りんたろうの嘆き

今日も嘆く。

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マガジン

  • 僕は自分を救いたいと思う。

    まだ若かりにころの僕のメモ帳を見返した時の内容です。 何か少しでも鼓舞できるようなことを。

  • 料理物語

    食べ物に関連した物語です。

最近の記事

目線の話

最近、友人やらとご飯に行く時に ふと気づいた。 自分、人と話す時あんまり目見てないな。 ちなみに人が嫌とか、会話が嫌いとか心ここに在らずとかではない。 なんでこうなったか考えたのだが、 以前はむしろ視線外さずに相手の目だけを見て話をしていた。 話が終わるまで。 それでよく言われていたのが 目力が怖い、圧がすごい。と。 そのあたりからか、相手に威圧感やらを与えないように意識した結果 こうなったのだなと。 一時期意識的に目線を外す練習してたこと忘れてた。 ちょっと寂し

    • 父と母

      記録用として 不意になんか思い出したのだけど、 何も持ってなくてなのに色々重なってたぶん人生で一番苦しい時に 東京に身寄りがない僕を雇ってくれたオーナーが 「東京のお母さんお父さんだと思ってくれていいよ。」 って言ってくれた。 面接なんて飛び込みで行ったし、 そもそも採用なんて受け付けてなかったし 採用が決まった後もどうしても頼れる人がいなくて働き始め前から 色々と迷惑かけまくりだったのに。 どうしてそんなに人に優しくできるのか。 精神的にもその時は不安定でうまく受

      • 無能な味方

        無能な‘味方’と言うよりもはや’敵’だよな。 ナポレオンが残したように、 「処刑せよ。」と 現代でもできたらいいのだが。 いわゆる解雇ってやつだが、 昨今の日本では難しいのでどうしたものか。 昔はわからないが、 今はこう言う腐った状況の企業が増えて じわじわ死んでいくんだろうなぁって思う。 多様性とか色々大切なんだけどね。 みんな仲良く手繋いで死ぬわけにもいかないから。 何を言うにもパワハラになる可能性もあるし 自分自身で気づくのが一番大事だけど きっかけがより少な

        • 正面から向き合う話

          20歳の頃か、 嫌なことからは逃げる癖がついていたとおもう。 (マジでやばい時は逃げないといけない時もあるが) まあその年齢なんて当たり前っちゃ当たり前だとは思う。 (向き合い方がわからなかった。の方がしっくりくる?) きっかけはなんかネガティブなことだったが、 ど正面から向き合った時があった。 そのネガティブ以上に えげつないほどしんどかった。 その後も人生で何度かあったね。 でも結果が上手くいこうが上手くいくまいが、 成長があろうがなかろうが 向き合うごとに自信

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        • 僕は自分を救いたいと思う。
          25本
        • 料理物語
          28本

        記事

          苦しみは憎悪を凌駕する話。

          僕にとってやることがない時間は苦痛でたまらなく、 2日もすればある種、虚無になり不意に涙が出ることがある。 例えば人と会ったり、喋るということをすれば ある程度は回復するのだが。 それでタイトルにもあるように 虚無の状態の時はたとえ憎悪を向けた相手さえ 楽しい話し相手となるものだ。 むごい話ではあるが、 「藁にもすがる思い」とはまさにこの事だろうと 最近思い返すことがあった。

          苦しみは憎悪を凌駕する話。

          生きるとは常に何かの渦中にいるというこだ。

          葛藤であったり 奮闘であったり 迷い、怒り、変化、 不安、穏やかさ、 もしかしたら浪費の中にもいるのかもしれない。 だから息をするのだ。

          生きるとは常に何かの渦中にいるというこだ。

          何もしなかった1日

          後悔というか虚無というか。 その何かを埋めたいと 徐に薫いたお香から立ちこめた煙が ぽっかり空いた何かを満たしていく。 濃淡の中を掻き分け漂い その濃いところまで手探りで。

          何もしなかった1日

          グラスの底からフツフツと湧き上がってくるだろ。

          これってグラスの小さな傷が原因で湧き上がってくるものなんだけど、 「情熱とか熱い気持ち、負けん気」とかもなんか気持ちが傷ついたりした時に その時にそこから湧き上がってくる感覚に似ていると思う。

