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「かまってちゃん」で何が悪い

少し前に、友人からLINEがきた。

何の用があるわけでもなく、ただただ話を聞いて欲しそうな感じだった。まあその「話を聞いてほしい」が、大事な大事な「用」なんだけれど。


友人は、もやもやした気持ちをポロっと吐き出すように、「誰も、かまってくれなくなった」と話してくれた。

今年の春、勤めている会社で管理職になってからというもの、自分をケアしてくれる人がいる気がしない、誰も心配も声かけもしてくれなくなった、と。


なんとなくわかるところがあって、私は胸が痛くなった。

入社したての若手の頃って、誰しもが自分を構ってくれる。それは「優しくしてくれる」とかそういうことではなくて、ちゃんと仕事ができているかをチェックしてくれたり、元気にやっているか?と気にかけてくれる上司や先輩がいたり、「成長したな」とか「ここがまだまだダメだ」と褒めたり叱ってくれる人がいたり。そういう中で、育っていく。

そして徐々に年齢を重ねて、昇進して、(それ自体が幸せなことかどうかは人によると思うけれど)管理職になる。人を管理する立場になった瞬間、自分はひたすらに部下や組織をケアをする側に回り、ふと心が弱くなった瞬間に「私をケアしてくれる人は、いないのかもしれない」と気づく。


きっと、「管理職なんだから、かまってちゃんになるんじゃなくて、自分のことは自分でケアするのが当然だろう」と思う人もいると思う。でも私はそれは酷だなぁと思ってしまう。

「立場が人をつくる」とはよく言ったもので、たしかに役回りや役割を引き受けると、立派にこなすようになっていく人がいるけれど、それは孤独や自分との戦いの末の姿だろうなぁとも思う。その100%が、外から見える輝きの成分で出来ているものではない。

ある日突然「係長」だの「課長」だの役職が与えられたからって、「中の人」が変わるわけじゃない。ある日オギャーと子供が生まれて「お母さん」「お父さん」と呼ばれる人になったって、急に「お母さん」「お父さん」になれるわけじゃない。それぞれが、1人の人間として、構って欲しいし、認めて欲しいし、見ていて欲しいし、褒めたり叱ったりして欲しいし、そうじゃないと寂しくて泣いてしまうんだと思う。誰だって。

甘えなのかな?子どもすぎるのかな?
でも私たちはいつだって、誕生日を迎えれば自分の年齢と中身のギャップに驚いて「自分はそんなに大人じゃない」と落ち込むし、「そんなに全部完璧に出来ないよ!!」と全てを投げ出したくなる夜がある。

だから、それでいいんだと思う。
そんなにすぐには、大人になれない。そんなにいつだって、大人ではいられない。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。