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贅沢も、節約も

ほんの数か月前までの私。
いわゆる「丸の内OL」だった。眠い目をこすりながらばっちりメイクをし戦闘服を着て、朝7時の電車に乗りこむ。戦場である丸の内に着くと、スタバでソイラテとサンドウィッチを購入。始業まで、しばし勉強の時間。始業の時間が近づくと大量のスーツ姿の男性と共にコンクリートで固められた巨大なビルに吸い込まれてゆく。昼休みは、糖質を気にしておかずだけを詰め合わせられるお惣菜やさんへ駆け込む。なんだかんだで、1000円超え。デスクで食べながら仕事を続け、いつの間にか外は真っ暗。今日は晴れだったんだろうか、くもりだったんだろうか。夜になって巨大なビルから抜け出しても、それすらわからない。そのまま、電車に揺られて。いや、残業続きで疲れている日なんかは、タクシーに乗り込んで帰宅する。

それなりにしんどい日々だった。疲れていた。けれど、このご時世を考えると29歳女性にしては不満のないお給料をもらっていた。これでいいんだ、と思っていた。スタバにいるときも、おしゃれな戦闘服を買うときも、ランチを買うときも、タクシーに乗るときも、お金のことを気にする必要はそこまでなかった。それはありがたいことだった。何も気にしなくていい。私の金銭感覚はおかしくなっていた。毎月の収支を気にしたこともなかった。全て必要経費なのだ。そう思っていたから。

それはいつの間にか、他人に求める金銭感覚までも狂わせていった。合コンに行ってお金を出すことを求めれたとき、「この人とは付き合えないな~」なんて思っていた。一駅隣の銀座に行くのに、わざわざ電車に乗る?疲れてるんだけどなぁ、と、不機嫌になった。婚約指輪は●●のブランドがいいな~なんて、平気で言っていた。温泉旅行に行くときは、露天風呂付のお部屋ばかり探していた。今思えば、なんて感じの悪いヤツなんだ、と思う。「お金稼いでるんだからいいじゃん」とふんぞり返っていた。消耗している自分をなんとか奮い立たせるために、お金を使っていた。こうして。毎日。お金はただの、ツールだった。空っぽで乾ききった心を一瞬の間でもいいから、埋めてもらうための、ツール。どんなに使っても使っても埋まらないことを知りながら、使うのだ。

そんな価値観を変えたのは、病気による休職だった。あまりに突然の、強制終了。会社に行かなくなった。お酒を飲まなくなった。旅行に行けなくなった。家と病院と、近所を散歩するくらいの、地味な日々。「東京カレンダー」で美味しそうなお店を見つけてメモっていた私には、考えられないような生活だった。

きっとそういう状況になったら、今までのような水準のお給料がもらえないことや、いつ復帰できるかわからない不安感、そもそもの体調不良に怯え、ふさぎ込んでしまうんだろう、と誰しもが思うだろう。でも、結果は違った。

もちろん、節約しなきゃ、とは思った。これからは今まで通りの生活は送れない、って。でも、その「今まで通りの生活が送れないこと」は、私にとっては価値観を大きく転換させることとなった。しかも、幸せな方へ。

お茶はペットボトルじゃなくて、家で作るようにした。生活用品は、ドラッグストアの特売日を狙ってまとめ買いした。できるだけ自炊するようにした。作り置きの料理をまとめて作って、ご飯も多めに炊いて冷凍して。不要で売れそうなものは全てメルカリで売った。

元々は、スタバで値段を気にしなかったようなやつだ。「生活を切り詰めてて、しんどそうだね」と思われても仕方ないと思うけれど、私自身は一切そんなふうに思わなかった。だって、お金を「消耗した自分を回復させるためのツール」ではなくて、「生活のため」に使えるようになったから。まさに「生きる活動」のためだった。食事。睡眠。お風呂。洗濯。掃除。自分の生活のためにお金を使うことが、こんなに心を豊かにするものだとは知らなかった。丁寧に生活するなんて、初めての経験だった。いくらお金を使っても埋まらなかった心が、どんどんと満たされていくのがわかった。なんだ、高級なご飯を食べなくたって、満たされるんじゃん。美容院でしか売っていないシャンプーを使わなくたって、しっかり睡眠をとっていれば髪の毛は綺麗なままだ。高い美容液を使わなくたって、栄養バランスを気にすれば、肌は荒れない。

休職をしてから、殺風景だった自分の部屋を明るくしたくて、一輪のお花を飾るようにした。そのときそのときの気分で選ぶ、一輪のお花。初めて部屋に飾ったとき、部屋そのものがぱぁっと生き返るような感じがした。ブーケで買うと高いけれど、一輪ならせいぜい、300円くらいだ。300円の美しさが、部屋を明るくし、落ち込む私の気分さえも明るくしてくれた。1~2週間美しく咲いてくれるその花は、300円以上の価値があると思った。スタバのソイラテ1杯よりも、ずっと安いのだ。

価値は、値段じゃない。
愛情のない高級な指輪には、何の価値もない。ハプニングやツッコミどころのない高級旅館に泊まる旅行には、面白みがない。一晩で1万円かかる飲み会よりも、1000円で買える本を読む方が、ずっとか楽しい会話ができるようになる。そんなことにようやく気付けた私は、きっと幸せ者だと思う。

これまでと同じように安定したお給料をもらえるようになったら。また、飲み会に行くのかもしれない。良いお店で、ご飯を食べるときもくるのかもしれない。たまには、ブランド品も買うのかもしれない。けれど、きっとどれも、消耗した心を満たすためには、使わないと思う。大切な思い出を刻むため。大切な人と、楽しい時間を過ごすため。これからの自分なら、それを思う存分に楽しめる自信がある。贅沢も、節約も、きっとどっちも、楽しめる。

Sae

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