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「死ぬ前にひ孫の顔が見たい」おばあちゃんへ

「いつ結婚するの?」
「早くしないとおばあちゃん死んじゃうよ」
「死ぬ前にひ孫の顔が見たい」
「赤ちゃんがいたら楽しいだろうなあ」
「○○家の名前がなくなったらさみしいよ」

近年のジェンダー観からすれば完全にアウトな言葉を、「おばあちゃん」と呼ばれる生きものは、無情にもよく吐く。

(結婚って法律婚のこと?それってどんなメリットがあるわけ?)
(私の結婚とあなたの死、何の関係があるんですか?)
(てか、そもそも、何でわたしの子供が見たいの?近所の子じゃダメなの?)
(あなたの老後生活がつまらないからって、わたしの人生を娯楽にしないでよ)
(「家」の存続のために子を生めとか(笑)。どこぞの一族だよ、我が家は消えても誰も寂しがらないし困らない、ただのサラリーマン家庭だよ)

なんて辛らつな言葉は、わたしの喉元からぐっと飲み込まれる。

相手は、昔から面倒をよく見てくれ、時たまお小遣いをこっそり握らせてくれ、そして、成長してもはや立派な(?)社会人である自分に優しく微笑みかけてくれる、恩義と情のわいた老齢の女性だから。

何となく話をはぐらかすわたしは、おばあちゃんが死ぬまで(死んでからも)、結婚や出産をしない。

優しさと諦めがないまぜになったわたしの煮え切らない態度が、おばあちゃんのジェンダー意識の刷新を阻んでいるのかもしれない。

結局、おばあちゃんは、わたしの思いを生涯理解できないだろう。


だが、それでいい。流行りのジェンダー観なんて知らなくていい。

孫が何考えてるかなんて気にしなくていい。

そんなもんいいから、おばあちゃん、

「死ぬ前にひ孫の顔が見たい」なんてつまらない言葉で、あなたの大切な時間を無駄にする前に、どうかあなた自身が本気でやりたいと思える「何か」を、死ぬその最後の瞬間まで全力でやってください。

これまでわたしたちのために一生懸命に働いてくれたんでしょう。

本当にありがとう。もう、大丈夫だよ。

耳が聞こえずらくても、目が見えずらくても、腰が丸くなっても、すぐに息切れしちゃっても、あまり食べられなくても、おしっこが漏れやすくても、おっぱいがしぼんじゃっても、イライラしても、すぐ忘れちゃっても、

自分のために、最期まで精一杯生きてよ。

わたしはわたしで、がんばるからさ。



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