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どう生きたって誰も嘲笑わない世界を。

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どう生きたって誰も嘲笑わない世界を。

記事一覧

愛してるものに愛されないとき、愛の正体がやさしさではないことを知る。やさしさがやさしくない時、やさしさの正体が愛ではないことを知る。さみしさとかなしみは、そういうものだと許していけるなら、限りなくちいさくなった毒を飲み込んで、死ぬまで知らないふりを。その形のままを。

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3週間前
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やさしいものがやさしくなかったとき音階を破壊する音がする。信じたかったものに騙されたふりをして、ふりだったはずなのに悲しくなるのは、愛していたからだよ。

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4か月前
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夜景の原料は汚れ

ほんとうの美しさなど存在しないと思っていることが生きている理由で、存在しないと思えば思うほどに、その存在を確かめようとする。 美しさが綺麗なものであるとして、そ…

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5か月前
4

足元が竦んだ。止まらない頭に追いつけない体で地球が沈む。最後まで、なんの約束もされない命が、ふわふわとラッキーアンラッキーを餌に息をして、たまたまここにいる。あぁ、恐怖。ここは眩い暗闇。

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5か月前

信じるということは、じぶんの脆弱性を相手に委ねるということだ。じぶんの一部を手離したら、簡単になみだが流れるようになった。壊れないように心のおくに抱きしめ続けてきた、きみのそれもおなじ。

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5か月前

じぶんという時間がながれる。きみという時間がながれる。ふたりという時間がながれる。わたしがきみにながしたぶんが、愛。きみがわたしにながしたぶんも愛。愛は時間になれない。孤独に愛はながれない。

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5か月前
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きょうも思い出させてくれるな

年末の追い込みで1分1秒を争う日に、仕事をサボってここにきた。 人生で忘れられない人たちがいる。その多くは、会うことも連絡を取ることもなく、ただどこかで生きている…

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5か月前
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「アミ小さな宇宙人」の発見

わたしがこの本に出会ったのは、東京にきて出会った友人がわたしのことを「アミのようだ」と言ったからだ。果たしてアミとはどんな生きものなのか、そしてじぶんという生き…

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6か月前
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やさしいスイミーのつくりかた

「生きていくことは辛いよね、それでも生きていこうね」って代弁してくれるのが、音楽で、映画で、そしてこの世界であってくれたら、と思うぼくがここにいるから、そのまん…

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6か月前
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おばあちゃんの記憶の記録

おばあちゃんは、部屋のものがなくなるとわたしに必ず電話をしてくる。数年前、いや10年近く前から、軽度の認知症は始まっていて、急激な悪化はないものの、おばあちゃんの…

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6か月前
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それぞれ誉れ

ちょっとだけ波に触れたそのひとは、海の色を青だという。 仄暗さと息苦しさに包まれる水深200メートルの先は、水越しの太陽と、酸素のない世界を喜ぶひとがいた。 触れ…

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6か月前

宿る

そこで息をしていた、ここで息をしている。 循環しつづけたから、研ぎ澄まされて、灯した血液をあたためる。 歩けと思えば、前に進んだ足跡を、今日まで記したのは、ぼく…

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6か月前

戦わない功績を

人生に種を蒔く。 ぼくが吐き出すものすべてが、繰り返すいまに堕とされて、忘れたころにうしろで咲いていた。 世界に刃向かうことをやめて、踏みしめた足元を耕せば、枯…

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6か月前

なんでもできるは嘘

現実に嫌気がさしているきみに「なんだってできるよ」と言ってはみるけど、その人はその人の人生を生きていて、その人生の中に存在する選択肢を選ばなければいけない。 な…

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6か月前

外からの窓と中からの窓

ぼくたちがつくり上げた世界で、夜はすこし寂しそうに生きています。 最期まで会うことのない人たちを、愛しいと思いませんか。 きれいなものは、どこか悲しくないですか。…

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6か月前

人生のはんぶんは悪い夢を見ている

いまここは夢のなかで、これはただ悪夢の途中で、眠っているぼくが夢を見ているんだと思う。 きっといつかはその悪夢から目が覚めて、この頭が創り出す世界の中にいられる…

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6か月前

愛してるものに愛されないとき、愛の正体がやさしさではないことを知る。やさしさがやさしくない時、やさしさの正体が愛ではないことを知る。さみしさとかなしみは、そういうものだと許していけるなら、限りなくちいさくなった毒を飲み込んで、死ぬまで知らないふりを。その形のままを。

やさしいものがやさしくなかったとき音階を破壊する音がする。信じたかったものに騙されたふりをして、ふりだったはずなのに悲しくなるのは、愛していたからだよ。

夜景の原料は汚れ

ほんとうの美しさなど存在しないと思っていることが生きている理由で、存在しないと思えば思うほどに、その存在を確かめようとする。 美しさが綺麗なものであるとして、それが心を満たす栄養にはならなくて、こんな世界だから、こんな醜いものたちで溢れているから、わたしは生きている。 満足も美しさも知れば虚しい、得れば終わり。

