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掌編小説:冷蔵庫カタストロフ #冷蔵庫企画 【1159文字】

最近、冷蔵庫のモーター音がうるさい。

妹が「結婚するから買い替える」と言って捨てようとしていた物を譲ってもらった中古品で、それから十年近く使っているから、いい加減、寿命なのかもしれない。

ときどき、ぶぉーんと変な音がするし、壊れたか? と思うほど大きなブザー音が鳴ると、その直後にガラガラと氷が落ちる音がするから、あぁ製氷機か、と納得したりしている。何にせよ、古いには違いない。

使い古した冷蔵庫を開ける。学校の給食室みたいな、微かに脂と生臭さの混じった変なニオイの冷気が、さぁーと顔を覆う。大したものは入っていない。雑多な調味料と、牛乳と卵一個。

牛乳と卵一個。
牛乳と卵一個。

牛乳と卵一個をぼおーっと眺めてから、扉を閉める。もう何回も見ないふりをしてきた二種類の飲食物。今日も見なかったことにしようか。

賞味期限は一か月以上切れている。

私は牛乳を飲むとお腹を下す。卵はアレルギー。私のための飲食物ではない。

一緒に暮らしていた男のものだ。
ちょうどソメイヨシノが散る頃に、出て行った男が置いていったのだ。そのままになっている牛乳と卵一個。そろそろ片付けなければならない。いい加減、どちらも捨てなければならない。

もう一度、冷蔵庫を開ける。

牛乳パックをつかむと、少し柔らかい気がした。そんなすぐにふやけたりはしないだろう。でも紙パックは張りを失い、くったりしている。シンクに水を流しながら、パックから牛乳を捨てる。どろどろになっているかと思ったら、白濁した液体はさらさらで、流水に薄められながら排水溝に流れていく。シンクの安い鈍色が、今朝見た悪夢みたいなマーブル模様に飾られる。少しだけ、ヨーグルトみたいな酸味が鼻をついた。

牛乳を空にして、紙パックを濯ぐ。

卵をつかむ。もっとつるっとしているのかと思っていた。アレルギーがあるから、ほとんど触ったことがなかった。男が勝手に茹でたり焼いたりして食べていた卵の表面は、思いのほかざらついていて、冷たかった。

冷蔵庫から出してゴミ箱に捨てようとした瞬間、卵はそっとつかんでいた手を離れた。あ、と思ったときには、もう遅かった。落下した卵は、くしゃっと頼りない音を立てて割れた。

床に落ちて割れた卵は、どろんとした白身と、破れ出た蘇比色の黄身と、砕けた白い殻が混じって、もともと食べ物だったとは思えないほど汚かった。

私は、とりかえしのつかないことをした、とぞっとした。丸いままゴミ箱に捨てたって同じことなのに、落として割るほうが、より残酷な仕打ちに思えた。

もろいものだと知っていたのに。
儚いものだと知っていたのに。
もっと丁寧に扱えば、壊れないと知っていたのに。

こらえられない衝動が胸を裂いた。耐えていた何かが決壊した。私は割れた卵を見たまま、ごめんなさい、ごめんなさい、と声に出して、台所で一人泣いた。



《おわり》



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企画の趣旨と違うのかもしれませんが、冷蔵庫に関係していれば何でも良いらしいよ、ということだったので、冷蔵庫をからめた掌編小説を書きました。お題が冷蔵庫なのに、食べ物を美味しそうに書いてなくてごめんなさい(_ _;)古い冷蔵庫と、古い女と、物事の破局を描いた小説です。カタストロフィーってフランス語だとカタストロフって言うんですって。かっこいいですね笑。


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