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躁が求められる時代に抑うつになる勇気


早く起きて朝活。
仕事はがむしゃら。
夜はジムか飲み会。
土日は自己研鑽。


みんなこうして頑張って、上向いて、時間を無駄にしないで、人脈広げて、ポジティブに、何事も楽しんで。

怒りはコントロールして、悲しみは切り替えて、上手くいかないことは論理的科学的に修正して。





そんなの、虚像です。



落ち込んで、いつもは出来ることが出来なくて、誰にも会いたくなくて、羨んで、嫉妬して、誰かに優しくして欲しくて、思いきり殴りたくて。


ありのままの感情を無視したとき、一つ自分に不誠実になるのです。
ありのままの感情を無視していると、次第に自分がどう感じているのか自分でも分からなくなるのです。

でもそれって、自分が自分に嘘をついているだけなんでしょうか。




こころの風邪"うつ病"が流行りだして久しいですが、"うつ病"を作り出しているものは一体何なのでしょう。

企業が、社会が、時代が、「躁的に活動することが優れていて、抑うつ的になることが劣っている」という価値観を求めてきました。
果たして、ロボットのように動き続けることが善で、植物のように逆らわず静かに命を全うすることが悪なのか。


社会の歯車である私たちは、他の歯車が複雑に回り始めたら、自分だけ回らないで抵抗することはかなり難しいでしょう。
社会が虚像を求めてきたからこそ、自分で自分に嘘をつかなければならなくなる。これは当然の流れです。

だから、心理士としてクライエントと向き合ってきて、彼らが苦しみながらも回り続け、身を削りながらその動きを止めることができないでいるのが、彼らの「内側」の嘘だけにあるとは決して言えません。



だから簡単に「ありのままで良いんだよ!人と比べずにいこう!」「怒りは二次的な感情だから、こうやって鎮めてやり過ごそう!」「辛くなったら少し休んでまた始めよう!」などとは言えない。決して言えないです。




抑うつになる勇気を持てる場を探す


私は、抑うつになることの大切さを知っています。
(ここでいう"抑うつ"とは、単に"うつ病"を指しているわけではありません。)

それは全てのものには引力と斥力があることを知っているからです。



そして私は、抑うつに伴走者が必要であることを知っています。

それは人間が"関係性"に生きる生物であることを知っているからです。
(それが全てと言ってもいいくらいです。)



だからこそ、私は心理療法(カウンセリング)の力を信じています。


もちろん、心理療法がベストということではありません。
しかし、「虚像を求める社会の歯車から離れた」存在が、「安全に抑うつになる」場を提供し、「その道のりを一緒に歩く」という体験は、なかなか簡単には出来ません。



自分が虚像に振り回されたとき。

自分が安全に抑うつになれて、その世界を一緒に潜ってくれる、自分とは違う歯車の世界に住んでいる安全な存在を探してください。

そしてその一つの選択肢として心理療法があれば、これほど職業冥利に尽きることはありません。


(最後は宣伝文句のようになってしまいました。)


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