足元が竦んだ。止まらない頭に追いつけない体で地球が沈む。最後まで、なんの約束もされない命が、ふわふわとラッキーアンラッキーを餌に息をして、たまたまここにいる。あぁ、恐怖。ここは眩い暗闇。

信じるということは、じぶんの脆弱性を相手に委ねるということだ。じぶんの一部を手離したら、簡単になみだが流れるようになった。壊れないように心のおくに抱きしめ続けてきた、きみのそれもおなじ。

じぶんという時間がながれる。きみという時間がながれる。ふたりという時間がながれる。わたしがきみにながしたぶんが、愛。きみがわたしにながしたぶんも愛。愛は時間になれない。孤独に愛はながれない。

きょうも思い出させてくれるな

年末の追い込みで1分1秒を争う日に、仕事をサボってここにきた。 人生で忘れられない人たちがいる。その多くは、会うことも連絡を取ることもなく、ただどこかで生きているという情報をそれとなく確認するだけで、ちゃんと頭の片隅に存在し続けている。 その中に、一年に一度ほど、ふとメッセージを送りたくなる人がいる。今年も遠慮なく送ってしまった。 返事が欲しいわけでも無理に会う約束をするわけでもない。「わたしはきみを忘れてはいないよ」ということを一方的に伝えたくなる、そんな人。 彼女

「アミ小さな宇宙人」の発見

わたしがこの本に出会ったのは、東京にきて出会った友人がわたしのことを「アミのようだ」と言ったからだ。果たしてアミとはどんな生きものなのか、そしてじぶんという生きものが他人にどう思われているのかを知りたくなって、少々値の張るその本を、すぐさま入手した。 愛のお話だった。地球に生息する人間はまだ"ほんとうの愛"を知らずに未熟な生きものとして生存している。全人類が愛を持ったとき、いろいろな概念がなくなったり、障壁がなくなるのだという。 すっかり引き込まれた。じぶんのことを"アミ

やさしいスイミーのつくりかた

「生きていくことは辛いよね、それでも生きていこうね」って代弁してくれるのが、音楽で、映画で、そしてこの世界であってくれたら、と思うぼくがここにいるから、そのまんまきれいな言葉を食べていけば、きみは大丈夫だよ。

おばあちゃんの記憶の記録

おばあちゃんは、部屋のものがなくなるとわたしに必ず電話をしてくる。数年前、いや10年近く前から、軽度の認知症は始まっていて、急激な悪化はないものの、おばあちゃんの世界では、部屋のものがよくなくなり、部屋には度々泥棒が入っている。 「そんなの思い込みだよ、泥棒なんて入ってないよ、その家に盗むものなんてないよ」こんな気休めの言葉は、最初から通用したことがない。おばあちゃんの電話には、色んな想いがある。 人と話したいこと、寂しさ、じぶんが頑張って生きてきた証明、死への恐怖、残さ

それぞれ誉れ

ちょっとだけ波に触れたそのひとは、海の色を青だという。 仄暗さと息苦しさに包まれる水深200メートルの先は、水越しの太陽と、酸素のない世界を喜ぶひとがいた。 触れられないものを眺める、触れられないもののそばにいる、触れそうで触れられないものを追う。 知らぬ間に憶えた海の色は、きょうも心地よく、ここにいることを許されたぼくだけの色。

宿る

そこで息をしていた、ここで息をしている。 循環しつづけたから、研ぎ澄まされて、灯した血液をあたためる。 歩けと思えば、前に進んだ足跡を、今日まで記したのは、ぼくの生命の新鮮さ。

戦わない功績を

人生に種を蒔く。 ぼくが吐き出すものすべてが、繰り返すいまに堕とされて、忘れたころにうしろで咲いていた。 世界に刃向かうことをやめて、踏みしめた足元を耕せば、枯れないように愛を撒き散らせば、息を止めただれかが、生き返るような気がした。

なんでもできるは嘘

現実に嫌気がさしているきみに「なんだってできるよ」と言ってはみるけど、その人はその人の人生を生きていて、その人生の中に存在する選択肢を選ばなければいけない。 なんでもできるなんて言葉は、生きてきた数十年をなかったことにしろって言われてるみたいで、きみは救われない。 「きみならきっとできるよ」選んだ選択肢にそう言えたらいいけど、プロ野球選手になりたいなんて言われたら、きっと笑っちゃう。 だから「きみはきみを生きればいい」その"ほんとう"を考える。 職業やファッションは、

外からの窓と中からの窓

ぼくたちがつくり上げた世界で、夜はすこし寂しそうに生きています。 最期まで会うことのない人たちを、愛しいと思いませんか。 きれいなものは、どこか悲しくないですか。 オレンジ色の無数の四角をながめて考えました。 終わらないから見えないし、終わらないから見えたものがありました。 そのふたつが、ここにぼくをつくりました。

人生のはんぶんは悪い夢を見ている

いまここは夢のなかで、これはただ悪夢の途中で、眠っているぼくが夢を見ているんだと思う。 きっといつかはその悪夢から目が覚めて、この頭が創り出す世界の中にいられる日がくる。 そうだと思うから、覚ますことのできない目をなんとか開けたまま、見たくない映画を観るのは、意図的な無意識のなかで充分だ。