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医師が「命より大事なものがある」と断言する深い理由

このタイトルを見て私は違和感を感じました。どんな場合でも医師は命が優先であり、たとえ足が無くなろうとも、寝たきりであろうとも、命を助けるのが今の日本の医療だと思っているからです。それなのに、命より大事なものって、いったい何だろう?

今回紹介するのは、1955年生まれで小説家で医師の久坂部 羊(くさかべ・よう)先生の記事です。

医療が発達した今、高度な治療や検査で自然な寿命は受け入れられず、悲惨な延命治療、苦しい長寿、過酷な介護なども問題を引き起こしています。

死の直前に苦しむのは、医療が発達したせいで、無意味に死が引き延ばされるからです。

医師の立場からこの発言が出てくるというのは、衝撃的です。この言葉から考えられることと言えば、多くの人は世間に流され、惑わされ、狂わされているということになります。

武士の切腹は、命を粗末にしたのではなく、名誉を大事にしたのだ


記事の中では、武士がなぜ切腹できたのかということを例に書かれています。切腹とは、名誉のためであり、謝罪の証です。無様に生きるより潔く人生を終わらせた方が良いという武士道精神です。命を粗末にするという見方ではなく、名誉や尊厳を重視した精神論です。

私も今、命より大事なものがあると思っています。それは苦しまずにいるということです。救いようのない苦しみに苛まれたら、私は命を捨ててでも楽になりたいです。

これまた問題発言です。医師がこう言われるには必ず理由があります。あくまでも患者の立場に立った考えのもと、この発言になるはずです。それがこの言葉です。

とにかく生きていてほしいと、延命を望むのはたいてい家族で、苦しんでいる本人は「もう逝かせてくれ」と思っているにちがいありません。

そう、まさしくこれです。私も高齢者施設で働いていて、いつも思っていることです。ベッドで寝たきりになっている人は、こう思っているに違いない。本人がそう言ったとしても、今の法律ではどうしようもないんです。医師が医療マニュアルから外れることをした場合、それは犯罪扱いになることもあります。もしかしたら、100年後は法律が変わっているかもしれません。しかし今はまだ無理なんです。

だから久坂部先生は言われます。

自然な寿命を受け入れるように発想を変え、ある程度の高齢になれば医療に近づかないという選択肢もあると思います。

もう絶対にこれです。病院へ行くからダメなんです。中途半端に長々と行かされてしまうんです。人はなからず寿命が来ます。だから早い年齢から、その現実を受け入れておく必要があるということでしょう。

自然な死はさほど苦しくありません。死の直前に苦しむのは、医療が発達したせいで、無意味に死が引き延ばされるからです。医療が発達する前は、だれしも家でそんなに苦しまずに亡くなっていたことからも明らかです。

早いうちからしっかりと老いと死を意識した生き方をしていれば、私たちも自然な寿命を受け入れられるのではないでしょうか。それは武士が切腹を受け入れるよりも、はるかに簡単なはずです。

人はどう老いるのか/久坂部 羊 (著)


以前書きました、久坂部羊先生の『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を参考にした記事もどうぞ。


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