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老いは「十分生きた証拠」老年期は自分のために生きよ

「老いること」を考えるというのは、「生きること」を考えることでもあります。老いは自然であり、後ろめたいことは何もありません。一部「老害」などと言われる人がいるために、高齢者は肩身の狭い思いをすることもあります。

「老い」は十分生きた証拠であるという、心強い言葉がありますので紹介しましょう。

フランスの哲学者モンテーニュの老いに関する達観です。彼は老いという現象を、「もう十分生きた証拠」だと位置づけます。言い換えるとそれは、これまで周囲の人たちや世の中に貢献してきたという意味でもあります。だから「老年期は自分のために生きよ」と言うのです。つまり、老年期の目的は、自分が楽しむことでいいと。

老年期の目的は、自分が楽しむことだなんて、素晴らしい教えです。若い時は「生産」し、老いては「消費」しなさい、とも筆者は言われています。まさしくその通りだと思います。

不安を煽るから、お金を貯めようとする


日本も貧富の差が大きく開き、老後の資金問題が大きく報道されています。老後にたくさんお金がかかると言うから、みんなお金を貯めておこうとしてしまいます。高齢者は孫のためならお金を出すと言われますが、日本経済を動かすほど大きな金額は動きません。

老後の生活不安のためにお金を貯めて、施設へ入る事を前提に考える人が増えています。不安を煽るマスコミにも問題あるように思います。

老いという人間にとって不可避の現象を、「生産性」や「生涯現役」「アンチエイジング」といった不自然な形でビジネス化しようという方向性は間違っているように思います。

筆者の言う通りだと私も思います。若いことが良しとされる世の中ではなく、高齢者には高齢者なりの良さもあり、楽しみ方もあるはずです。高齢者が楽しんでいる姿を見れば、若い人の見方も変わるはずです。今の高齢者は、全然楽しんでない!そう思いませんか?

成熟した人生とは何か?


筆者は高齢者の恋愛や性についてもっと開放するべきだと語りかけます。日本人には可能かどうか分かりませんが、確かにその部分が開けると、かなり大きなマーケットになることは間違いないし、高齢者の生き方そのものの意義が大きく変わることでしょう。

筆者は「成熟した人生とは何か?」と、私たちに投げかけています。老いて萎むのではなく、生きている限り楽しくあるべきだと言います。

若い時は社会に尽くし、人のため世のため働きます。老いては、自分のために楽しむ気持ちが高齢者には足りない気がします。自分が楽しむためにどうお金を使うか、今一度考えてみてはいかがでしょう?


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