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Essay day12. 一番古い記憶

私は、人生のなかで経験したすべてのことを脳は実は覚えているんじゃないかと信じている。ただ、引き出すことが出来ないだけで。

なぜそう思うかというと、色んなことをうまく忘れてしまえないと辛い記憶が蓄積されて生きることが怖くなってしまいそうだから。

それで、今の自分が思い出せるできる限り古い記憶について考えてみることにしました。
私の場合は、幼稚園に上がった後の記憶が断片的に映像として残っています。
でも、覚えているのは音のない映像の記憶ばかり。色はついていて、園児はいない、写真のような幻のような景色がある。

もう少し成長して、5歳くらいになる頃には親と会話した記憶が残っています。
車の中でどうして月がずっとついてくるの?
って聞いたり、病院で弟はどこから来たのか聞いたりした。

記憶は儚い。昔辛かったことがガンガン私が生きやすいように美しく改変されてしまっている。綺麗だった景色はより綺麗に、情けない記憶は思い出しても目を塞がなくて済む程度にぼかして。

あとは10代後半で好きな人からメールが届いて、開いて、1〜2行のメッセージが来たことが物凄く嬉しかったことも覚えてる。たわいもないちょっとした音楽の話とひとつふたつの絵文字を何回読み返しただろう。だからか、今でもドコモの絵文字を見るとキュンとする。

それから、遊んだ帰りの電車の中で心がばくはつしてしまうんじゃないかと思ったことも覚えてる。人生でいちばん緊張した。そういう一方的な恋らしい恋はその時の自分にしか出来ないパワーがあって、ファンタジーでもあった。10代の自分の視点でしか描けない、非現実的な人間関係に夢を見る力のおかげで、実際の景色よりずっと綺麗なものに感じられる。

でも、先日久しぶりに当時の安藤裕子さんのライブ映像を観たら、匂いから空気からmixiの投稿画面まで、あらゆる17歳の記憶がぶわっと押し寄せてきて、あぁ、きっと私は本当は昔のことをしっかり覚えているのかもしれないな、と思うに至った。

ほんとうは全部覚えているけど、普段は綺麗なところだけを美しいものとして引き出せるなんて、脳ってすごい。

そうやって昔のことをいろいろ考えていると、未来と過去はすごく似ているように思える。

そのときの人生の景色を思い描くことでしか、手を伸ばさないようになっているから。

だから、想像できることは叶うっていろんな人が言っているのかもしれないね。きっと時間は真っ直ぐじゃないんだと思う。

例えばミルフィーユみたいに積み上げられたたくさんの過去と未来が薄い層を織りなしているのかもしれない。縦にフォークを入れたとき、その地点が今なのかもしれない。未来は過去でもあり、過去は未来でもある。

追伸。

こうやってほとんど毎日考えていることを文字にすると、ふだんぼんやり頭の中を漂っている思想に輪郭が生まれてくるようで楽しいね。

サムネイル画像は大学(CSM)のキャンパスに飾られていたどなたかのイラストを写真に撮ったものです。

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