だから、髪型がそれに収束するのよね。ボブカットの一族なのよ。ほらあの子もそうだし、あの子も…あれ、みはらちゃん、あなたもじゃない」
言われて気が付く。私は高校生の時に前髪ぱっつんのボブカットにした後、パーマをかけたり前髪を伸ばしてみたり色々試し、結局今、ぱっつんボブカットに落ち着いていた。何だかこれが、私の顔に一番しっくりくる気がするから。

「おばあちゃんもそうだったね」
母がそう言ったのを聞き、お葬式用に身なりを整えてもらった祖母の写真を思い返す。彼女も亡くなる数日前にヘアサロンへ行き、きれいなハニーブラウンの、ぱっつんボブカットになっていた。

ボブカットの一族。数回しか話したことのないこの親戚二人と、また会ったことすらない祖母の姉弟達に不思議と、この言葉ですんなりと奥深いつながりを感じた。アイルランドで皆が家族の話や一族の歴史を楽しそうに話している時「こうやって大切にし合う家族がいるのって良いなあ」と羨ましかったり、寄る辺なかったり、尊敬の念だったりを感じていたが、何だ私にもちゃんとあるじゃないかと、溜飲が下がる気がした。

祖母の墓石に刻まれたご先祖様達、ボブカットに収束する親戚。アイルランドで異国人として生き、あやふやになった「私」という輪郭が、元に戻っていく。お墓参りや親戚付き合いは、いつもはその日が来たらそうするもの、続ける慣習と思いながら参加していたように思う。こんな風に、一つ一つの瞬間や言葉を噛み締めて、自分が誰かから繋がれた命なのだと意識して参加したのは、初めだった。

今年のクリスマスは、日本の家族と過ごせる。例え飾り付けやごちそうがなくたって、ヨーロッパのクリスマス風景に憧憬の念を抱くことはもうないだろう。飾り付けも食べ物も何でも良い。プレゼントもなくて良い。お互いを深く思いやれる相手と身を寄せ合って過ごすクリスマスが、何とかえがたいことか。家族と過ごす時間を質朴に愛するアイルランド文化が、それを教えてくれたのだ。

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