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苦しみの弱さと強さ。そこから見る人との関わり。
ただ楽しさだったり嬉しさだったり幸せだったり、そういったものを中心において過ごせばいいはずなのに。
それが自分の幸せな人生に、幸せな今に繋がるはずなのに。
そうは分かっていても、それらを中心におけない時がある。
自分で複雑にしていることも、自分がこの現実を創っていることもわかっている。
それでもどこか宙に浮き、自分の居場所も自分の存在も分からず、ただ彷徨い続けることしか出来ないことがある。
宇宙人にしっくりきてしまった背景やら私の考えやら
先日書いたこちらの記事▼
宇宙人でいきましょう!と言われてしっくり来てしまったわたし。
この記事の1歩先というか、深いところというか、そんなお話。
有益になるような話は書いていないのですが、センシティブな内容だとは思うので有料記事とさせていただきます。
フラットな視点で私が感じていることを書いているだけですので、フラットな視点で受け取ってくださる方のみ読み進めてください。
私は自分のこと
言語化力は習得したチカラ
この数年でわたしが周りから褒められるようになった 「言語化力」
これは私が人間になるためにかなりの年月をかけて習得した力だ。もともと備わっていた力では無い。これは言い切れるほどに強く思っていること。
というのも、私はもともと言葉をもたない人間だった。言葉を持たないというよりは、"私の感覚に 合う / 当てはまる 言葉がなかった" という方が正しいだろう。すでにある言葉では自分を表現できず、同じ
美容院でみえた自分の大切なもの
先日初めての美容院に行った。
いつも行く美容院は2ヶ所あるのだが、家から1時間前後かかる場所。自分がいっぱいいっぱいなのもあり、時間を確保して予定を組んで予約して……という行為をする余力が全くなかったので、家の近くの病院に行ってみた。
雰囲気が良さそうなお店&近いというポイントだけで選んだ場所。近くに美容院があってよかったと思った。
☽⋰
いざ行ってみたら綺麗な場所。雰囲気は悪くない。
宇宙人的なわたしと人間的なわたしと
感覚的な人というか
宇宙人的な人というか
スピリチュアル的な人というか
そういう人たちは境界線が薄くなりがちなのかも?
人間として生きるためには境界線が必要で
境界線があるからこそ自分を生きれるわけで
境界線がないならば自分として生きている意味はあるのか?
とも言えそうな気がするのだけど、
いわゆるワンネス的なものを感覚的に知っている人たちは
溶け合うこと、全てはひとつであること、もともとはひ