          グラスの底からフツフツと湧き上がってくるだろ。

          文字に溺れる。

          多分沈んで行ったのか 急に多くのものが目に飛び込む。 それがなんなのか、本当に何も理解できなかった。 ふと視界に入ったと思えば、その大きさに圧倒され 意味もわからなかったが、多分良くないものだとだけはわかる。 息もできず深いところで苦しみもがき やっと何か目に飛び込んだと思えば 苦しみであったり不安であったり後ろめたさであったり、 それでもなお我慢したり騙されたり裏切られたり 思い通りにいかずやっとの思いで何かを見ようとする最中、 喜びや希望や友人や環境や 一瞬だけ

          文字に溺れる。

          雨の長崎

          濡れる石畳、 白く踊り出す水面、 大バレエ団と言ったところだろうか。 石畳から弾ける音はさながら拍手喝采。 坂の上から音を聞きつけ 滑り台の如く下り水面に合流すは 子供ミニバレエ団。 雨の都 長崎

          シンプルな愚痴

          まさに今変われなくても 変わろうとしなくてはいけない時がある。 先送り先送りにすると 高い確率で詰む時が訪れる。 そうならなかったら馬鹿にしてくれてもいいし 笑い物にしてくれてもいい。 お前はそのアドバイスに踏み切れなくて ナヨナヨしたままで結局詰んだな。 言った通り悪い状況に陥った時に 被害者面してピーピー言う。 そして数日経ったらケロッとしていて 記憶にない覚えていない。 小心者とはまさに。 そしてまた取り返しのつかない 同じ失敗を繰り返す。 そしたらある時

          シンプルな愚痴

          健やかなる時も

          病める時も健やかなる時も 「全ての日常を味わい尽くす。」 と言う気概こそが、 人間という生き物の本質なのではなかろうか。 総じていうと ハズレくじを引くことさえも楽しむのだ。

          健やかなる時も

          泥沼トンネル

          成功者は成功する前までの状態をよく 「暗いトンネルの中にいる」と言う。 でも誰かが 「暗いトンネルでぬかるみのある泥沼」 って言ってた。 僕は後者の表現の方がしっくりきた。 前も後ろもわからないのに 泥沼にハマって動けないのは辛い。 泥沼から抜け出せたと思っても 実はそこはまだ暗闇のトンネルの中で 泥沼から抜け出せた安心感からか 気を抜いてしまう。 そしてトンネルを抜け出すはおろか 再び泥沼にハマると言う負のループに 陥ってしまうと思う。 でもトンネルを抜けたら泥

          紆余曲折

          普段私は何事も実践、独学派で 紆余曲折の過程を楽しんでいる。 しかし素早く結果を出したい時に そのスタイルはあまり適切ではないなと思った。 普段は個人事業をしていて 昼間のアルバイト以外はほぼ全てと言っていいほど 個人事業に充ててきた。 特に今年の前半なんかは 遊ばないお酒飲まない携帯のアプリ全部消す。 などちょっと異常かなと思えるくらいのことをしてきた。 結果は出るのは出るのだが全然比例しない。 むしろ普通に生活していても出るような結果しか得られなかった。 気づい

          最後の不条理

          世の不条理を受け入れて生きていくというのは、 最期、死という不条理を受け入れるための訓練なんだと思うよ。 煮え切らない、悔しい、理不尽、 全部飲み込んでそれでも生きて 最後の最後、いろんな悔しい思いと比較してもできないくらい 大きな確定している最後の不条理を受け入れなければいけないのかもしれない。 しかし私はそれはクソムカつくので、 死ぬとしてもその違和感を感じながら去ってやるよ。 最後まで最後を過ぎてもぶつかってやるよ。

          宵の明星

          最期 その一瞬だけでも輝いていたい。 おごりだろうか。 日没後、 最初に輝く星は金星。 「大器晩成だ」と誰かが呟いた。 誰がそう呼んだのだろうか。 地球に追いついた後、 その位置その方角で許された時間のみ 一滴の光を零したかのようなそれを皆 "宵の明星"と呼ぶ。