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「傷付いた」を、昇華させてみる

みなさん、こんにちは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


久しぶりに雨が降って、少し涼しくなるだろうかと思ったのですが、逆に湿度が高まり、蒸し暑くなりました。

エアコンが手放せません。

みなさんもご自愛されつつ、日々をお過ごしください。


今日は、企画記事を更新しようと思ったのですが、できません。

ちょっとしたことで、家族と言い合いになってしまったのですが、その際に受けた言葉で傷ついて、書けそうにないので、明日以降にまわします。

楽しみにしていてくださった方には申し訳ないです。

ですが、明日以降も楽しく記事を書きたいので、ここで「傷ついた」気持ちを、昇華することができるか、文章でやってみようと思います。



💧

みなさんの場合はどうなのか、個人的に気になるところなのですが、私は言葉に対して、深読みする傾向があります。

もともとそういった傾向の強い性格ではあるのですが、今ではさらに、その部分が、よくも悪くも敏感になっています。

言葉の文字通りにだけ受け止められたら、余計なことを思わなくていいので、楽なのかもしれません。

認知の歪みが関係している可能性だってあります。


個人的には、傷付いた感情を、その場を円滑に収めるために、わざと違う感情にすり替えて、違う認知を積み重ねていくことは、とても危険だと思っています。

ですが、認知を歪ませずに、相手の言っていることを淡々と受け止め、事実だけをみていくことも、誰かと生きていくには要求されることです。

ここまで記事を作成して、気持ちは大分落ち着きましたが、胸はざわめいています。

今ではかなり吹っ切れている方ですが、酷い時だと、ある言葉を、何年も引きずってる状態が続きます。


自分で「まだまだできていないなぁ」と思っている所に、「何にもできていない」「全然できていない」と言葉にされると、なかなか引きずりますね。

自分なりには「今日はここまでできた」と思っていても、誰かといる限り、相手もどこかで「もうちょっと○○までして欲しい」と思っているだろうことを考えていると思うと、とてもしんどくなってきます。


「もうちょっと○○して欲しい」と思うことをはっきり相手に伝えるか、

「そこはお互い様だよなぁ」と妥協するか、

特に気にならないので伝えないかで

今後の関わり方が別れてくるところですが、それは相手が選択された行動ですし、

それを受ける自分の感情も、自分で選択し感じることです。


ただ、自分と相手による選択の種類と、場合によっては、注意してみておく必要があると思います。

それが、取り返しのつかないところにまで発展してからでは、遅いですから。


ここで自分が「傷ついた」気持ちを文章にしてみて、見てくださる方だけでいいので、見ていただけることがありがたいです。

結局、苦しい気持ちを吐露するような記事になってしまいましたが、日常からこうしたことを気にするHSPさんだったり、人に優しく自分に厳しい方は、気持ちを自由に表現することを、もっと楽にできるような環境になればいいなぁと、思います。

そうした環境作りに、少しでも貢献できていると、願いたい…。


うん、元気になれるだろう道筋はみえました。

みなさん、今日もお疲れさまです。

こんな記事でもお付き合いくださって、ありがとうございます。



💧

トップ画像は マミコ様 からいお借りしました。

ありがとうございました!


みなさんからのスキに、気持ちが晴れやかになります。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさんが、どこか・何かの言葉で、幸せな気持ちになれますように。



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