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毎日更新し続けて、200日が経ちました

1月31日から更新し始めたこのnoteも、今日で200日目。
投稿数=日数なので、とてもわかりやすい。笑

全く触れずにいつも通り好きなことを書こうかなぁとも思ったけれど、せっかくだから区切りとして触れておくことにした。要は、それくらい、「200」という区切りが、割とどうでもいい。じゃあどんな区切りが大事なの?と聞かれると、答えに困る。うーん、多分、どれも「だいじ」でもないし「おおごと」でもないかも。

100日が経過した時には、「ワァー100日も書いたのかぁ」と少し感慨深いものがあったけれど、200日目の今は、あんまりそういう感情にならない。というか、驚くほどあっという間である。

いまわたしは、言葉の「筋トレ」をしているような感覚がある。
普通に考えたら、書けば書くほど文章は上手くなるはずなのだけれど、100日経過した時より、自分の文章に対する満足度や評価みたいなものは、シビアになっている気もする。文章において「上手くなる」っていうのは、複雑な気持ちになっていく事なのかもしれない。

もっと良い表現ある気がする、でも思い浮かばない。あぁこんなことも書いてみたい、この感情はどう表現するんだろうか。もっとユーモアを加えたい、エピソードはもっと魅力的にしたい。クスッと笑える表現って何だっけ、起承転結ってどんなんだったっけか。

毎日そんなことを思うけれど、たとえ100%の満足をしていなかったとしても、絶対公開する。公開してこその「筋トレ」で、公開してこその、経験のような気がするから。

書きたいことを、書く。
それはずっと変わらないけれど、「書きたいことを書く」の中にも、欲は生まれるし、冷静になる面もあれば、逆にとてもエモーショナルになる部分もある。この「noteを毎日書く」という行為で、そんな自分の毎日の感情や感性、書くことに対する感じ方を、定点観測している感じがする。

書き始めてから、どんどんと言葉に敏感になった。言葉というのは、「言葉」そのものだけでなくて、その場の空気やシチュエーション、映像、音、表情、行間など、言葉を取り巻く色々なものを含めての「言葉」。映画を観ていても、歌を聴いていても、それぞれがそこで成す言葉の意味を感じて、心が震える瞬間が増えた。それは、自分の感性が少しずつ深化しているような感触がして、涙が出るほど嬉しくなるときもある。

わたしはこのnoteで何ひとつ役立つノウハウやヒントや自己啓発みたいなものを書いていないし、読んでくださる皆さんに有益な情報は提供していないと思う。平たくいうと、役には立たない文章。(あ、食いしん坊マガジンだけは本気で有益だと思います笑)

それでも読んでくださるということは、人は人に興味があるんだなぁ、と思う。当たり前のことかもしれないけど、それってすごく嬉しくないですか?興味がわかないなんて、心が1ミリも動かないなんて、そんな寂しいことはない。と、わたしは思ってしまう。

その興味の対象として、少しでも気持ちを持って読んでいただけているのであれば、心から嬉しいことだし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも、大事な場所として、書いていきます。
大切なことも、しょうもないことも、面白いと思ったことも、気づいたことも、いろんなものを正直に素直に実直に書きます。どんだけまっ直ぐやねん。(と、わたしの中の小さな関西人がツッコミました)

気まぐれなnoteたちを更新していきますが、どうぞ見守っていただけたらとっても嬉しいです。よろしければ、「スキ」やコメント、フォロー、シェアなど、この場を通じて読んでくださる皆さんとたくさんコミュニケーションを取れれば嬉しい限りです!

ふつつかなムスメですが、これからもどうぞご贔屓に・・・・(ぺこり)

Sae

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「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。