創作作品の行き先(前編)
みなさん、こんにちは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
HSP研究や創作活動をしつつも、不意に「もっと、もっと頑張らなきゃ」と考えてしまうことがあります。
これ、思っている時点で、多分疲れてますね。
しかも、他人軸絶賛展開中です。
以前よりは、かなりましになりましたが、まだまだ自分自身にのめり込んでいいのかもしれないと思いました。
のめり込まないと、見えない部分があるでしょうから。
さて、久しぶりに創作のお話です。
ありがたいことに、noteでは、創作うちのこにも、関心を寄せていただいています。
Twitterだけではなく、ここにも掲載できることで、やっぱりホームの雰囲気が漂っていて嬉しく思っています。
で!
ここで一つ、案が浮かびました。
「いっそ、創作うちのこの絵や小説、もしくは企画参加等、note掲載に切り替えちゃえばよくない?」
ということものです。
今回は、表現方法を変えて、前編、後編と書いてみます。
よろければ、お付き合いくださいませ。
🎨
私は、noteの他に、Twitter、pixiv、Instagram諸々を使用しています。
このうち、noteとTwitterはメインで稼働しているのですが、pixivとInstagramは、ほぼ「見る専」です。
さらに諸々とあるので、他の創作サイトのアカウントも持っているわけです。
ただ、これだけ運用していると、正直、しんどくなってきます。
発信のプラットフォームによって、デザインや広告が目に入ったり、発信のシステムが違うから、いちいち覚えないといけない。
創作する前に、頭がキャパオーバーになります。
そのキャパオーバーから、自分自身の体力と気力の無さに落ち込んで、また「どうせ、私の創作なんて……」となってしまうのです。
そこから始まる悪循環が「フォロワーさんと交流するのが怖い病」というもの。
「何も持っていない私など、相手にもしてもらえない……」といった呪文が頭の中で流れる、ドロドロオンパレードな状態なことをいいます。
もう、自己否定ループです。
そんな中で、noteに創作を載せた時のことです。
「周囲に広告がなくて、余計な情報が入って来ないし、背景も真っ白でいいな」
と、思いました。
いつも開いているプラットフォームだからか、とても落ち着いて、安心して発信できるのです。
それに、noteは、どの創作(文章、絵、詩、動画等)においても、1スクロールでさらっと見る場所ではないと、思っています。
その創作に対して、自分がどんな思いを込めたか、どんなものを詰め込んだか、1つ1つを、額縁に入れたり、製本にしたような状態で、発信させてくれるからです。
さらに、自分が継続して発信してきたからかもしれませんが、創作を見てくれる人が、なぜかTwitterよりも、noteの方が多いのです。
これには、目が点になりました。
拡散力ならばTwitterなのに、なぜかnoteでの広がりが大きくて、例えて言えば、一滴の雫が、ゆっくり土に染み込んでいくように、優しくなだらかに広がっていくようでした。
いまだに、絵柄迷子になることがありますし、Twitterにあるような、美麗な絵には表現が届きません。
試行錯誤はしているけれど、文章も書きたいし、HSPの研究もしたいから、絵ばかりに時間は割けない。
それでも絵を描きたいと思って、誰かに見て貰いたいと思うことは、贅沢過ぎるのでしょうか。
ただ、自分の持っていることだけで、見て欲しいなと思うだけなのに。
そんな迷いと不安を持ちながら、数日過ごしていたのです。
(明日の記事に続く)
🎨
トップ画像は さんの様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからのスキに、今日もいい創作日和になりそうです。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よき午後の時間を、お過ごしください。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。