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株式投資における組織風土の重要性。


不正は続くよ、どこまでも。

 現在、某中古車販売・買取会社による、保険金の不正請求問題が発覚したことで、マスメディアあるあるの袋叩き状態だが、ワンマン体制で上場企業でもなく、自家用車も保有していないため、個人的には直接的な影響を及ぼすような問題ではないため、対岸の火事同然ではある。

 とはいえ大手損害保険会社が、なぜか問題があった会社に社員を出向させていることや、少し前に社名から電鉄を外した某社へのカルテル問題が発覚したことは記憶に新しく、上場している保険会社は何かしらの影響があっても不思議ではない。

 連想ゲームはこれくらいに留め、今回の不正から投資に際して注意しなければならない点を学べる意味では、個人的には使いどころがありそうな事例と捉えている。

 私は上場企業に投資する際に、清廉潔白な組織を理想としてはいるものの、現実的に人間に欲望があり続ける以上、そうはならない。

 とはいえ、問題を起こるべくして起こすような、何度も同じ過ちを繰り返す組織に関しては投資に値しないと考え、いくら業績が良かろうが、投資妙味があろうが手を出さないと決めている。

 何とは言わないが、超が付くほどの安定した某ディメンシブ銘柄は、3.11を境に無配転落。株価もその直後に1/10以下となり、そこから上昇した今でも往時の7〜8割引状態となっている。

 高配当故に老後の年金代わりにと、退職金を注ぎ込んだ人もそれなりに居たのかも知れないが、60代と平均余命が20年ちょっとの時点で資産が1/10となってしまっては、賃金労働で損失を補填する余地などない。

 資産が目減りしただけならまだ良いが、東北地方の一部の土地は人が住めない状態と化したにも関わらず、当時の経営陣には無罪判決が出ている。やるせないにも程がある。

 その元凶となった企業は、なぜか政府の補助金によって潰れることなく経営し続けているが、事故直後に炉心融解を隠蔽しようとした体質や、現に事故そのものが有耶無耶になっていることからも、また違った形で同じことを繰り返す可能性が高く、童謡をもじった形になるが、不正は続くよ、どこまでも状態となる未来を想像してしまう。

忖度とか空気で置き去りにされる顧客。

 株式に投資していると、議決権行使を面倒に思うことがあるかも知れないが、株主の権利として行使した方が良い派である。持っている単元に応じて投票できる票数が決定する、資本主義のシステムを考えると、比較的少額資金の個人投資家が1票入れたところで、何かが変わるわけではない。

 しかし、そうやって投票そのものを放棄してしまうと、会社提案の全てに賛成することになり、結果として会社役員の都合の良い経営となってしまう。

 だからこそ、経営者の決定権を持つ株主が、責任を持って投票する必要があると考える。某地銀のようにトンデモ提案を出すのは如何なものかと思うが、アクティビストの存在があることで、なぁなぁまぁまぁのことなかれ主義な経営陣に一石を投じることが、牽制につながる側面はある。

 やれ忖度だとか、空気を読んで、組織内で利害関係を最適化したことで、真っ先に被害を被るのは顧客だと思う。顧客からお金を頂くことで企業が繁盛する筈なのに、大企業ほど組織内の調整ばかりで、顧客が置き去りにされることは往々にしてある。

 そうして恐竜のように図体がデカい大企業ほど、既得権益から身動きが取れなくなり、時代の変化と言う名の氷河期によって絶滅する運命と記したいところだが、日本は不思議な政治力が働いて、ゾンビ企業としてなぜか生き延びてしまう。その原資は我々大衆の血税に他ならない。

恐怖政治体質は利益ではなく犠牲を生む。

 だからこそ投資マネーは極力クリーンでホワイトと思われる企業に流れるべきだし、経営者の暴走を防ぐためにも、与えられた議決権は行使した方が良いと考える。それがまわりまわって世の中のためになり、自分にも還元される筈だからだ。

 その影響もあって私は財務諸表には現れない要素を大切にしている。投資銘柄の従業員が死んだ魚の目をしていないか。この辺りは接客業なら見分けやすい。転職情報サイトにホワイトな職場の書き込みは目立たないものの、ブラック情報にまみれている組織は危険信号だ。

 労使間の雇用契約は本来であれば「契約」なのだから、対等な関係のはずだが、この失われた30年でパワーバランスが崩れて雇用主が絶対であるという、恐怖政治体質が蔓延っているように思える。

 その極端な例が、不正は続くよどこまでも。もとい、線路は続くよどこまでも。の某鉄道事業者の速度超過による痛ましい単純転覆脱線事故だろう。

 計画通り運行できないのは運転士の気の緩みによるもの的な根性論が横行した結果、遅延も悪名高き日勤教育の対象となり、その内容も反省文をひたすら書かせるなど懲罰的なもので、運転技術が向上するようなものではなかった。

 それがミスの隠蔽体質や過小報告の温床になり、現場の改善提案すら表に出てこない、よどんだ空気感を醸し出していたらしい。

 それでも現場が無理をして何とかなっていた頃は、速達性を訴求して民鉄路線の乗客を奪ったり、速達化で車両の運用数を削減して増益していた。しかし、経年の浅い23歳の運転士が遅れを取り戻そうとして、オーバーランに至り、それを隠蔽することに意識が向いた結果、子供が鉄道模型でやるような事故になった。

 恐怖政治体質はタチが悪いことに、表向きの数字は上手く行っているように見えてしまうものだから、誰も上層部の間違いを指摘できず、実績を上げた幹部が暴走して、その歪みが従業員や顧客に犠牲として降りかかる。

 それらは長期的には利益を生まないのである。だからこそ、身銭を切って投資する企業の定量データだけではなく、定性データも含めて、投資に値するかを見極める鑑識眼を養う必要がある。中古車販売・買取会社の不正は、それを再認識させられる出来事だと思った。


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