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あらゆる犠牲の上に立っている。

私は今日も生きている。


なぜだろう?
こんなにも私という一人の人間は無力であるのに。

経済的にも、精神的にも、完全に自立してるとは言えないのに。


生まれてから、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と次々に卒業して大人になった。


学生だった頃は、自分のことだけしか見えていなくて、周りへの感謝など全く思い浮かばなかった。


社会人になった。いよいよ自分ひとりの力で飯を食い、寝床を探し、将来へ向けて蓄えなければならなくなった。


甘かった。



ずっと、ずっと、ずーっと甘かった。


大人になって痛感する、大人の凄さ。


思春期には、理想通りではない環境や両親の振る舞いに対して反抗的になり、なんで人生はこんなにもうまくいかないのかと、常にイライラしていた。


私にはこんな理想があるのに、周りは全く協力してくれない。そう思い、日々理想とのギャップに煩悶していた。


学生から社会人になり、毎日が仕事の日々。仕事以外の生活なんて、全くうまくできている気がしない。


両親が当たり前にやっていたことがこんなにも難しかったなんて。

朝6時に起きて、私のための弁当をつくり、8時には私が学校に行くのと同時刻に出勤する。


帰ってきたら晩御飯をつくって、洗濯や掃除など諸々の家事をする。


毎日の塾の送り迎えも、父と母の交代制で行っていたが、迎えが少し遅くれると、それに対して怒っている私の発言を黙って聞いて何も言わなかった。


あの頃、当たり前だと想像していた大人の現実は全く甘くなかった。



仕事では失敗の連続、家に帰れば家事なんてできるはずもなく、インスタントの食品を食べる日々。


昔は当たり前にしてた読書や趣味もやらなくなった。というよりそんな元気がない。


しかし、私はもう大人になってしまった。


あの頃に想像していた大人では全くないし、むしろあの頃の私がみたら軽蔑の対象になるであろう大人になった。


それでも希望をもって明日も生きていかなければならないと思っている。


なぜなら、今の私は沢山の人の犠牲の上に生きているのだから。


両親が身を削って毎日働き、私を育てるためのお金を稼ぎ、大学まで卒業させてくれた。


祖父や祖母が、私の弟と妹の予備校や大学の学費の資金援助をしてくれた。


私がお金に困っている時に、お金を貸してくれた友人や親戚のおじさん、おばさん。


将来の進路に悩んでいたときに、相談にのってれた学生時代の恩師。


他にも数え切れないほどの多くの人の支えがあって、今日も生かされている。


人だけじゃない。



毎日の食事だって、生き物の命を頂いている。



私がこうして生きているのは、全て何かしらの犠牲があってのことである。


だからこそ、これからの人生において、辛いことや嫌なことがあったら思い出したい。


私が今ここに存在するのは、無数の犠牲のおかげであり、私の力など微塵も及ばないのだと。


何があっても諦めず、今の自分をつくった犠牲を無駄にせず活かす。


活かしてみせる。



犠牲に生かされてる。決して驕るな。



前を向け!

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