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女性キャラを「自分」と紐づけて考え、問題にする女性がいるのは何故か。
もうこの話題はいいかなと思っているのだが、タイトルの件だけ気になったので自分の考えを書きたい。
自分が考えた一番大きな理由は、今の社会の中では(特に対男性において)「女性という属性」自体が特徴として捉えられやすいということだ。
女医、女優という言葉が問題になったことがあったが、「男であることが常態(標準)であり、女であること自体が特殊な状態」という意識が社会(公的な場)ではまだ強い。
女
「社会に依拠せず、自分が世界とどう対峙するか」を語っているコーマック・マッカーシーの作品が大好きだ。
黒原敏行がマッカーシーの作家性だけではなく、作品一冊ごとに話をしている。こ、これは贅沢すぎる。
記事の終盤で黒原敏行がこう語っているように、マッカーシーの作品の特徴は、社会がほぼ機能していない、ゆえに自己がむき出しのまま世界と直で対峙する(せざるえない)ところにある。
今の時代だと「自己を抑圧するもの」として捉えられることが多いけれど、社会は「脆弱な自己を守る鎧」でもある。
共同体の内部
「世界が余りに強大で不可解すぎて、人間の個体差など無意味」というチートと逆の設定が好き。
「ケントゥリア」の五話を読んだ。
これは自分が好きそうな話だな、と期待がふくらんでいる。
「世界の全貌は人には理解できない」
「人は何一つ意味もわからず世界の隅っこで生きているだけ」
「人の個体差(能力差)など、世界から見ればミジンコと蟻程度の差しかない」
という世界観が大好きである。
ホラーが好きなのは、ホラーというジャンル自体がこういう世界観だからだ(クトゥルフ神話が典型だけど)
この
「風よあらしよ」の感想。「悪者になってはならない」は女性にとっては、もはや呪いに近いのではないか。
野枝が大杉栄と出会うまでは凄く良かった。
子供時代、十代の野枝はとても魅力的だ。
何としても学校に行き勉強がしたい、このまま田舎の片隅で平穏に暮らす一生で終わりたくない、世の中が見たい、自分の力を試したい。
「風やあらしは強ければ強いほど、それに立ち向かえる」
野心と克己心、上昇志向、自分の可能性を追求したいという情熱と渇望、その反動としての焦燥と鬱屈がこれでもかと伝わってくる。
自分
人をざわつかせる影響力について
記事を読んで思ったけれど、よしきさんが経験したケースはこっち↓じゃないかな。(違ったらすみません)
自分が想定したのは、よしきさんが悩んでいる状況とは逆の「他人が自分に無関心なのは当たり前だから、何かをするにあたってそこを問題にしても仕方がない」という話だ。
よしきさんもそこはわかった上で「他人の反応」という大きな枠組みでとらえたのだとは思うけれど。
完全にただの推測だけど、コメ主は
それは「あなたに興味がない」以上でも以下でもない。
↑の増田を読んだ感想。
個人の趣味、思考、思想、嗜好などは他人に対して自己開示として機能する。
増田がロリータの服装をしたことで、周りは「よく知らない」からフラットな認識しか持っていなかった増田を「ロリータがかなり好きな人、ロリータに大きな興味を抱く人」と認識する。
そう理解した瞬間に、増田に対する認識が「自分と共通点がある可能性がある人」から「興味がわかないからリソースを割く必要がない
色々引っかかることがあっても、「ケントゥリア」を面白いと思い期待する理由。
第一話の序盤は読んでいて引っかかるポイントが多かった。
「奴隷」は資産なので、労働力にならなそうな老人と二人分の価値がある妊婦が同じ待遇というのはありえないのでは、と気になった。
「買い手がつかない」というが、これも何故かわからない。ミラなんて絶対高値だろう。
その他にも、船長の「何も成せない無価値な奴らだ」と言う台詞も引っかかった。
これは明らかに奴隷を「商品」ではなく対等の人間として人生
話題になった、令和6年4月11日 岸田首相の米議会両院会議演説全文を読んだ忌憚のない感想。
*タイトル通りの忌憚のない意見です。
自分は政治的にはいわゆる無党派層で、心情としてはやや左よりの中道だ。今の日本の政治におけるボリュームゾーンの一人だと思う。
そんな自分が話題になった↑の岸田首相の演説を読んだ感想。
一番思ったのは、次の大統領選ではトランプが返り咲く可能性が高いと考えているんだなということだ(正確には返り咲くことを最も危険視しているんだなと思った)
演説の内容が「世
「他人は自分とは違う」ということは当たり前のようで、常に確認しないといけないのかもしれない。
少し前に話題になったお笑いコンビのファンの人(以下「ファンの人」)について。
この件について自分が感じたことと他の人の反応がちょっと違うなと思った。
具体的には
①最初の文章「SNSをブロックされるまで」を読んでどこに引っかかったか。
②「文章が上手い」という反応が多かったのは何故か。
③反省文「私の間違いは何だったのか?」を読んだ感想。
の三つだ。
②について少し補足すると、「この文章
つるはしを売る奴よりも「伝説のつるはしでーす」と嘘をつく奴よりも、「伝説のつるはしだなんて嘘だ」と騒ぐ人こそ何とかならないかな。
年始の地震のデマの拡散の話で「ネットは『批判されること=注目が稼げる』という発想でやっている人間が多いから、本当にそれが広まるべきではないと思うのであれば注目は払わないほうがいい」ということを書いた。
今のネットは「ひと言言いたい、関わりたい欲を抑えきれないこと」を注目を稼ぎたい人間に利用されている構図がある。「その物事についてどう思うか(自分の意見)」よりも先に「その物事を拡散することに加
「同じ物を見て、同じ地面に立っている。だから対峙できる」そういう人間でありたい。
4月6日(土)の読売新聞に掲載されたこの話、めっちゃ好きだ。プレゼント機能はないのか、クソっ。
「完膚なきまでに批判する」ってなかなか見かけない。始まりからして不穏である。
「何を学んだのか。ぜひ知りたいところである」って完全に喧嘩を売りにいっているな。
700ページに及ぶ労作を、ここまでこき下ろされたら、それは
と返したくもなるだろう。
こういう学術大会や報告会、研究会は、お互い